メルケル首相がグンタナモの捕虜の受け入れをオバマ大統領に申し出ると言う。新大統領のドイツ初訪問はバーデン・バーデンのナトー会議への出席になるようだ。
オバマ大統領の就任式は観なかったがそのあとの昼食会やパレードなどは一部をCNNで観た。エドワード・ケネディー上院議員はカリフォルニアワインを飲む前に倒れたようだ。就任演説は選挙中の演説内容と当然ながら一貫しているので特に触れる事もない様に感じたが、就任直後早速ロビイストへの天下り規制など競争の不公平を助長する秩序を改正し始めた ― 自由経済システムのための必要不可欠のコントロールである。誰もが考えても不公平と思われる真の自由競争への自由市場の活力を妨げる弊害を悉く排除して行くのだろう。所謂利権構造の清掃は暗殺への危険を高めるが、少なくともタブーを明るみにしていく作業は変革の他ならない。
誰もが思いながら実行に移せないまたは「子供のようなと馬鹿にされる発想と思われる」として発言出来ない事を実行に移すには、教科書に書いてあるような基本的な物事に疑問を抱いて基礎から考え試行錯誤と議論の中で進める大変高度で知的な作業が必要になる。オバマ新政権の特徴は、様々な事象をホワイトハウスの中で議論することで、なに一つ議論出来なかった前政権との差がそこに顕著に表れるとされている。問題があれば不可能と思われていることでもよりよい方法を模索して行く飽くなき追求こそが、人類の課題に他なかろう。その方法の形こそが文化であり、文明ともなるのである。
オバマ上院議員の選挙地盤であったシカゴでの政治初めの様子を読んだが、若きオバマは黒人解放運動の最先端でもあったシカゴの政治状況を最大限に使って今日に至る政治基盤を構築して政治力をつけた。オバマ旋風が吹きまくって以降ドイツでは、公共放送も高級紙も直裁には語らないが言語の背後や行間に、ナチスドイツが「解放」されたときから公民権運動までの合衆国がナチスドイツと比較出来るような社会であった事を示している。まだそれから半世紀も経っておらず、シカゴにおける白人居住区内の不動産の黒人への譲渡禁止など黒人ゲットーの法的な裏づけや黒人との婚姻の禁止など、現在においても全米の至る所で見られる差別はドイツ人旅行者が合衆国から持ち帰る土産話として尽きない。
欧州スタンダードである人権意識や社会秩序がオバマ政権によって共有出来るようになるのがなによりもの希望なのである。その点からも奴隷階層からの出身であるオバマ夫人ミシェルの立場や言動は黒人運動家にとっては大統領以上に重要であり注目されている。まだ妊娠やその他このファーストレディーが齎す話題は尽きないだろう。同時にオバマ大統領は、その婦人とのなりそめも読んだが、今後とも「キング博士の夢」を全米に分かり易く告げる手段として最も有効に使うに違いない。
同時に外交などの各々の政策実行においては、其々の担当閣僚が大きな全体方針の中で実務的に進めて行くことは、例えばヒラリー・クリントン外相のイスラエル贔屓を基本姿勢として継承されつつ、イスラム社会の尊重を打ち出しながら徐々に補正されていく事になると言われ、各々の閣僚に責任を持たせる方法は戦術的に非常に利口な方法である。
エネルギー担当の中華系の朱棣文教授のインタヴューの触りも聞いたが、一般的にその社会で常識と言われていることが実際は常識ではないと言う姿勢と、オバマ政権が押し奨めるコモンセンスとよりよい改革へのバランスの取れた変革が優れたコミュニケーションによってもたされるかが最大の問題なのである。
そうした逆転の発想とか容易に呼ばれるものなのだが、移動中のラジオでも聞いたが日本でのオバマ新政権への反応は、国交の回復を期待するイランなどとは異なり、プロテクトな市場への警戒感から不安混じりであるとされていた。黒船以来、西洋の世界秩序世界観を踏襲しながらも、未だに既得権や利権を重視した国政を執り行っている立法府や行政府どころか学術文化人になんら基礎的な問題に挑む知力が欠けているのは嘆かわしい。オバマ政権が採るであろう社会資本の充実の真の意味をすらどうも理解していないようにしか思えないのである。
参照:
ホワイトハウス
心に響く (NEXT DREAM 記憶と記録)
「ナチスと映画」飯田道子 (Mani_Mani)
キング博士の誕生記念日 (虹コンのサウダージ日記)
オバマ大統領の就任式は観なかったがそのあとの昼食会やパレードなどは一部をCNNで観た。エドワード・ケネディー上院議員はカリフォルニアワインを飲む前に倒れたようだ。就任演説は選挙中の演説内容と当然ながら一貫しているので特に触れる事もない様に感じたが、就任直後早速ロビイストへの天下り規制など競争の不公平を助長する秩序を改正し始めた ― 自由経済システムのための必要不可欠のコントロールである。誰もが考えても不公平と思われる真の自由競争への自由市場の活力を妨げる弊害を悉く排除して行くのだろう。所謂利権構造の清掃は暗殺への危険を高めるが、少なくともタブーを明るみにしていく作業は変革の他ならない。
誰もが思いながら実行に移せないまたは「子供のようなと馬鹿にされる発想と思われる」として発言出来ない事を実行に移すには、教科書に書いてあるような基本的な物事に疑問を抱いて基礎から考え試行錯誤と議論の中で進める大変高度で知的な作業が必要になる。オバマ新政権の特徴は、様々な事象をホワイトハウスの中で議論することで、なに一つ議論出来なかった前政権との差がそこに顕著に表れるとされている。問題があれば不可能と思われていることでもよりよい方法を模索して行く飽くなき追求こそが、人類の課題に他なかろう。その方法の形こそが文化であり、文明ともなるのである。
オバマ上院議員の選挙地盤であったシカゴでの政治初めの様子を読んだが、若きオバマは黒人解放運動の最先端でもあったシカゴの政治状況を最大限に使って今日に至る政治基盤を構築して政治力をつけた。オバマ旋風が吹きまくって以降ドイツでは、公共放送も高級紙も直裁には語らないが言語の背後や行間に、ナチスドイツが「解放」されたときから公民権運動までの合衆国がナチスドイツと比較出来るような社会であった事を示している。まだそれから半世紀も経っておらず、シカゴにおける白人居住区内の不動産の黒人への譲渡禁止など黒人ゲットーの法的な裏づけや黒人との婚姻の禁止など、現在においても全米の至る所で見られる差別はドイツ人旅行者が合衆国から持ち帰る土産話として尽きない。
欧州スタンダードである人権意識や社会秩序がオバマ政権によって共有出来るようになるのがなによりもの希望なのである。その点からも奴隷階層からの出身であるオバマ夫人ミシェルの立場や言動は黒人運動家にとっては大統領以上に重要であり注目されている。まだ妊娠やその他このファーストレディーが齎す話題は尽きないだろう。同時にオバマ大統領は、その婦人とのなりそめも読んだが、今後とも「キング博士の夢」を全米に分かり易く告げる手段として最も有効に使うに違いない。
同時に外交などの各々の政策実行においては、其々の担当閣僚が大きな全体方針の中で実務的に進めて行くことは、例えばヒラリー・クリントン外相のイスラエル贔屓を基本姿勢として継承されつつ、イスラム社会の尊重を打ち出しながら徐々に補正されていく事になると言われ、各々の閣僚に責任を持たせる方法は戦術的に非常に利口な方法である。
エネルギー担当の中華系の朱棣文教授のインタヴューの触りも聞いたが、一般的にその社会で常識と言われていることが実際は常識ではないと言う姿勢と、オバマ政権が押し奨めるコモンセンスとよりよい改革へのバランスの取れた変革が優れたコミュニケーションによってもたされるかが最大の問題なのである。
そうした逆転の発想とか容易に呼ばれるものなのだが、移動中のラジオでも聞いたが日本でのオバマ新政権への反応は、国交の回復を期待するイランなどとは異なり、プロテクトな市場への警戒感から不安混じりであるとされていた。黒船以来、西洋の世界秩序世界観を踏襲しながらも、未だに既得権や利権を重視した国政を執り行っている立法府や行政府どころか学術文化人になんら基礎的な問題に挑む知力が欠けているのは嘆かわしい。オバマ政権が採るであろう社会資本の充実の真の意味をすらどうも理解していないようにしか思えないのである。
参照:
ホワイトハウス
心に響く (NEXT DREAM 記憶と記録)
「ナチスと映画」飯田道子 (Mani_Mani)
キング博士の誕生記念日 (虹コンのサウダージ日記)
オバマ大統領就任演説は様々な意見がありますが、TV中継していたようにワシントンの多数派の黒人への「宣言」として聞くとその前後のコンサートや舞踏会までにかなりの意味合いを感じます。
次の世代へ二人の子供が見たものや、「宣言」に真剣に耳を傾けた人たちへの効果は、計り知れず大きいと思いますね。
グリーン・ニューディールは必ず近々成果を発揮すると思われます。そこで津々浦々まで人が動くかどうかです。
ブログの文章でした。(^_^)v
夢を語る人だけでは、
困りますものね。
オバマさんが、
私は世界にある意味責任を持っている、と語りかけ
世界のみんなも、責任ある行動を、、と呼びかけ、
現状を見据え、乗り越えてゆこうと
語りかけたのは、本当に意義深いと思っています。
あとは、何を施策してゆくのかを、
注意深く見てゆく必要がありますね。
私も、アメリカが肌の色の違う大統領を選んだことに
ある意味とても期待しています。
オバマ大統領自体が、そのかなりリベラルな支持母体に係わらず、決して反戦主義者でも死刑完全廃止論者でもありません。法律家としての現実的な感覚に長けているからなんですね。
ご指摘のように裁判員制度よりも先に立法府への積極的参加を考えなければいけませんね。その辺りに抵抗感も生じているのでしょう。
「私達の個人的な心情や良心」をどのように社会に反映させていくかが、まさに強制的に与えられた制度や機構として存在している感が強いと、何時まで経っても遵法精神が育たないのでその制度自体が機能しないのですね。
遵法精神が働いてこそ、法律などの市民のより快適な生活のための決まり事が初めて「私達の個人的な心情や良心」として機能して、社会正義が齎されるのでしょう。
今回の就任演説において修辞的な名演説を期待した向きには肩透かしであったようですが、広く津々浦々までそれどころか世界の聴衆を意識して語り掛けているので、内容はかなり厳しいかと思います。しかし、夢を追求することは生易しいものではないが、夢なくしては生きていけないと言う事でしょう。