Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

超絶絶後の座付き管弦楽

2021-07-29 | 
今回の再演「サロメ」はエグかった。舞台は殆ど見ずに奈落ばかりを見ていた。一挙に1時間45分の音の絵巻が渦巻いた。往路の車では初日シリーズでのまさにそのパブリックヴューイング時の映像を流していたが、音楽的な解釈は変わらなくともその演奏は全く異なっていた。

兎に角、先日のブラームスやメンデルスゾーンなどでも感じたが、硬軟の切り替えが一瞬にして行われて、どんなLED光源よりも早いのではないかと思われる指揮とそれに反応する管弦楽は観たことも聴いたこともない。管弦楽団の歴史の頂点とされるショルティ指揮シカゴ交響楽団にもあんな機動性の良さはなかった。同時期のカラヤン指揮のベルリナーフィルハーモニカーはもう鈍重になっていた。

新制作シリーズでも読み直してみると同じようなことが書いてあるが、今回は指揮の一部始終が見えさらにその身の変わり方の変化、そして楽団の反応が手に通るように見えたので、そしてその見事さ更に徹底に驚愕した。ことこまめに舞台にキューを与える一方ペトレンコの目は楽譜の上を走っていた。あそこまでプロの指揮者が追っているのは初めて見た。それほど管弦楽の指示にも微に入り細を穿つで一体どこまでやるのだろうという殆どエゴに近いものを感じた。そしていたる所に楽譜で確かめておかないといけないような音響があった。

しかしそこからが今までの厳しい指揮者とは峻別されるところで、楽員はどこまでもムジツィーレンしてどこまでもイメージ豊かな音を出す。あんなに柔らかく浮いたような響きはフランスの音楽でもなかなか聞けないと思うや否やあまりにも鋭く音色とも取れないほどミリ単位の音響が響く。あのピエールブーレーズでも出せなかった響きである。こんなに表現の幅が大きいなんて、現時点のベルリナーフィルハーモニカーでも無理だ。

そしてそれが奈落から座付き楽団の音として声に合わさるという未だ嘗てない音楽劇場となっていた。生憎、私の座った席からは明瞭な歌声が反対からの反射で聴き取れないので、その全体的な効果は限定的だったが、当夜の宮廷歌手授与式でもマルリス・ペーターセンは管弦楽団への賛辞を忘れなかった。要するに声が消えずに歌いやすいということに尽きるだろう。



参照:
破壊された壁画への観照 2019-07-13 | 文学・思想
欧州のユダヤ人感への評価 2019-07-08 | 歴史・時事

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