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Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

歴史に定着する創造活動

2025-04-27 | 
承前)核心への手掛かりがつかめた。偶々、楽日前の公演ということで公演後に集いの会があって、指揮者と歌手とプログラムにも書いている作曲家ライマンの第一人者との会が開かれたからだった。会場は三割も埋まっていなかったので、1375人中精々400人ぐらいだっが、そこから一時間以上居残った人は数十人以上いた。そこでの質問の質も高く、隣に座った爺さんは80歳から90歳ぐらいのホゲホゲなのだが、リア王の初演とかベルリン初演とか全部観ていた。フランクフルト大の社会学部教授程度の人だった。その辺りのジジババも平時の聴衆の質とは全然違っていた。

その質を感じたのは上演中の集中力とその後の喝采で、初日よりも核心をついていた。端的に言うと初日よりもはっきりと演奏の質が上がっていて、上記のプリマドンナのイリーナ・ジメンスも随分と声が出ていた。そのことに関しては、これまた聴衆の中からの玄人じみた若しくは玄人のオヤジから出た質問に答えが用意されていた。承前の通り書いたことの全てがこの会で答えられていて、質問もその通りだったとなる。

質問は、こうした座付き楽団の古典的な奏者に演奏させるのは難しくなかったかという質問で、それはまさしく各評論家などが絶賛している裏で我々つまりこうした新しい音楽をよく知っている聴衆からの問いかけそのものだった。流石に私個人は初日とからの発展としても個人的であってもその場では指揮者エンゲルに質問できない事である。それは所謂業界的な不文律にも近い。

エンゲルの回答は要を得ていた。彼の説明では舞台稽古が始まる前の管弦楽団稽古ではあまりに抽象的過ぎて、管弦楽団が特に一部の分奏で高い要求をされる低弦が音楽が出来なかったということだ。それは歌手が入ることでそのテキストから内容が察せられてものになってくる一方、歌手もピアノ稽古で苦労をするということになる。

これに関しては、決して声楽的に歌い難いどころか快適な歌唱をとなるのだが、実際には三部大詰めの王子を護る姉もリズム的な精査が難しく、そのエモーショナルな山谷が上手く作れなかったと苦心を語っていた。

結局チェロは四分音の正確なクラスターとして演奏する代わりに、最終的な音の帯の流れとして図形楽譜化することでの書き換えで演奏したと語られた。これはそのものここでも扱っていたドイツェオパーベルリンでの和声的な帯としての響きに対して初日においてはあまりにもスリラー映画の効果音な響きとなっていたことでの各紙の賞賛と相反する舞台裏事情である。そのことを正しく分っている聴衆がいる代わりに書けていた音楽ジャーナリストはいなかった。

その辺の所謂評論家とか言われる連中よりも質の良い聴衆が集うことでこうした名演奏が歴史に定着することになる。中にはあまりにも舞台が良過ぎて、カメラも入っていないので、もう一度しか見れないと嘆く人もいれば、録音もされていないということで、指揮者に内部の秘密の録音を都合して貰わないといけないんじゃないと言われる人も。

その様な塩梅であるから通常はアスミク・グレゴリアンなどが出てきてお話しするのとは全く異なり、一時間ほどの話しの内容が可也の水準に迄至ってとんでもなく驚く。こういうハイブローさはミュンヘンのそれとは違うことも感じた。(続く)



参照:
表情豊かな音楽の語り 2025-04-25 | 音
ドレスデンでの出逢い 2025-03-22 | 文化一般 

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