未完成交響曲から「ザウアー&ライデスドルフ専属契約時代」 = シューベルト中期後半
「オペラの時代」が終わっても、オペラ作曲をシューベルトは止められなかった。1823.10.02 までオペラ作曲を続けた。(結局、1820年の2つのオペラ以外はシューベルトオペラは生前上演されることは無かった。)だが、この期間に重大な変化があった。
1823.04.10 - 1824.12.18 ザウアー&ライデスドルフ専属契約作曲家 となる
實吉晴夫 訳・解説「シューベルトの手紙」(1997メタモル出版)P111 -115 に『1823.04.10付 カッピ&ディアベリ社宛書簡』に強い口調で詰め寄った手紙が掲載されており。この手紙は極めて有名だが、大切なことが為されていない。少なくとも私高本は読んだことが無い。それは
1823年4月10日は、シューベルト「作品20 3つの歌曲」が ザウアー&ライデスドルフ社から出版されたまさに当日!
の事実。カッピ と ディアベリ は、他の出版社から「シューベルト歌曲」がしかも「作品番号付」で出版されたのを見て、どんなに驚いたことか!!
連弾曲について、出版順(作品番号順では無い!)に並べ替えて見よう。出版されなかった曲は後に推定作曲順で並べてある。
ザウアー&ライデスドルフ専属契約時代作曲の連弾曲出版順一覧
D617 作品30 1823.12.30ザウアー&ライデスドルフ出版 ソナタ 変ロ長調
D602 作品27 1824.12.18ザウアー&ライデスドルフ出版 3つの行進曲
D813 作品35 1825.02.09ザウアー&ライデスドルフ出版 自作主題による8つの変奏曲変イ長調 Zelis 1824.06作曲の証拠の手紙あり
D675 作品34 1825.02.28カッピ出版 序曲ヘ長調
D819 作品40 1825.05.07ザウアー&ライデスドルフ出版 6つの行進曲
D773 作品52(後に作品69に訂正)1827.02.20ザウアー&ライデスドルフ出版 「アルフォンソとエレストレッラ」序曲
D812 生前未出版 1824.06Zelis作曲 ソナタ ハ長調
D814 生前未出版 1824.07Zelis作曲 4つのレントラー(実際は6つのレントラー)
D798 生前未出版 自筆譜に年月日記入無し 「フィエラブラス」序曲
これは「あくまで出版順」である。だが重要な資料である。
ザウアー&ライデスドルフ は「出版した連弾曲」は「作曲順 = 受け取った順」通りに出版している!
ことに注目! シューベルトは「5で割り切れる数字の作品番号を早めに出版する癖」が生涯抜けなかった。「多く出版しているように見せかけたかった」ためと推測される。前の一覧の内「ザウアー&ライデスドルフ出版だけ」を抽出してみよう。
ザウアー&ライデスドルフ社専属時代作曲の『ザウアー&ライデスドルフ社出版』一覧
D617 作品30 1823.12.30ザウアー&ライデスドルフ出版 ソナタ 変ロ長調
D602 作品27 1824.12.18ザウアー&ライデスドルフ出版 3つの行進曲
D813 作品35 1825.02.09ザウアー&ライデスドルフ出版 自作主題による8つの変奏曲変イ長調 Zelis 1824.06作曲の証拠の手紙あり
D819 作品40 1825.05.07ザウアー&ライデスドルフ出版 6つの行進曲
D773 作品52(後に作品69に訂正)1827.02.20ザウアー&ライデスドルフ出版 「アルフォンソとエレストレッラ」序曲
おかしなことに気付かれた読者の方も多いことだろう。そう、
出版が相当に遅い曲が少なくとも2曲ある(D819,D773)
名作「美しき水車小屋の娘」作品25 の時を思い出して頂きたい。
1823.10(遅くとも11月)「美しき水車小屋の娘」作曲完了。即時ザウアー&ライデスドルフ社に楽譜渡す
1824.02.17 第1巻(No.1 - 4)ザウアー&ライデスドルフ出版
1824.03.24 第2巻(No.5 - 9)ザウアー&ライデスドルフ出版
1824.08.12 第3 - 5巻(No.10 - 20)ザウアー&ライデスドルフ出版
う~ん、名作「美しき水車小屋の娘」でさえ、作曲後10ヶ月以上経過してからの出版完了。さらに言えば、弦楽四重奏曲第14番ニ短調「死と乙女」D810 を作曲依頼しておきながら出版拒絶、なんて愚挙にも及んでいる(泣
D813の変奏曲は間違いなく1824.06に Zelis にて完了しており、当地で演奏され大好評を得たことを兄フェルディナンド宛の手紙で報告している。すると
D813変奏曲 は、作曲 → 出版 に8ヶ月掛かった計算
になり、「美しき水車小屋の娘」と大体合致する。つまり(最初期の気合が充満していた時期を除けば)
ザウアー&ライデスドルフ は、シューベルトから楽譜を受け取ってから出版までに平均8~9ヶ月食っていた計算
となる。「アルフォンソとエレストレッラ」序曲は「専属契約」放棄されて呆然としたのが、さらに遅延した原因だろうが。
ザウアー&ライデスドルフ専属契約時代作曲の連弾曲『推定作曲順』一覧
D617 作品30 1823.12.30ザウアー&ライデスドルフ出版 ソナタ 変ロ長調
D602 作品27 1824.12.18ザウアー&ライデスドルフ出版 3つの行進曲
D812 生前未出版 1824.06Zelis作曲 ソナタ ハ長調
D813 作品35 1825.02.09ザウアー&ライデスドルフ出版 自作主題による8つの変奏曲変イ長調 Zelis 1824.06作曲の証拠の手紙あり
D814 生前未出版 1824.07Zelis作曲 4つのレントラー(実際は6つのレントラー)
D819 作品40 1825.05.07ザウアー&ライデスドルフ出版 6つの行進曲
D773 作品52(後に作品69に訂正)1827.02.20ザウアー&ライデスドルフ出版 「アルフォンソとエレストレッラ」序曲
D798 生前未出版 自筆譜に年月日記入無し 「フィエラブラス」序曲
D675 作品34 1825.02.28カッピ出版 序曲ヘ長調
この時期の連弾曲は「生前出版」された曲は全部が全部現在では自筆譜&筆写譜が一切残っていないので、「作曲年月日詳細」は不明な点が多い。そして、これだけは明言できるだろう。
序曲D675 を除く「シューベルト中期後半の連弾曲」は『ザウアー&ライデスドルフの委嘱作品』だったが、出版拒絶された作品が3つもあった!
である。
シューベルトは「出来る限りの対応策」を取った。
D814 の「続きの第5番&第6番」を『ザウアー&ライデスドルフ社専属時代からの解放』作品である「作品33 ドイツ舞曲とエコセーズD783」に2手ピアノに編曲して混ぜてカッピ社から出版した!
である。これも「ドイチュ番号が逆転」しているので、私高本以外は全員見逃しているんだよな~(泣
こんなに書いたが、佐伯周子 + 草冬香 は今回ジョイントリサイタルでこの時期の作品は演奏しないじゃないか!!!