Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

頭の中で熟成させる芸術

2021-10-19 | 文化一般
深く眠った。久しぶりに政治前に床に入れた。それが効く。夜中や明け方に目が覚めても寝覚めがよい。走ったので背中に張りがあり、明け方足が攣りそうになったのは知っているが、それでも酷くはない。丁度日曜日の疲れが残るぐらいが気持ちがよい。書き忘れたが、体重が70.7㎏まで落ちていた。理由は思い当たらないのだが、運動量が上がっているのだと思う。ノルマは変わらなくても通けて守られている期間が差になる。同時に気温が下がってきて、消耗が激しくなっているのだろう。ここで筋力をつけていかないと駄目だ。

「鼻」の第一幕を観た。最初のソヴィエトのナレーションはまだ流していない。最初の第一印象と同じくゲナジ・ロジェストヴィンスキーの指揮がとてもそっ気がなくて、可也楽曲の沢山の部分を削ぎ落していると思う。キャリアーの年代をみると同じく鬼籍のヤンソンスよりも一回り上なだけだ。もっと昔の指揮者と思っていた。同じ指揮者のコンドラシンよりも16年も年下で、明らかにソヴィエトの指揮者という感じである。とても健康そうな鳴らし方をしていて、流石にショスタコーヴィッチの楽譜はそれとは違う。

22歳の時の作品で、20歳での第一交響曲、そして第二交響曲等を比較すれば、やはりフォールマリズムそのものの演奏は敢えてそのようにしているようでもあり、全く新劇のような内容にして演奏しているとしか思えない。本当にそれだけの嘲笑だけの音楽なのだろうか。

ヤンソンスになるとそれをある種の客観的な立場としているのだが、更にグイグイと削いで、それを芸風にしている。そのようなことで楽譜の行間を読ませることになる。勿論ミュンヘンではずっと若い世代のユロウスキーが振るのだが、作曲家と家族付き合いの厚かった作曲家の息子の父親も1945年生まれで、ロジェストヴィンスキーのアシスタントをしている。

「マゼッパ」第三幕も通した。こうして初めて「子守歌」がどのようにはまっているか確認したが、そのフィナーレまでメロドラマとして大変よく出来ている。しかしチャイコフスキーの作曲通り精妙にセンシティーヴに演奏するのは難しいと思う。そしてロシアでそのように演奏する座付き管弦楽団なんてあるのだろうか。この作品が外国はもとよりロシアでもあまり演奏されていない理由ではないかと思った。この作品の上演までにはまだ少し時間があるので、一旦おいて、頭の中で熟成させたい。「マゼッパ」二番目のティケットも招待のトリックもあるかもしれないが、目立つところは結構出た。

来週月曜日には、シューベルトとベートーヴェンもあるので、楽譜だけには目を通しておかないと、ミュンヘンからの帰りに車中で聴けるとしてももう時間がない。

「マスケラーデ」も準備しなければ来週は時間がなくなる。再来週のヒンデミートよりも、時代は異なるとしてもショスタコーヴィッチ交響曲10番の楽譜を落としておいた。これで、出来れば週末までに一度と思うが可能だろうか。



参照:
二枚目の招待券を確保 2021-10-18 | 文化一般
お仕事させられるご招待 2021-10-16 | 文化一般

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 二枚目の招待券を確保 | トップ | お昼はニムフェンブルク城 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿