メルケル首相の呼びかけでエネルギー倫理委員会の初会合が開かれた。政財界文化宗教などの代表者が議論する。福島の事故を受けての今後を考察するためである。それまではドイツ連邦共和国の全電力の22%を原子力が担っていたが、事故を受けてその中の8%が老朽化した施設として停止冷却されている。その不足分を埋め合わせるためにフランスやチェコの原子力を輸入することなども当然のことながら倫理の問題である。
これを日本に措きかえれば、なぜ東京電力が東北で原子力発電所を運営しているかの問いかけとかわらない。今後、首都圏内や房総半島や湘南海岸などへの原発の移転が行なわれない限り、原子力発電を即時停止すべきだろう。少なくとも連邦共和国では至る所に原子力発電所が点在して、フランスでもブルゴーニュを除くセーヌ川沿いを含む共和国内の何処にでも原子力発電所が存在する。先ずはこうした倫理が確認されなければいけない。
昨晩は独公共放送局のニュース番組では、福島で被曝作業を無理強いされた消防署員などが大きく取り上げられたようである。現代の神風特攻隊、玉砕の姿が暴かれていたようである。まさに一皮向けば日本社会は中共のそれとあまりかわらない。倫理が問われている。
菅政権が出す自由退避勧告とは、如何にも自由主義的な判断を尊重しているかのように見せ掛けていながら実は「駄目な者は早く失せろ」と言うことではないだろうか?それとも、日本人は皆十分に裕福で自由な合衆国に避難した一流ユダヤ人に匹敵すると言うのだろうか?
首都圏にパニックが起こったとしての関東大震災のときのように朝鮮人の虐殺などの野蛮な行為はないと信じている。しかし、被災地における庶民の助け合いの気持ちはあくまでも小市民的なそれでしかない。日本最大の世界有数の寡占大電気会社の使い捨て労働者のそれは第三帝国時代のダイムラー社のユダヤ人強制労働とどれほど違うのだろう?そして日本国の官僚主義は玉砕を公務員にそして市民に強いる。こうした社会に何が期待できるのか?
太平洋への放射性物質の垂れ流しも倫理が問われる。それ以上に、ヨードのみならずセシウム汚染された小魚が見つかった件に関して、今朝の車中のラジオは「日本人の重要な蛋白源である魚の供給がなくなるのではないか?」と人の好いドイツ人アナウンサーが質問していた。それに対してSWRの特派員は東京から、「日本の魚場は各地にあるので西日本などから漁獲できる」と答えていた。しかし、その件をFAZ新聞のインタヴューに答えてグリンピースの化学の専門家は些か異なる返答をしている。実は怖いのはプルトニウムであって、既に周知のことであるが、アルファー線を出すそれは魚に蓄積していても外部からは全く判らないというのである。日本の皆さんは、あのNHKの問われてもいないのに放射線の透過を説明する解説員が見せるフリップを思い起こせばよい。要するに外へは飛び出さないが、内部被爆すれば確実に癌が発生するのである。大気中の飛散に関してはその形状や質量が大きく関わるが、同じ水中でそれも移動する生物などが遠くに運ぶそれは事情が大きく異なるのは常識的に分かるだろう。
さらに植物連鎖は、小さなものから大きなものへと連鎖していくので少なくとも一月ほど経ないとその影響は知れないといわれる。福島沖は暖流と寒流が交わる絶好の漁場だったようだ。其処から一方はハワイ方面へと、もう一方はアラスカ、ベーリング海へと流れていく。放射能は大海に薄れていくのは間違いないのだが、そこを漁場とするロシアや中国で加工されるそれらの将来にも影を投げかけるかもしれないと指摘される。当然の事ながら関東以北の太平洋岸の沿岸漁業はこれで壊滅だろう。日本の食材などは日本国外では日本食店以外では使われなく、奇しくも人も舟も全て流されてしまったのだからそれ程経済的な影響はないのかもしれない。
補償を恐れるばかりに良い加減な姿勢をとり続ける霞ヶ関。倫理のない社会、その官僚主義を石棺に葬ってしまうにはどうすればよいのか?
これを日本に措きかえれば、なぜ東京電力が東北で原子力発電所を運営しているかの問いかけとかわらない。今後、首都圏内や房総半島や湘南海岸などへの原発の移転が行なわれない限り、原子力発電を即時停止すべきだろう。少なくとも連邦共和国では至る所に原子力発電所が点在して、フランスでもブルゴーニュを除くセーヌ川沿いを含む共和国内の何処にでも原子力発電所が存在する。先ずはこうした倫理が確認されなければいけない。
昨晩は独公共放送局のニュース番組では、福島で被曝作業を無理強いされた消防署員などが大きく取り上げられたようである。現代の神風特攻隊、玉砕の姿が暴かれていたようである。まさに一皮向けば日本社会は中共のそれとあまりかわらない。倫理が問われている。
菅政権が出す自由退避勧告とは、如何にも自由主義的な判断を尊重しているかのように見せ掛けていながら実は「駄目な者は早く失せろ」と言うことではないだろうか?それとも、日本人は皆十分に裕福で自由な合衆国に避難した一流ユダヤ人に匹敵すると言うのだろうか?
首都圏にパニックが起こったとしての関東大震災のときのように朝鮮人の虐殺などの野蛮な行為はないと信じている。しかし、被災地における庶民の助け合いの気持ちはあくまでも小市民的なそれでしかない。日本最大の世界有数の寡占大電気会社の使い捨て労働者のそれは第三帝国時代のダイムラー社のユダヤ人強制労働とどれほど違うのだろう?そして日本国の官僚主義は玉砕を公務員にそして市民に強いる。こうした社会に何が期待できるのか?
太平洋への放射性物質の垂れ流しも倫理が問われる。それ以上に、ヨードのみならずセシウム汚染された小魚が見つかった件に関して、今朝の車中のラジオは「日本人の重要な蛋白源である魚の供給がなくなるのではないか?」と人の好いドイツ人アナウンサーが質問していた。それに対してSWRの特派員は東京から、「日本の魚場は各地にあるので西日本などから漁獲できる」と答えていた。しかし、その件をFAZ新聞のインタヴューに答えてグリンピースの化学の専門家は些か異なる返答をしている。実は怖いのはプルトニウムであって、既に周知のことであるが、アルファー線を出すそれは魚に蓄積していても外部からは全く判らないというのである。日本の皆さんは、あのNHKの問われてもいないのに放射線の透過を説明する解説員が見せるフリップを思い起こせばよい。要するに外へは飛び出さないが、内部被爆すれば確実に癌が発生するのである。大気中の飛散に関してはその形状や質量が大きく関わるが、同じ水中でそれも移動する生物などが遠くに運ぶそれは事情が大きく異なるのは常識的に分かるだろう。
さらに植物連鎖は、小さなものから大きなものへと連鎖していくので少なくとも一月ほど経ないとその影響は知れないといわれる。福島沖は暖流と寒流が交わる絶好の漁場だったようだ。其処から一方はハワイ方面へと、もう一方はアラスカ、ベーリング海へと流れていく。放射能は大海に薄れていくのは間違いないのだが、そこを漁場とするロシアや中国で加工されるそれらの将来にも影を投げかけるかもしれないと指摘される。当然の事ながら関東以北の太平洋岸の沿岸漁業はこれで壊滅だろう。日本の食材などは日本国外では日本食店以外では使われなく、奇しくも人も舟も全て流されてしまったのだからそれ程経済的な影響はないのかもしれない。
補償を恐れるばかりに良い加減な姿勢をとり続ける霞ヶ関。倫理のない社会、その官僚主義を石棺に葬ってしまうにはどうすればよいのか?
恐らく現時点でも911よりも311の方が近代に与える影響は歴史的に大きいかと思います。
一号機に関して、再臨界を事実とすると天候などにもよりますが、やはり中部・関西への影響も避けられませんね。首都圏死守の対症療法よりも国土の存続を重視した思い切った処置が必要になりそうです。
公の議論で反証を挙げると,その後プィと横を向いたまま,その後延々と裏で潰しにかかってくる,まさに「馬鹿なればこそ恨む」その相手先になるのは鬱陶しいので,無視するに如かず.そうしていると,逆に仲間になるよう誘ってくる.「目の前にバスが来て止まっても乗らない」ということしか,対処策はありませんでした.研究者の特に少ない分野うを選んでいてなおそれしかないのです.そうして過ごしてきたことを上記のコンテキストで指摘されたように感じました.
直接関係ないかもしれませんが.最近の情勢から Fritz Lang の Metropolis, 1927 を憶いだしてしまいました.
>日本人は皆十分に裕福で自由な合衆国に避難した一流ユダヤ人に匹敵すると言うのだろうか?
たいていの日本人には Nomade になる覚悟はほとんどないと見ます.Exodus はありえないものの,谷崎潤一郎の程度には相当数移動するでしょう.十八歳で名古屋にきた根無草には,危なくなればどこまでも逃げるのは想定内です.
そして本来は共同声明などを出さなければいけない知識人というものが存在しないのです。電子メールによる回覧版すら展開されていない。こうした状況を受け入れている学者などは知識人に当たりません。まさに歴史的に官僚主義を支える帝大の教育の面目躍如と言えるものかも知れません。
原発を語ることが、許されない雰囲気が出てきました。
原発に限らず日本の官公庁の関わる検査なんて、欠陥住宅並みのものですが…
この事態に至った原因を語ろうとすると、
「現場でがんばっている人たちのことを考えろ」
と言われてしまうのです。
”英霊”とでもいうべき偶像の前に、原因追究に関して思考停止を要求される。
現時点に至るまでの何重にも重なったおかしさを、語ることが許されなくなるのです。
分析をすると、「もう起こったことだから仕方がない。わめくな」という。
放射能の脅威に対して、動揺を覚えるのが、
当たり前の感覚だと思うのですが…。
…これは、放射能の脅威に対する教育を怠った国と国民のツケだと思います。
バカを生み出した。
(あるいは「”クリーン”なエネルギー」と歌ってきた宣伝効果かもしれませが)
本当に、忠臣蔵の大石たちに対するような視線で思考停止に陥ることが、
日本の場合一番怖いのかもしれません。
…ハラキリを上の者が下の者にさせて、責任をかぶせる。
人々の偉いまなざしは切腹者に向けられ、仮に事態を追及しよう人がいると、
「彼らを見よ!」という。
そして永遠に追及の口が封じられる。腹を切る本人も、他の人たちにも。
正直、田舎根性を感じずにはいられない。
…この国の人たちは、住んでいる自宅が仮に欠陥住宅だと分かった場合、
「もう建ててしまったから仕方がないよ」とでもいうのでしょうか。
それとも、清貧生活を考えろと、言うのでしょうか。
…補修と同時に責任追及と、応急手当&再発防止をするのが当たり前ではないでしょうか。
神風特攻隊以前からの風習かもしれません。
本当に、他の地域を助けることを考えるとき、生身であることを忘れてはいけない。
英霊なんてもってのほか。
http://blog.goo.ne.jp/taiju0/e/67635f592501e54341283c8bce7e5acb
ここの下の方で引用したある漫画の言葉を思い出します、ほんとうに…。
東大をつぶしちゃえ!(ぉ←この一行超短絡的思考