河竹黙阿弥の白浪物の名作が2001年6月にコクーン歌舞伎で本格上演されていたのは残念ながら観ていない。『勘九郎箱』に入っているコクーン歌舞伎「三人吉三」のDVDを貸していただいた。DVDでも2枚組の充実版をしっかり鑑賞。
あらすじは2004年2月歌舞伎座公演の「三人吉三巴白浪」通し上演時の歌舞伎座MMライブラリーを参照をお願いする。ただしコクーン歌舞伎の方がさらに前段階などの場面が多い。→こちら
コクーン歌舞伎の配役は以下の通り。
和尚吉三=勘九郎:現勘三郎(金貸し太郎右衛門)
お嬢吉三=福助
お坊吉三=橋之助(海老名軍蔵)
土左衛門伝吉=弥十郎
伝吉娘おとせ=勘太郎
手代十三郎=七之助
研師与九兵衛=亀蔵
安森の若党 弥作=芝のぶ
八百屋久兵衛=勘之丞
堂守源次坊=仲一郎
捕手頭長沼六郎=獅童(夜鷹虎ふぐおてふ)
有名な大川端庚申塚の場まで開幕から40分以上かかる。おとせと十三郎が夜鷹と客を越えた本当の恋に落ちる場面、勘太郎と七之助の息もあってじっくり堪能できる。この恋も因縁がらみ。因果応報の呪わしい物語を丁寧に描いていく。
冒頭の伝吉が安森の家の家宝・庚申丸を盗んで犬に襲われて殺してしまい刀を堀に落としてしまう場面の暗い舞台に本水が光る演出、「月も朧に白魚の~」のお嬢吉三の独白の場面やおとせから奪った百両をめぐってのお坊吉三との立ち回りの場面で本水の堀端の舞台が回るところなどはいかにも串田和美の美意識を活かしたコクーン歌舞伎らしさを感じた。また立ち回りの中でスローモーションやストップモーションの手法なども取り入れているのも効果的。
前半は庚申丸をめぐっての話が展開。それを取り戻そうとする安森の若党の弥作が奮闘、主人の敵の海老名軍蔵はやっつけたが刀は手に入らずに若殿にお家再興を託して自害する場面なども芝のぶ贔屓としては活躍が嬉しい。とにかく三人吉三が登場するまでが長い。前半に勘九郎と橋之助は三枚目の役で二役を演じてくれるので観る方は楽しさ倍増だから問題はない。
盗人から足を洗った伝吉が営む夜鷹宿での夜鷹たち(獅童・助五郎・芝喜松・小山三)と勘九郎の金貸し太郎右衛門とのドタバタのチャリ場も楽しい。 序幕の幕切れのお嬢とお坊の喧嘩に和尚が割って入ったところの三人吉三揃いの見得を真似た夜鷹たちの二幕目冒頭の鸚鵡の場面なども面白い。割って入る夜鷹うで蛸おいぼ役の助五郎は昨年亡くなった源左衛門。その姿にまた惜しい人をなくした想いが募る。
序幕の最後でやっと登場する福助のお嬢吉三はこれまで私が観た役の中で福助の魅力が一番活きている役だと思った。お嬢様姿から相当すさんだ盗人の男への変貌に凄みがある。楽しんでやっている様子もありありで、それがまた許される役だろう。橋之助も坊ちゃんらしさが出ていてよい。勘九郎の和尚も所化くずれの悪党で三人の中の兄貴分の感じがピッタリ。3人のバランスもよく、本当に観ていて気持ちがいいくらいだ。
二幕目の本所割下水伝吉内の場でおとせと十三郎は再会するが、実は十三郎は伝吉が悪党だった頃に捨てたおとせと双子のきょうだいだったことがわかる(勘太郎と七之助の二人の声がまたなんとも共鳴しあっていて兄弟コンビの妙を感じる)。盗みに入った時に伝吉が殺した犬の胎にいた双子の子犬の呪いで、戌年に生まれたきょうだいが契り合って畜生道に落ちたのだ。因果応報を呪っても遅い。伝吉は盗みに入った安森家の跡継ぎであるお坊吉三に殺されるという報いをも受ける。また伝吉は長子も寺に出していて、実はそれが和尚吉三だった。
3人がバラバラになって時がたち、和尚は旧悪をあらためて巣鴨吉祥院にいたが捕り方がやってきて二人を差し出せば和尚の罪は許すといい、請け負った和尚。そこにお坊やお嬢がやってきてそれぞれ自分たちの関係がわかっていく。おとせと十三も訪ねてきて、伝吉の懺悔を耳にして弟と妹の関係を知った兄として和尚は自ら手を下す。そして二人の首を逃がそうとするお嬢とお坊の身替りにするのだ。親の因果が弟妹の不幸となって報いたことを嘆く場面の勘九郎の思いの爆発はものすごい。みるみる涙があふれ出る。
お坊とお嬢は自害をしようとするが、和尚はそれをとどめ、それぞれが手にしていた百両と庚申丸をそれぞれの実家に届けさせようとする。
大詰は雪が降りしきる「本郷火の見櫓の場」。お嬢吉三は実は八百屋久兵衛の子で女装させられて育てられていた子どもが誘拐されて美人局にまでなっていたという設定。八百屋お七の趣向が最後まで貫かれて火の見櫓の場となる。お嬢とお坊は昼間は動けず日暮れてからは木戸が閉まって届け物ができずにある木戸のところで巡りあう。木戸を開くために櫓に登って太鼓を叩く。合流したところに八百屋久兵衛が現れて百両と庚申丸を託すことができた。そこに偽首がばれて捕まったのを逃げてきた和尚と三人の吉三が揃う。捕り方との立ち回りの末に、3人はそれぞれの罪を背負う身の成敗のために刺し違える。巴に重なりあった上に真っ白に雪が降り積もり、盆が回る幕切れ。
黙阿弥の名台詞が随所に盛り込まれ、盗み、夜鷹宿、殺し、近親相姦、衆道(お嬢とお坊)、因果応報と物語が面白くなる趣向もりだくさんで猥雑な世界がコクーンの舞台に描ききられていた。
これは評判になったのも無理はない。一度ナマで観たくて仕方がなくなる。コクーン歌舞伎の再演希望の筆頭にあげておきたい。
写真はDVDの1枚目の写真をアップで撮影したもの。
さてさて、いよいよ1/4は劇団四季の『鹿鳴館』で初観劇。今年もしっかり観てしっかりと感想をアップしていこう。
追記
近親相姦の不幸な結末についてはこの話もそうだし、オイディプス王でもそうだし、昨年話題の「あわれ、彼女は娼婦」でもそのようで、あまりの救われなさに他の道がないかという思いを抱いていた。そこで偶然手にした井上ひさしの戯曲(文学座で上演)「日の浦姫物語」には救いがあった。兄と妹の間に生まれた息子は知らずに母を娶ってしまう。息子はその事実を知って失明までするつらい修行の暮らしの末、聖となって母であり妻の国に戻る。その二人の間の娘も事情を知った人と結婚するという波乱の末のHappy End。こういう結末もありえるということがわかった上で悲劇を見るとまだ気持ちのやり場があるというものだ。