Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

自然環境に内包される社会

2009-06-16 | アウトドーア・環境
ドイツの森の登山道の標識について考えた。先月長距離ヴァンデルングに歩いた場所では、当日マウンテンバイクの競技があったので、通常以上に目印などが錯綜していた。しかしその多くは、道路上に白い砂が盛られるなど、戦いが終われば必要ないものは自然に消えるように工夫されて、常設の道しるべとは一線を隔していた。テーピングなどもあったが、それらは試合後に取り除かれていると想像する。

そうした事情を僅かながらも例を挙げて紹介する。最近よく使う駐車場にプフェルツァーヴァルト・フェアラインの標示板がある。その森の所有権とは別にこうして森の中をハイキングできるように道が整備されている。中山山域に広がるドイツの森の特徴は、そこに隈なく走る林道とその道に交差平行するような遊歩道であろう。

特にプェルツァー森の場合は、既に百年以上の歴史のある上の団体が標識などを整備している。自らが森を歩く会員の裾野は広く、それだけに潤沢な資財があるに違いない。もちろんそれ以前の森の中の抜け道や歴史的な道筋には石像やそれを踏襲した道しるべなどがあるのは言うまでもない。

ついでに挙げると、こうした森を舞台にアウトドーア活動をする団体として、各地にある「自然友好の家協会」、「ドイツ山岳協会地域支部」の三大団体があり、それに便乗する形でその整備された道で乗馬する者も少なくない。最近はそこにノルディックウォーキングやマウンテンバイクの愛好家関連のものが増えている。

しかし、実際には各所に散在する小屋などを中心に、永い活動の歴史があり、さらに現在もそうした団体の活動が盛んである事から、標識などは常に新しく追加されて来ているよな按配で整備保守がなされている。

そうした整備保守が、その地所の所有の公的私的に関わらず、私的な同好の志によって支えられている事と、自治の志と無関係ではあるまい。その自治精神を持った社会性が、新興の競技や娯楽のあり方に対しても、共存共栄の可能性を開いているといえるだろうか。

それとは対象的に神戸の六甲山は、日本のゴルフだけでなく岩登りやレジャーハイキングなどのアウトドーアスポーツの黎明期に深く関わっているにも拘らず、そこにおける都市近郊での様々な活動のあるべき筈の大きな流れがなぜか砂防ダムに堰き止められているかのように、それは中断して澱み顧みられることがないように思う。それはそこに些かの繋がりをもつ者のつまらぬ感傷であろうか?否、それは、違う。

自治管理と歴史認識という空間認識と時間認識の差に、自己を取り囲む自然環境への把握の差として、そこに文化的差異が生じている。



参照:
『西山谷』最上流部
6月12日 梅雨?『六甲山 西山谷』滝で遊ぶ(1)
5月15日 荒地山 気になっていた怪しいコ-ス探査
山での標準基準・知識やコンセンサスの欠如が問題か。
悪化しています。六甲山の落書きペィント
4月9日 芦屋ロックガ-デンにて、意識の違い (NEXT DREAM 記憶と記録)
忙しい日をじっくりと終える 2009-06-11 | 暦
効きが悪かったヴァイツェン 2009-05-10 | アウトドーア・環境
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まろやかな味にリースリング

2009-06-15 | 料理
胃袋にニコゴリでとじた肉を詰めた特産品シュヴァールテンマーゲンを買った。燻製物の方が味が強いのでサラダにすると良いと言うので試した。結果から言うと、燻製の味は強くても、塩気などが薄く、ソースを強めにスパイシーにしないと、特にチーズをいれたので、味がまろやか過ぎる。

ドイツ料理はただ綺麗に薄味にしたら上品に美味くできると言うものではない。なかなかそのコクを出すのが難しいのである。

ワインは、ゲオルク・モスバッハ-のソヴィニオン・ブランの第一樽を先日の第二樽に続いて開けた。第二樽の方がまろやかにという予想を裏切って、第一樽の方が瓶で熟成していた間があって、更に香りが強く出る。現時点では樽で幾らか香味が深まった第二樽よりも第一樽の方が美味い。しかし、やはり第一樽の方にうすべったさがあるような気がする。

この料理のまろやかさならば、やはり繊細なリースリングの方が断然料理を引き立てると改めて感じた。
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同じ側の人と錯覚する民

2009-06-14 | マスメディア批評
麻生首相のFAZ単独インタヴューを読んだ。自民党長期政権の幕引き役として、世継ぎ政治家の代表として、世間の厳しい目を浴びる政治家として、小泉に比べても比較的登場回数の多い日本の政治家である。恐らく取り巻きに旧在独大使などの外交官が少なくないのであろう。

それは、漫画知能の大人と呼ばれ言葉を知らない筈の麻生太郎が大変立派過ぎるインタヴューをこなしている事で確信した。一部の隙もない受け応えである。この政治家はあまり知らないので何とも言えないが、日本での一般の報道に見る漫画馬鹿とは大分違う。

FAZにおいて、大事件を、特に外交問題や世界的な災いを舞台として、なんとか敗戦決定ムードの自由民主党を救うスタンドプレーをしたい首相とされているが、それを今回は北鮮への制裁を軸に展開しているのを紹介している。G8のイタリア参加後の解散を眼中にいれての内外へ向けての日本の指導的な立場と麻生の指導的な立場を示すべくこの機会が慎重に選ばれたのはよく理解出来る。

更に常任理事国入りを目指すドイツ連邦共和国や日本の立場を代弁するような形式が取られているので、このインタヴューの骨子を書いたのは一体誰だろうかと訝るほど優れているのである。FAZの第二面の大半を飾る価値ある内容である。

その中でも、先日来日本の報道にて話題となっていた好戦的な態度は過不足無く示されていて、まさに地声の響きとその内容は全く矛盾していない。

要するに、予防的な先制攻撃行使する訳ではないが、あらゆる手を打った後に危険性があれば、攻撃も辞さないと言う個別的自衛権の拡大解釈の可能性を憲法九条の下で「目には目を」の大変「外交的な発言」をしている。同時に自衛隊にはそうした攻撃的な軍事力はないので、日米安保条約の範疇においての役割分担として集団的防衛権に一歩踏み出すような発言は見逃せない。新聞が語るように、なにも日本共産党だけでなく、リベラルなパシフィストにとって聞き捨てならないであろう。

他の記事で大阪府橋本知事の写真を使って、民主党の鳩山帝国を含む世襲政治家やら特権小階級への国民の批判の声の圧力の増大にも触れているが、ああした政治家が幾ら国土の防衛や国民経済の繁栄と言っても誰も信じるものはいまい。

13兆円とは言えないでもセメント会社よりも価値のあるものをスイスなどに持ち出し例え祖国がどのようになろうとも何一つ堪えない階級が為政者であるのは、選挙民を欺いているとしか言えないであろう。政権交代は、麻生首相が言うように決して目的ではないのである。

同じような顔をして、同じ言語使って漫画を愛好していても、たとえ皇室の縁組をしていても、決して同じ側の人間であると中産階級は錯覚してはいけない。



参照:
Jetzt ist Zeit für Druck auf Nordkorea, Im Gespräch mit Taro Aso, FAZ vom 12.06.09
Aso schöpft neue Zuversicht, von Petra Kolomko, FAZ vom 14.05.09
Japans Politdynastien, von Petra Kolonko, FAZ vom 10.06.09
「歴史と市民意識」の葛藤に思慮が及ばぬ「日本核武装論」 (toxandoria の日記、アートと社会)
情報の洪水を汲み尽くす阿呆 2009-04-12 | マスメディア批評
歴史を導くプロパガンダ 2009-04-05 | 歴史・時事
宵越しの金は持たないと嘯く 2009-04-03 | 歴史・時事
社会不安を煽りたい麻生 2009-02-12 | マスメディア批評
幼児化の文化教育政策 2009-01-20 | マスメディア批評
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出もの腫れもの処嫌わず

2009-06-13 | 文学・思想
排便をすると何か調子がおかしい。肛門の周りに小豆大の膨らみがある。出来物のようだが、只の吹き出物のような感じである。早速、抗生物質を投与して様子をみる。なるほど先の水曜日頃からもう一つ体が重く感じたのはこのせいだろう。

痔とかその他の泌尿器科の病気は、皮膚病を除いて、したことがないが、なるほど少しのポリーブなどで体調を壊すのはこうした物理的な引っかかり一つで体調に係わるのをみても納得出来るのである。「出もの腫れもの処嫌わず」とは、寅さんの口上だったように思う。

さて、シュリンゲンジーフの癌闘病記を読んで、後半は前半の口述の書き起こしとは異なって、読み返さないといけない部分が多々出て来たので、幾つかの要点だけ記憶の侭全体を振り返って書き連ねる。

一つ、一年前の父親の死と自己の疾病の重ね合わせ。
一つ、発病時期がバイロイトのパルシファル演出時期と重なっていた事からの怨念への懐疑。
一つ、老いた母親以上に、死者である父親への語りかけ。
一つ、カトリックの家庭に育ち、カトリックの生死感を基準としてそこからの逸脱。
一つ、気休めでしかない高価な抗がん剤や化学療法への違和感を解消するためにシュタイナーの人智学への傾倒。
一つ、芸術家として必ずヨゼフ・ボイスへと回帰。
一つ、安楽死への興味と判断。
一つ、婚約と子作りへの関心や遺書の作成。
一つ、化学療法前の精子検査とその結果養子への言及。
一つ、輪廻思想と他人への寛容。
一つ、感情を押し殺さない号泣のカタリシス。

去年のクリスマス前からクリスマス後にて筆が置かれている。ハイライトとして、「(転移から残された肺に見つかった)癌病巣を保持しての最後の待降節」の夜、車椅子の母親と最後の聖夜を手を取りあって過ごす。

プロテスタンティズムの米国映画なら、美しく悲しくエンディングとなってしまうのだが、決してそのような表層的な希望に満ちた奇麗事では終らない。

許婚のアイノは今度生まれ変わってきたら、日本人になりたいと言う。そして二人とも決して米国人としては育ちたくないと合意する。

作者は、森の中を手術後の付いた裸で歩き回るのを映像化すると言うが、私は腹の調子を整えるためにも、パンを取りに行くついでに、森の中5.1KMを一時間程服を来て歩いた。



参照:
SCHLINGENSIEF
SCHLINGENBLOG
自然な不可逆な視線 2009-06-12 | アウトドーア・環境
若き芸術家の癌病闘日記 2009-06-07 | 文化一般
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自然な不可逆な視線

2009-06-12 | アウトドーア・環境
白馬村に住んでいる友人と話した。ネット環境にも無く、別荘は携帯電話しか繋がらない。四十分ほど電話した。ネット経由で三ユーロほど費やした。

それでもその家の環境や概要がネット地図や衛星写真をみながら分かった。一度機会があったら泊りに行きたいと思う。

神戸に住んでいる奥さんと先日電話した時、喰っては寝ての生活をしているので運動不足で困っていると聞いたので、少なくとも奥さんの勧めで欧州アルプスキャンプに訪れるなら平素から運動しておいてくれと言った。

記憶から彼の年齢を計算すると、七十に手が届こうとしている。折角の環境に居ながら、十分に歩き込めていないようだ。岩登りも昨年ぐらいに芦屋のロックガーデンで一寸遊んだぐらいだという。皆が古い道具を持ち寄ったと言うから面白い。

近くには練習する場所もないと言うのでネットで検索すると松川ボルダーとかウイング21の人工壁とかが出てきた。場所はない訳ではないが仲間がいないとなかなか続かない。

二次定年ともなるので時間は出来そうだが、やはり健康である内に出来る事をして措かないと、一度大病をしてしまうと可能性を失ってしまう。クリストフ・シュリンゲンジーフの著書を最後まで目を通して、その物理的なものだけでなく、心理的な不可逆なものを考えると余計にその感は強い。TVのインタヴューで、スキーに出かけた友人が態々電話して来て、「お前に見せたい」と大自然の中から挨拶した事を称して、「自分は二度とそのような所でスノーボードに乗る事は出来ないのに、馬鹿らしい」と切り捨てたが、なるほど生と死の向こう側に一度立つとどうしてもそうしたコミュニケーションは難しくなるに違いない。

健康と運動は短期的には殆ど関係がないと思われるが、一度突然の疾病に襲われれば、思うように身体を動かすことが出来なくなる事ぐらいはある年齢に達したものを肝に銘じて措く必要があるだろう。

上の友人が、夏季にしろ冬季にしろ訪れれば、遊びに行くところは事欠かない。しかし、本人だけでなく、此方もそれだけ健康であるのが前提なのである。
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忙しい日をじっくりと終える

2009-06-11 | 
一日中忙しかった。それでも夕方には無理をしてでも石切り場に足を運ぶ。暫らく見かけなかった手術をした仲間とも久しぶりに登れて嬉しかった。まだ本調子ではないようだが、此方は登り調子なので、競争心で張り合って行きたい。

蒸し暑く、半年も日本でパン工場の機械設置で滞在したメカニックの男と日本の梅雨のようだと話した。案の定、ちらちらと水滴がぱらついた。

体が重く調子は良くなかったが、その分じっくりと登ることが出来てそれはそれなりに良い経験となった。

金曜日の朝から近郊に出かける話も出てきたので、便乗しようと思っている。今晩雨が降ってしまって、気持ち良い天気になってくれれば良いと願っている。

今日は適当な所で終えて金曜日に備えた。明日は聖体節で、ダイデスヘイムの歩道には至るところ緑の小枝が積まれていた。行進でもするのだろうか?
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執行猶予期間を先送りする

2009-06-10 | 生活
雹が降った。フォルスト以北、カールシュタット辺りまでだろうか?三分間も続かなかったが、心配になって肉を買いに行くと、近所の農家の親仁が暢気そうな顔をしていたので安心した。

弁護士と電話で話した。先のスピード違反の件である。写真に他の車両が写っていない事は初めから分かっていたのだが、証明する義務があるかどうか聞いた。

法廷で証言をするのは権利であるが、一律的な罰則制度においてはその事情は考慮されないと言う。

何れにしても罰則への期間は、異議申し立てで停止しているので、同時に猶予期間四か月も停止されている。何れ裁判所から連絡が来るのを待って、最終判断をすれば良いと言う。

どうも自身で過去の判例などを調べて、類似の判断基準から弁護士の尻を叩かないと駄目なような印象を受けた。免許停止の免除などと戦略を代えられては承知出来ない。弁護士を替える事も出来るが、先ずは自分なりに満足行く法廷闘争の方針を見つけなければいけない。

一か月の免停は、自宅にいたとしても自転車で走り回る楽しみがあるので全く構わないのだが、処罰が承知出来ないのである。
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自治と欧州の狭間の緑

2009-06-09 | アウトドーア・環境
金曜日の月例会の席で選挙のことが話題となっていた。話し手は職人であるが、自治体選挙の争点は現実的な問題であるからそれほどイデオロギーによって差が生じる訳ではなく、ただ背後の政党の名前が大きく示されるだけの違いだと言い切り、棄権も声だと力説していた。同時に行なわれた欧州議会選挙も大変投票率は低かった。オペルへの対応でも大手百貨店チェーン倒産の問題も社会主義者の論のように財政支援による職場の維持は最終的に自らの税金の無駄遣いに終る事を国民は学んで来ている。シュレーダー時世のような騙しには納税者は乗らない。

結果は、地方選・欧州戦とも、緑の党の躍進が大きい。シュツッツガルトでは第一党になったと言う。自由党の続伸傾向は予想通りであるが、緑の党の予想以上の善戦から念願の第三党とはならなかった。

自由党への評の多くはメルケル首相の自由社会主義路線を嫌った保守層のものである。社会主義政党の赤色は今やネオナチの赤色と変わらなく映るようになって来ている。今秋の総選挙への流れは、徐々に定まって来ているように思える。
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Fast In, Fast Out!

2009-06-08 | ワイン
ワールドカップに日本代表が一番乗りと世界中で報道されている。もちろん口の悪い我らは、ファスト・イン、ファスト・アウトと自動車教習所のような言葉を後に付ける。ドイツ大会でのそれのように。

一週間前の土曜日にワインをゲオルク・モスバッハに取りに行った。グランクリュの2007年産フロイントシュトュックが今でもとてもよかったので予約しておいたのと、三月に予約しておいたソヴィニオン・ブランの二樽目を回収しに行ったのだ。更にシュティフトを試飲して一本試しに購入した。

自宅で飲んでみて、2008年の酸がやはり泥臭さを和らげていて悪くないと思わせた。価格の7.20ユーロもビュルックリン・ヴォルフの8.90のグーツヴァインやフォン・ブールの8.20のそれに比べて大変お得で、品質も甲乙付け難い。寧ろ、このシュティフトの方が長持ちしそうである。

売り子の女の子に言わせると、まだ瓶詰めからあまり経っていないので早いと言うが、私は楽しめる内に楽しんでしまいたいという気もする。但し、価格も同じ醸造所のグーツヴァインよりは大分高いので纏めて買えるかどうかは疑問である。

さて第二樽の方はご主人に言わせると、「殆ど第一樽とかわんないよ」となるので、負け惜しみで「それでも、一寸は熟精度が高いんじゃない?」と反論する。

自宅で試すと、なるほど殆ど同じなのだが、一寸角が落ちている感じがする。それが樽違いのせいか、経年のせいかは比べて見ないと分からない。一樽の最後の一本を開けて比較してみるつもりだ。何れにしても、数週間の差であるから違いは最少に違いない。

支払いを払おうかと思っていると、日本人らしき男女が入ってきた。話し声に聞き耳を立てているが、明白ではない。関西訛りならばすぐに分かるのだが、関東訛りの明晰さも聞きとれないので、第三国人かと思った。それでも暫らくすると日本語らしき曖昧な発音も聞き取れたので声をかけた。

マンハイムに住む女子学生と日本BASFの駐在者らしい。一人は既に四年もいると言うから驚きだが、同じ高分子関連のご近所に住む東北大で博士号を修得したシナ人の事を話すと知っていた。

この醸造所へは二度目の訪問らしい。BASFの生協の方が品揃いが豊富と思うのに態々足を運ぶところを見るとお気に入りなのだろう。なるほど日本でも評判の良い醸造所である。

殆ど話も伺う事もなく急いで辞去する。



参照:
身体に染み渡り薬になるもの 2009-06-02 | 生活
ライヴカメラを覗いてみる 2006-06-13 | ワールドカップ06
カイザースラウテンの暗影 2006-06-14 | ワールドカップ06
侍列車-十三日付紙面 2006-06-16 | ワールドカップ06
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若き芸術家の癌病闘日記

2009-06-07 | 文化一般
ここで紹介したクリストフ・シュリンゲンジーフ著「天国も、これほど素晴らしい筈がない!」の前半部の感想だけでも書き留めておこう。読み返して細部を読み直すような書体でも内容でもないからだ。日記として書かれているから当然なのかも知れない。

就寝前や昼寝の時にちらちらと読むような本であるが、殆ど倒れるように寝床へと向う生活をしているので、購入してから一月ほど経つがいまやっとその書き様が分かってきた。

肺に腫瘍が見つかってから、それが悪性の疑いあるものとして、結局は片肺が除去されてICUから普通病棟へと戻るまでの日々が前半として描かれている。

不安や疑心暗鬼と揺れ動く心理状態がそこに赤裸々に描かれているのだから、なにも目新しいものは見付らない。しかしこの書物を売りものにしているのは、舞台映像演出家のその主観的な視線と自己認知の仕方に他ならない。有名人が自らの「死の床」を赤裸々に綴ったとしても必ずしも興味を引くものとはならないのは、例えば役者がそれを最後まで演じても、もしくは知識人がそれを綴ったとしても、あくまでも自らの世界観を読ませるものとなるに違いないからだろう。

疑心暗鬼の不安の中で語られる言葉は、舞台のもしくは映像の中で内省として語られる演技指導の言葉に他ならない。最も印象的な場面を挙げておこう。

今まで生きて来た四十七年の生涯を、同じだけ生き延びることが出来るならば、「芸術家らしく短命である」ことなどはくそくらいだと叫ぶ。そんなことなら、職業的人生など今からでも捨てて、一寸でも長生きしたいのだと慟哭する。

成功した手術をICUで体験して、息がゆっくりとしか出来なくても段々と正常に戻り、一般病棟に移って牛肉に舌鼓を打って満足しながらも、同時に転移による再発のその日と自らの最後を考えて動揺する。

そして真に月並みながら、二十年間以上も禁煙しているのに、杯を少々適量以上に重ねているだけなのに、なぜ自分がこのような病に倒れるのかと嘆く。

五年の生存率は如何にせよ不治の病に侵されて、心理的に「制限された将来」を意識するところからこの日記は始まっている。有限の日記が始まるのである。そうした有限の中にこそ、初めて無限の境界が認知出来るかどうかが後半の焦点だろうか。



参照:
Christoph Schlingensief, So schön wie hier kanns im Himmel gar nicht sein!
現を抜かすインフルエンザ 2009-05-01 | 生活
循環する裏返しの感興 2009-04-27 | 雑感
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とんかつ山盛りの夜食

2009-06-06 | 生活
先週の金曜日よりは大分楽だ。みっちりと夜九時半過ぎまで四時間も粘っていたのだが、疲れと涼しさで力が今一つ入らなかった割にはなんとか課題をこなした。

課題と共に宿題も残したが、今後の可能性を拡げたことになる。なんと言っても昨年写した写真の難易度七級の部分もこなせると感じたのは大成果である。

週二回の岩登りがこなせるようになれば、それだけ筋力も体力もつくので、時間さえ許せば週三回通う底力がついてくる。三回こなすようになれば本核的なスポーツクライミングの領域に問題なく入っていけるようになるだろう。

お相手をしてくれた彼は、来週パリ郊外のフォンテヌブローの森に出かけると言う。白い色を岩肌の写真は見たことがあるが、砂岩と言うからプフェルツァー・クライマー・同行会の連中はパリの彼らに決して引けを取らないであろう。

それを終えてから、アルパイン協会の月例会に参じた。十時過ぎにとんかつをサラダとポメスと山盛り食することが出来て助かった。

クラックでてこずって傷ついた手を皆に披露することも怠らなかった。



参照:
誘われて、困っちゃうな 2009-06-04 | 雑感
今漸く乗り越えようとする壁 2009-05-30 | 雑感
二度目の挑戦のゲレンデ 2008-07-25 | 生活
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弾けた太鼓腹の皮の行方

2009-06-05 | 生活
トイレにしゃがんで愕然とした。裸の下腹部のわき腹に脂肪が垂れているのである。最近身体を締めて来ていて、初めて気がついた。それはなぜなのか?

おそらく、今までは太鼓腹の張りの中に腹筋も脂肪も隠されていたのだろう。それが、皮下脂肪だけが引き離されたようになって、脇によっているのである。これならば、ヴァイブレーションや脂肪揉みで直ぐに取れそうである。

そこで更に推測すると、もし脂肪が取れて仕舞ったら、腹筋が割れてむきむきとなるのではないか?すると緩んだ皮はどうなるのかと心配になる。

筋肉を極限まで使うようになって内臓脂肪が激減しているのは、内臓の働きなどが好転しているのを見て、なんとなく感じられている。

さて、今世紀に入ってからのダイエット生活では、皮下脂肪は押さえられたのだが、その結果どうも内臓脂肪が良からぬかたちで変動して行ったような気がするのである。これは、ここ数年感じていた食の細くなる傾向にも反映していたようで、最近はまた食が太くなって来ていることにも表れているのではないかと思われる。

もしアンチエージングという概念を用いるならば、皮下脂肪はどのような位置付けになるのだろうか?

太鼓腹の件で先日から考えていたのは、当時二十年ほどの先人が言っていた捨て台詞である。急傾斜な壁を登るのに岩に強く触れていたその太鼓腹を冷やかすと「お前も同じ年になってから言ってくれ」という台詞である。その当時の彼の年齢を私は十年も上回っているが、こうして新たな運動能力を備え付けて来ているのを、国際電話して言ってやりたいと強く思った。その気持ちを思い留まらせたのは、あまりにも急激な進展に予想のつかない今後の推移だけでなくて、弾けた太鼓腹の皮下脂肪の処理がいまだ定まらないような状況だからかも知れない。



参照:
現代人の断食 2005-02-11 | 数学・自然科学
Mens sana in corpore sano 2004-12-31 | 数学・自然科学
発育・成長・老化の中で 2004-12-19 | 数学・自然科学
対老化筋力トレーニング 2006-04-11 | アウトドーア・環境
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誘われて、困っちゃうな

2009-06-04 | 雑感
床屋に行って、サマーカットにした。これで老女にもてる可愛さは薄れたが、さて男っぽさで若い子を魅了できるだろうか?

若いBASFの労働者諸君に、石切り場でお相手をした。子供のお相手よりは良いのかもしれないが、息を切らして腕力や体格で登る初心者連中を見ていると少し情けない。そして此方は全くその程度では息が上がらなくなってしまった。

腕力で処せると思っていると幾らやっても進歩がないだろう。彼らの特徴は手掛かりを上に求めることから重心が高くなり、臍を中心とした腹筋から背筋などへの張りがないため、足元が安定しないばかりか身体に様々な力のモーションを与えることが出来ない。実は、オーヴァーハングの素手登りを得意としている29年歴の上級者が話していた、「体の内側への巻き込み」への言及がそのことを証明している。因みに、我々の世代ではオーヴァーハングはカラビナを鷲掴みにして越えることが流行であったのだ。

そのような理由で経験豊富な私のような者と組ませるのは教育的効果だけでなく、競争心を刺激する効果がある。しかし、昨年までは此方も非力であり初心者にはまるで「自分の方が実力がある」と思わせていた節もあって、此方も筋力がついて身が軽くなった今、彼らにとってはなにがなにだか分からない状態になって仕舞っていて、彼らが気落ちしないか些か心配である。

流石に筋力はあってももう一つ上のレヴェルの者はその辺りの事情はよく分かるのだが、単純な初心者はそこが飲みこめないからこそ初心者を抜け出す壁にぶつかるのだろう。要するに細かな技術や経験の積み重ねが分からないのである。

それにしても先週金曜日の苦行を越えた私には、こうしたお付き合いは只の身体慣らしでしかなくなってしまった。兎に角、身が軽く感じられて、如何に筋力が体重を上回っているかが分かる。

そのような按配で、再び金曜日にしごきキャンプ参加となりそうだ。なるほど、この調子なら週三回の兵に付き合うことで、益々力が付きそうな勢いである。どうなるか判らないが、こんな機会は二度とあるかどうか分からないので、やれるところまで付き合ってみるのもよいかと思っている。

以前は、かなり負担となっていた週一回の参加が、力がついて来たゆえに物足りなくなってきているとなると、やはりジョギングと同じランナーズハイのアドレナミンの発射があるのだろうかと、少し気になって来ている。



参照:
今漸く乗り越えようとする壁 2009-05-30 | 雑感
ご披露したい昔取った杵柄 2009-05-28 | アウトドーア・環境
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口説きの壁を越えられるか

2009-06-03 | 
ラヴレターというか、カードを書くのに優に二時間以上は費やした。先日から準備しておいたのだが、なかなか最終稿が出来上がらなかったのである。なによりも苦労するのはそのあとの手書きで、日本の中学一年の英語の授業をサボったつけが今頃廻ってくる。更にドイツ綴りと、ブロック体とかが最後の最後まで定まらない。

文字が判読出来ることが何よりもの目的であるが、やはりあまりに無骨な感じでは若い娘は口説けない。兎に角、これ以上は無理と言う線まで追い詰めて完成である。その内容は、結果が分からない内には公表は出来ないが、ある程度は意思が伝わるようになっている。

お遊びとは言わないが、期待と緊張半分で、お楽しみ要素がないとは言えない。こちらもある年齢になると、余裕がありすぎてなかなか追い込むことが出来なくなるのだが、これも体力の限界に挑戦することがなかなか出来なくなるように、何処かでブレーキが働いてしまう要らぬ経験やタラウマの影響が大きい。

心理的肉体的な両要素が深く絡み合っているのを身をもって実感する。
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身体に染み渡り薬になるもの

2009-06-02 | 生活
朝八時前にパンを買いに行ったが今日は聖霊降臨祭二日目で店は閉まっていた。その足で予定通り、森の中を三十分ほど彷徨った。出かける前に一個のブロッツェンを食べただけなので腹が空く。昨晩から炭水化物類を摂っていないから仕方ないのかもしれない。お蔭で下半身のしこりは大分取れた。

先日パンを買いに行った時に、支払いを終えると店のお母さんが、一寸待てといって、チョコレートの一房を態々呉れた。どうも八十前後の婆さんにもてるようだ。きっととても可愛いのだろう。

パンがないので、仕舞いこんである貰い物のオートミールを焚く。一合半を一気に平らげるほど決して旨いものではないが、これまた健康に良さそうである。健康に良いから食するのではなくて、只貧しいだけなのだが、満腹しない程度に貪り喰う方が血肉になるような気さえする。

この時期味わい豊かなリースリングがなによりもの薬である。



参照:
ご披露したい昔取った杵柄 2009-05-28 | アウトドーア・環境
岩との戦い酸との戦い 2009-05-29 | 試飲百景
今漸く乗り越えようとする壁 2009-05-30 | 雑感
酒が進まなかった夜 2009-05-31 | 生活
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