今川映美子 のシューベルト演奏は、曲に拠って集中力が漲っている曲(ソロではイ短調ソナタD784)と開放している曲(ソロではイ長調ソナタD664)がある。
曲に対しての解釈かも知れないし、体力的に連続して緊張を保持するのが長過ぎる可能性もある。イ短調ソナタD784 の集中度は極めて高く、両端楽章での ピアニッシモ から フォルティシモ までの巾広さが(今川にとって)心に迫って来る。イ長調ソナタD664 では、ピアノ方向にあまり音を絞らない。結果としてデュナーミクはイ短調ソナタに比べて狭い範囲での音楽作りとなった。この2曲を並べるピアニストは多いが、今川ほど 傾向の違う演奏を並べるのは初めて聴いた。
後半は、ヴァイオリンの 小森谷巧 を招いての2重奏。ソナタ第3番ト短調D408 と 幻想曲ハ長調D934。
ト短調ソナタD408 第1楽章冒頭で4小節ピアノのダブルオクターブとユニゾンでヴァイオリンが共にフォルテを鳴らす。驚いたのは第12小節でヴァイオリンが入って来た瞬間。
小森谷巧のヴァイオリンが「ここはデュナーミクがピアノですよ!」と囁くように入って来たこと! すぐに 今川映美子 もバランスを取る!!
第1主題呈示の後半のフレーズに当たるが、「ヴァイオリン」と「ピアノの左手」がユニゾンになっているのだが、これほど息の合った演奏は初めて聴いた。呈示部ではこの後、第32小節からの3小節だけがフォルテで、長い時間を「ピアノ」で通すのだが、今川と小森谷の旋律の受け渡しが何と細やかな表情だったことだろう!
呈示部が繰り返され、展開部に入るとデュナーミクが mf → f になるのが、はっきり手に取るように説得力を持ち聴こえて来る。シューベルトの曲は多くが「ピアノ または ピアニッシモ が基調」が多いのだが、この ト短調ソナタ も特に前半2楽章は「ピアノが基調」。もちろん、第3楽章メヌエット主部終結や第4楽章終結部のフォルティシモはたっぷりと鳴らされる。
さて、この演奏会で圧巻だったのが 幻想曲ハ長調D934 であった。この曲は「ヴァイオリン + ピアノ のための最後の曲」に当たるのだが、ピアノ も ヴァイオリン も技巧が難し過ぎて、演奏が敬遠されている曲。シューベルト生前に演奏されているのだが、難しいパッセージ をゆっくり弾いたようで、高い評判を取ることが出来なかったほどである。ちなみに現代でも事情はほとんど変わりなく、出てくるCDが次から次に「シューベルトの意図通りには弾かれていない」曲であることは、前編にて述べた通りである。
今川映美子 + 小森谷巧 は、全く違った。
「シューベルトの静寂さ」を無限に感じさせるピアニッシモが、ホールを包む
「Adagio」ではピアニッシモが全ての世界を覆っているかのよう! 小森谷巧のヴァイオリンはこんなに繊細だったのか!(読響コンサートマスターで聴く限りだとわからん!) 今川映美子 のピアニッシモの透き通っていること!!
夢のような「Adagio ハ長調」から「Allegretto イ短調」に移る。大半のヴァイオリン奏者が「思いっ切り弾き切ってしまう箇所」だ。小森谷巧 は全く違った。「抑えめのフォルテ」で通す。
フォルティシモは「わが挨拶を送ろう」D741を主題とする変イ長調の「変奏曲」まで、シューベルト指示通り「取っておく」
だった。もちろん、今川映美子 との「息」はピタリと合っている!
小森谷巧 + 今川映美子 の演奏だと、幻想曲ハ長調D934 は「わが挨拶を送ろう」D741を主題とした「変奏曲」が基調になり拡大した幻想曲の「シューベルトの構想」がはっきり伝わる!
長くなったので、フィナーレについて1言だけ。フィナーレのフォルティシモの箇所に来たら、小森谷巧 はこの日1度も見せなかった「弓の上端ぎりぎりまでのボーイング」でそれは印象的にフォルティシモを鳴らし、今川映美子 も呼応し深いペダリングを用いて行く。交響曲「グレート」D944 や 弦楽五重奏曲D956 の世界が眼前に現れたかのよう!