Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

七艇のコントラバス

2023-11-12 | 
デジタルコンサートホールを観た。極東ツアーでの表のプログラムAを観る為だ。なによりも懸案のブラームス交響曲四番である。今回の日本公演ご招待の企画でただ券が配られていた。その一つの二日券を使った。

ざっと流したが、モーツァルトもベルクも上手く行っていて、後者の完成度も高く、歴史的に最もいい演奏が東京でも披露されるだろう。ブーレーズ指揮などでははっしょっていたものが全て聴かれる筈だ。改めてじっくりと聴いてみたいが、そこでは八艇のコントラバスで、ブラームスでは七艇になっていたので、新聞評での八は誤りだ。

さて肝心のブラームスであるが、試みは確実に為されていて、特に四楽章の短調への流れから今度は再現に入って26変奏のホルンから213小節のオーボエのピアノからリタルタンドまでで感動した。そしてピューアレグロのコーダへと。

なぜか手元の総譜には悉く注意点がチェックされているのだが、それらがバッチリと決まっている。自身のメモなのでなにもアナリーゼから出してきたものではない筈で、名演の恐らくフルトヴェングラー指揮での留意点に近いと思われるのだが、そしてミュンヘンからの帰宅後の確認だと思うのだ。

四楽章は可也完成している。あとはいつものように一楽章、二楽章、三楽章へと修正して行けばよくなる。特に一楽章はばらけた印象があるのはまだまだ演奏者の十分な感覚的な合意に達していないからだろう。まだまだ従来のそれが抜けきっていない面が感じられる。実際にこの曲では勢いでイケイケになって仕舞うところを演奏者が如何にこまやかに楽譜の音を出せるかどうかに掛かっている。

復活祭の再演ではこれらが全て一掃されてもはやカラヤンサウンドは歴史の彼方に消えて、ブルックナーへと先に歩めるはずだ。パトレンコ体制へと次の三分の二へと大きく近づくことであろう。今はまだまだ戻れる安全な岸があって、まだ完全には向きが変わっていない。それを象徴するかのように今迄は前には座っていなかった定年間近のオヤジが第二ヴァイオリンを交代で率いている。カラヤン時代の生き残りである。勿論そこを乗り越えていくことは、なにもベルリナーフィルハーモニカーに留まらずブラームスの管弦楽曲の演奏史として大きな転換を迎えるに違いない。それは昨年のエンゲル指揮の絶賛されてブラームスツィクルスで証明されていた。

こうした事情もあってまたベルリンの定期公演では勤務調整で一線の団員が演奏していなかった。いつもながらのツアーの為の予行演習がベルリンでは為されているという定説がまたここでも実証されていた訳であるが、そのありうるべき姿も批評では十分には示唆されていなかたった。ミュンヘンの公演を聴いていないと予測も難しかっただろうと思われる。

少なくとも東京、川崎公演では一先ず世に問うだけの演奏が為されるのは間違いない。そこでどれほどの批評が為されるのか。既に完成に近いレーガー作曲「モーツァルトの主題による変奏曲」に近い程度までの演奏が為されれば大成功であろう。



参照:
芸術の歴史的意味合い 2023-11-08 | 音
暗い井戸の中をじっと覗く 2023-11-03 | マスメディア批評

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ピアノを弾くのも野蛮 | トップ | 暖房を入れ始めた週末 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿