Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

シューベルト連弾概論 2(No.2004)

2012-02-22 14:37:16 | 作曲家・シューベルト(1797-1828

「声楽無しのミサ曲」を目指した(?)シューベルト幼少期の連弾幻想曲


  何を手本にしたのか? さえ未だ解明されていない「幼少期の幻想曲」4曲。(アインシュタインは、モーツァルトの時計オルガン小品 K594 & K608 を挙げるが説得力無し)、特に最後の D48 は、きちんとした弦楽四重奏曲を4曲(D94,D32,D36,D46)作曲した後なのに、冒頭調性が回帰しないで終曲してしまう点について、「誰をも納得できる説明」が出来た音楽学者は過去皆無。

シューベルト幼少期は、ピアノソナタを除く主要曲種が作曲されたが、弦楽四重奏曲 と ミサ曲冒頭「キリエ」が多いのが特徴の1つ


 ミサ曲は「主調で終曲する」ルールは無い。幼き日のシューベルトがキリエなど「ミサ曲」をを作曲しても、上演した痕跡が無い。弦楽四重奏曲は「パート譜」が残っているのだが、「キリエ」はミサ曲第1番ヘ長調D105 より前は、パート譜が残っていないのだ。(D31,D45,D49,D66)
 「ミサ曲のような多楽章楽曲を作曲できる!」を示すには、連弾幻想曲D48 を友だちと共に弾いて聴かせて、リヒテンタール教会から「ミサ曲第1番の上演の確約」を得た、と推測される。D48終曲はフーガになっており、ミサ曲に「必要な技巧」は全て習得したことが聴き手に伝わる設計になっている。


実際に演奏するための シューベルト前期連弾曲集


  1813.06.10 に幻想曲D48 を作曲してから、しばらくシューベルトは連弾曲を作曲しなかった。器楽曲の興味の中心は以下のように動く。

連弾 → 弦楽四重奏曲(1812.10 - 1816) → ヴァイオリンソナタ+ピアノソナタ(1816.03 - 1817.11) → 連弾(1817.11 - 1819.10)


 これで前期までを全てカヴァーしている。「弦楽四重奏曲期」には連弾幻想曲1曲とピアノソナタ2曲があるが、見事なまでジャンルが特定時期に集中している。
 弦楽四重奏曲は初め「父親+2名の兄+シューベルト自身」で家庭内で演奏された。D74 以降は、学校の仲間とも演奏したようだ。

 さて、4年半空白期間の後に、連弾曲に戻って来たのは

「神聖ローマ帝国皇帝」の下で「元帝室付き俳優カルル・F・ミュラーの私的音楽朗読会」にて公衆での演奏依頼が来たから、イタリア風序曲 ニ長調D590 & ハ長調D591 を連弾に編曲した


ことが引き金となった。元の「オーケストラ版イタリア風序曲」自体も、シューベルト初の「金銭が支払われた委嘱作品」と考えられているので、『イタリア風序曲は出世作』である。

シューベルト前期連弾作品推定作曲順一覧



  1. D597 1817.11


  2. D592 1817.12


  3. D608 1818.01


  4. D599 1818.07(後の作品75)


  5. D618A 1818.07


  6. D968 1818.08頃 Zelis


  7. D618 1818.08頃 Zelis


  8. D624 1818.09 Zelis(後の作品10)


  9. D668 1819.10



 この時期の連弾曲は「作曲即出版」になっていないので、自筆譜 または 筆写譜 が豊富に残っている。全9作品が全部または一部の自筆譜 または 筆写譜 が残っている。作曲年記載が全く無いのが、D968 だが、最新研究では「1818年 Zelis」が紙質から最も可能性が高い、と推定されている。他ジャンル作品と照合すると、「9月」と書いてある作品以外で「Zelis」とだけ記載がある作品は前月8月の可能性が大。
 『ドイチュ番号作品カタログ新版(1978)』の通りに並べ、D968 を D618 の前に入れる(どちらが先かは全くわからない!)と上記の作曲順になる。D618A は D599第4曲に続けて作曲されているので確定。D597 は11月、D592 は12月も明記されている!

  1. D597 1817.11 → 1818.03演奏会で披露するため


  2. D592 1817.12 → 1818.03演奏会で披露するため


  3. D608 1818.01 → 上記2曲を作曲して意欲が漲り作曲するも中間での移調部分が思うように仕上がっていない未完成


  4. D599 1818.07(後の作品75) → ゼレチュ旅行での演奏&教育用


  5. D618A 1818.07 → ゼレチュ旅行での演奏&教育用。未完成


  6. D968 1818.08頃 Zelis → ゼレチュ旅行での教育用。詳細な「指遣い」が記入されている唯一の作品!


  7. D618 1818.08頃 Zelis → ゼレチュ旅行での演奏&教育用


  8. D624 1818.09 Zelis(後の作品10) → 本格的な演奏用。連弾作品に限らず、ピアノ作品中最高の自信作だった


  9. D668 1819.10 → 本格的な演奏用



 誰と演奏したか? と問われれば「シューベルティアーデの仲間たち」や「ゼレチュのヨハン・エステルハージ伯爵の2人の令嬢」である。10年後の1828年には、シューベルト連弾曲最高傑作=幻想曲ヘ短調D940 op.103 を献呈した カロリーネ・エステルハージ は妹の方であり、この時はまだ幼く12才。D968 の指遣いを必死にさらったことだろう! そう「エステルハージ伯爵令嬢の音楽家庭教師」として2度に亘り、ゼレチュに招かれたシューベルトは、「連弾曲はエステルハージ伯爵令嬢」でも楽しめるように作曲した作品が多いことには留意しておいて頂きたい。(これをあまりにも硬直的に受け入れてしまったのが、オットー・ドイチュ であるのだが)

 さて、佐伯周子 + 草冬香 が演奏する「イタリア風序曲」ニ長調D592 について詳述しておこう。オーケストラ曲を振る人はオーケストラ版しか研究しないし、連弾曲弾く人は連弾曲しか研究しない。ベーレンライター新シューベルト全集読んでも書いてないこと書くぞ(爆

1817年「イタリア風序曲」作曲&編曲経緯



  1. 1817.11 オットー・ハトヴィヒ からオーケストラ用「イタリア風序曲」1曲の作品委嘱


  2. 1817.11 「イタリア風序曲」ニ長調D590 作曲するも満足せず


  3. 1817.11 「イタリア風序曲」ハ長調D591 作曲。パート譜もシューベルト自身が書く


  4. 1817.11 オットー・ハトヴィヒ邸(ウィーン)で演奏。大好評を得る。


  5. 1817.11 カルル・F・ミュラー から、「ピアノ連弾用」で公開演奏会を持ちかけられる


  6. 1817.11 「イタリア風序曲」ハ長調D591 を『オーケストラ版の通り』にピアノ連弾編曲D597


  7. 1817.12 「イタリア風序曲」ニ長調D590 を『改良して』ピアノ連弾編曲D592


  8. 1818.03 カルル・F・ミュラーの私的音楽朗読会にて連弾にて D597 &
    D592演奏される


  9. 1820.08.19初演 オペラ「魔法の竪琴」D644序曲にD590(D592)の序奏部の1部がほとんどそのままの形で転用される(ハ長調に移調して)


  10. 1823.12.20初演 音楽劇「ロザムンデ」D797序曲に、「魔法の竪琴」序曲が全くそのまま転用される



 シューベルトのオペラや劇音楽のジャンルでは、「ロザムンデ」が抜群に高い人気を持っており、「ロザムンデ」ばかりが演奏される。(「アルフォンソとエレストレッラ」D732 も 「フィエラブラス」D796 もDVD以外では観たこと無い!)つまり

シューベルト「序曲」中、最人気作の元となった作品が「イタリア風序曲」ニ長調であり、D592 は改良版!


である。佐伯周子 + 草冬香 の演奏で楽しんで頂ければ幸いである。
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