ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

07/01/04 初観劇は劇団四季「鹿鳴館」

2007-01-13 02:10:38 | 観劇

三島由紀夫の「鹿鳴館」は平幹二朗・佐久間良子の元夫婦とその息子による舞台の初演の時から興味を持ってきたが、見送り。再演時も見送り。そして昨年の劇団四季による初上演もロングランだったが見送り。チラシに書いてあるあらすじを読んでここまで気にしながらずっと見送っているというのはなぜか。三島由紀夫という人間が好きではないからだ。
彼の脚本でこれまで観た舞台は2本。2003年の美輪明宏主演の「黒蜥蜴」と2005年の歌舞伎「鰯売恋曳網」だ。前者はかなり三島美学というものを感じ取れた。後者はこれが三島?と思うほど気取りがなく、他愛のなさが楽しかった。(追記:2005年6月の『近代能楽集』を忘れていたm(_ _)m「卒塔婆小町」「弱法師」)
四季の「鹿鳴館」は東京、名古屋、京都と巡演し、東京での凱旋公演となった。ロングラン中のミュージカルは一通り観てしまって繰り返し観たいと思わなくなっているし、四季の会は12月末の期限が来たら退会手続きをしようと思っていた。チケットがとれたら「鹿鳴館」を会員としてみる最後の舞台にしようと思っていて、年明けの観劇予定が入っていなかったので電話を入れたらとれてしまった。一番端の席なので8列目だったので5000円。S席しか割引がないのが会員メリットがないと思うことのひとつでもあるが最後だからよしとしよう。

自由劇場はこれまで2回来た。最初が2004年10/28に日下武史シャイロックを観に来た「ヴェニスの商人」。同年12月の「コーラスライン」では「秋」での上演の時と比べて小さい空間でのミュージカルの贅沢な濃密さを味わうことができた。(感想はこちら)そして3回目の今回は.....。
あらすじは劇団四季のサイトの「鹿鳴館」のステージガイドをお目通しいただきたい。→こちら
明治19年11月3日の天長節の日、前半は影山伯爵邸の離れにある茶室の前庭で、後半は鹿鳴館の中で台詞劇は展開する。洋装でしゃべっている華族のお客様のところへ伯爵夫人朝子が着物姿で褄をとりながら歩いてくる。野村玲子は舞台では初の着物姿だというが、これがまた似合うと思えない。とても新橋の売れっ子芸者だった女に見えないのだ。野村は目が大きく美しいのだがバタくさく感じてしまう。褄をとってのしぐさなどに粋さのかけらも感じられず、ここでまず引いてしまった。

台詞劇としては劇団四季の誇る朗誦術がいかんなく発揮されて、しっかりと聞き取れる。それが三島の文体の様式性をより際立たせているのだが、日本語の話言葉としてはとても不自然。四季で観たシェイクスピアのような翻訳劇のような感じを持った。外国作品であれば日本語らしくない文体であっても翻訳文なのだから仕方がないと思って聞くだろう。それなのにお話が日本なので違和感が強い。わざとそういうねらいで書かれた脚本なのだと思うが、インテリくささが鼻について仕方がない。そう、インテリっぽい美学をひけらかされている様な気がして仕方がない。
主人公の人物像にも共感できない。売れっ子芸者が思い合う男の子を生んだが、その子の幸せのために正妻の元で育ててもらう。自分は影山伯爵に多分身請けをしてもらって妻となっているのだが、本当に愛したその男に二度と会わないよう心の中で思い続けていけるよう、社交の場に出ないことを信条としていたのだ。その信条を愛する男と息子のために破ることを宣言する。このような朝子を誇り高い人間だとは思えない。自己満足にすぎるし、高らかに宣言していることを愚かしく思ってしまう。主人公に全く共感できないというのもつらいものだ。
その男清原を今回の凱旋公演の配役は石丸幹二だった。「異国の丘」で観て以来だがずいぶんとおじさん役が似合うようになっていた。さすがに石丸と野村という看板ふたりが並ぶと、過去に愛し合い今も気持ちが通じ合う男女の空気が漂うのは嬉しかった。
そして日下武史が登場するとだんだんと影山伯爵の屈折した朝子への想いが舞台に充満していく。政敵へ仕掛けた罠を妻がはずそうとしていることに気づき、その男が妻の愛する男だということを知り、計算高い理性をはずれて嫉妬の心が膨らんでいく。そのどす黒いパワーの増殖を日下武史がたたみかける台詞で描いていく。その重苦しさといったらない。まるで私は蛇ににらまれた蛙のように動けなくされていく。最後の銃声によってそれが緩められるまでの緊縛感.....。

舞台装置は後半の鹿鳴館の内部がよかった。曲がって奥についている階段の上の壁の部分に人々の舞踏の影が影絵のように大きくなったり小さくなったりしていたのが印象深かった。自戒を解いて鹿鳴館の夜会のホステスをかってでた朝子のローブデコルテ姿は野村玲子にとても似合った。やはり洋装の方がいい。観ていても少し落ち着ける。森英恵の衣装も美しくて見ごたえがあったし。
夫の仕掛けた罠に落ちてまず息子が死に、朝子は毅然と離婚して清原のもとへ行くことを宣言する。夫は最後の箍をはずし刺客を放つのだ。内親王殿下たちの来館で鹿鳴館の夜会のクライマックスに仮面夫婦としてのぞむふたりに銃声がかぶる。現実を知ることを避けたまま、朝子は最後のつとめに向かうところで幕。

クラい、暗すぎる~。自己満足にすぎるぞ三島由紀夫。自分の美学をわかる人だけわかればいいっていう描き方が気に入らないぞ。
彼の最後はいかにも身勝手に自分の思想と美学だけを通しての自殺。そのイメージも重なってしまう。今回のプログラムの中に佐々淳行氏が書いた文章で彼の最後を読んだが、やっぱり嫌いなタイプの人間だと思った。

あまりに気分が滅入ってしまって駅に向かう途中で友人に電話。出かける用意の最中と言う彼女と噛みあわない短い会話をした。それでも人の声が聞けてよかった。そうでないとグルグルといつまでも嫌な気分に囚われたままになってしまうから。

かなり否定的なことばかり書いてしまったが、私と相性が合わなかっただけだろう。心中物以外の、それも片方が死ぬ悲恋物とかマイナスの情念が舞台を支配する作品が最近ダメである。「アンナ・カレーニナ」も然り「タンゴ・冬の終わりに」も然り。私の方までマイナスの情念に振り回されてしまい、遠くから見守れないのだ。

劇団四季の総力を挙げただけのことはあって、舞台の完成度はかなり高い。一見の価値は十分にあった。平幹二朗・佐久間良子でまた再演があったらそちらで一度は観てしまうかもしれない。佐久間良子の方が着物が似合うだろうし、四季の朗誦術をはずしたところで観て、今回との比較をしてみたいと思った。

写真はスタンプラリーカードにあったものを携帯のカメラで接写。