Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

エリート領域の蹂躙

2006-08-11 | テクニック

マテリアル若しくは用具の話である。新しい靴を買うために、BASFの町ルートヴィヒスハーフェンの目抜き通りにある大きな靴店へと向かった。ドイツ語圏の靴は、乳幼児から老人用にまで、礼服用から特殊仕様までどれも昔からの靴職人の技術や伝統が生きている。例え世界的なスキーブーツマイスターであっても本職・本業は一軒の田舎の靴職人や靴屋である。

この店は、以前友人の山靴購入のために付き合ったので事情は知っている。残念ながら、その時の若い女性のアドヴァイザーを期待していたのだが、それほどに経験の無い違うアドヴァイザーしか居なかった。店のご主人と話すと流石に専門家で経験豊富な人だと直ぐに分かった。世界的な登山家ペーター・ハーベラーをアドヴァイザーとして擁しているのも伊達ではない。

今回購入したのは特殊仕様というか、クライミング専門の靴で、戦前の日本語でクレッターシューと呼ばれたものである。八月末に使うために購入を決断したのだが、どのような靴を選ぶかの決定への過程で大きなカルチャーショックを受けた事を隠せない。

クレッターシューへとは、そもそもその昔は麻の底で地下足袋のように出来ていた時代もあるようだが、我々の事始めの頃は革靴の底の厚い鉄板の入った山靴が好んで使われていた。それは、その靴一つで、歩いて、雪の中でもシュタイクアイゼンを付けても行動出来て、岩登りも出来るという代物だった。小さなミリ単位の突起にも足掛かりを取れて、重いリュックザックを担いでも悠然と立てるという靴であった。シャモニアルプスの摂理立った高峰の岩肌を登るための靴でもあった。

その後、アイゼンを付ける必要のない岩壁に合わせて、皮のソフトなより足に馴染む計量タイプの靴が流行った。実は今回もその傾向のものを探そうとしたが、そういったものは既に博物館物で市場には存在しない。

その当時も、米国ヨセミテ渓谷でのビックウォールを登るために使われていた靴底に溝の無いフラットソールのクライミングシューズが流行り出して、所謂フリークライミングの本格的な黎明期でもあった。ただ、当時は種類も限られていて、直輸入などの労を厭わなければいけなかったので、それを所有している人は日本には数少なかった。そのため、ゴムの摩擦係数の高い底の薄い安物の運動靴をクライミングに使っていた者が多かった。

個人的には、プファルツの砂岩を登るためにフラットソールのクレッターシューへを購入したのは十年以上前である。反面、経験の薄い雪壁を楽しみたいと思ったアルプスの岩と氷の錯綜する高峰では、従来通りのオールマイティーなライクルの山靴や氷雪壁用の靴で事足りて、フラットソールなどは論外であった。

そして今回初めて、大きめの壁を登攀するに当たって、歩けて登れる上のようなソフトな靴を探そうとした。それで今更ながら、アルプスの大岩壁においてもフラットソールの地下足袋のような靴を使える機会が多いのに気がついた。

これは、ある意味昔のクライマーにとっては詐欺行為のように映るだろう。当時の靴で技術的困難度5.9とか5.10若しくは五級とか六級の岩場を苦労して登っていた者にとって、現在のフラットソールの靴をもって二ランクほど上の岩場の登攀を可能とするからである。これをペテンと呼ばずになんといおうか?

クライミングの世界においては、スキーのようにそれほど用具の助けを借りてはいないと認識していたが、実際は安全面や快適性だけでなく能力の上で大きな嵩益しがなされている事に気がつく。こうして第一線級クライマーにおける限界の向上だけでなく、レジャー登山者が昔はエリート登山家にしか許されなかったアルピニズムの厳しい領域へと容易に足を踏み入れる様になる。だからこそ1960年代に活躍した伝説的大アルピニスト・ヴァルター・ボナッティーは1930年代の装備に拘ったのである。

ドロミテのラ・スポルティヴァ社製のKATANAは、ヴォリューム感のある足にも非常に足入れが良く、履いていても心地良い。一時間以上に渡る試し履きの末、小さめを選んだので時々足を解放してやらなければいけないかも知れないが、一日中履いているのも可能であろう。商品名称は踵に書いてある「刀」で初めて理解したが、小さな足掛かりをシャープに切るように立てるという意味のようだ。本格的に使ってみないとなんともいえないが、砂岩用に保持している以前の靴とは全く傾向の違う所望していたそのものであると期待している。

僅か100ユーロの投資で、スキーでいえばカーヴィンスキーで何日もの鍛錬が数時間で到達されてしまうほどの、容易さを得られる。禁断の園に足を踏み入れてゼウスの怒りを買ったプロメテウスのような行為とはいえないか。



参照:
気質の継承と形式の模倣 
[ アウトドーア・環境 ] / 2006-08-06

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4 コメント

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すごい名前ですね^^; (shamon)
2006-08-11 22:41:38
昔同じ名前のバイクがありましたけど。

漢字ってのがもっとすごい。



そういえば昨秋ブルゴーニュに滞在した時、

メモ(仮名漢字まじり)を書いてたらお隣に座っていたフランス人が興味津々で覗き込んできました。やっぱりあちらの方には珍しいんでしょうか。



マラソンも靴選びは大変です。

夫はいつもあーでもない、こーでもないとぶつぶつ言いながら選んでます。
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イタリア人は凄く好きです (pfaelzerwein)
2006-08-12 03:49:47
そうですね、二輪でもありましたね。忍者とかも。でも漢字でないとこちらはぴんと来ない。



ドイツ語の出来ないイタリア人のことも触れましたが、イタリア人は凄く好きなんですね。黒澤とか。



http://blog.goo.ne.jp/pfaelzerwein/e/aa4f7872153d8b218030195f37e801e1



マラソンと聞いただけで胸がどきどきしますが、靴は大切。
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Unknown (hassy)
2006-08-12 21:51:44
アルプスの大岸壁でもフラットソールが使えるのですね。

岩と雪のミックスルートが主流かと思っていました。



道具の進歩により、昔の一級ルートが陳腐化してしまうのは仕方がないのでしょう。

写真の世界も、道具の進歩によって万人が写せる時代になりましたが、それによって表現の幅が広がったのかというと、とても疑問です。
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前提条件が違う (pfaelzerwein)
2006-08-13 02:57:20
私自身も気が付かなかったのですが、北壁などを除けば夏は乾いている岩壁が多いんですね。ドロミテなどは典型的な例ですし、標高が高くても岩壁は乾いていることが多い。ただ夏といえども一度崩れると氷壁になる。それに対しても最新の天気予報を携帯電話でキャッチ出来る。



昔でもアイゼンを付ける一人と付けない一人でザイルを組んで交代に登ったなんてありますよね。しかしこれらの現代的装備を使えば、全然前提条件が違う。



素人写真でもデジタルになって情報量さえ確保しておけば幾らでも後で修正出来ると分かっていて、一瞬に賭けるよりも情報量に賭ける。時間の無い写真なんて意味があるのかなんて、我々素人でも考えてしまいます。



それにしても二種類も同じ山靴を履いていた人に初めて会いました。不思議というか、なんというか。
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