Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

マスク禁止運動を展開!

2020-09-02 | 生活
遅くなってからパン屋に立ち寄った。先におばさんがいて長い間片っ端から買い込んでいた。時間を掛けるのは良いがウロウロとして近づいてきて、喘息性の咳をするものだから、見たいならと場所を譲ると、色々見ているだけだから落ち着いてと、殆どぼけ老人だ。こういう人たちの為にこちらは不自由しているのかと思うと腹立たしいが、あの手のおばさんはコロナでは死にそうにもない。

こういう人とはあまり近寄りたくないと思う。恐らくそこで色々なものを買い漁っているという事は近所に住んでいて、他所には買い物に行かないとか、話しを聞くとそれはそれはと思うのだろうから余計に係りたくない。

しかしこれもマスク信仰の生んだ妄信が原因だ。マスクをして注意を呼びかける段階からマスクをしていれば全てが許されるようになってきている。そろそろ近郊公共交通機関以外ではマスク禁止へと動いて距離を取る方向へと舵取りをしないと、そのマスク着用自体が形骸化してくると思う。徐々にマスク着用禁止へと運動していきたい。

新たに批評を読む。全てに眼を通している訳ではないが、ザルツブルクでのベルリナーフィルハーモニカーはその旅行日程に関わらず予想以上にいい演奏をしていることが分かる。スタンダード紙のいつもの批評家はシェーンベルクではうまく行ったのがブラームスではその距離感が裏目に出たと書く。その苦情点を見ると、ペトレンコの画期的なブラームス解釈が伝わっていないことを知る。音が溶け合わない点に言及している。

更に南ドイツ新聞にその点が明らかにされる。横長の舞台で場所は充分あって、ペトレンコの指揮ならばそんな間隔など空けないでも充分に細部まで聴けたとして、一楽章ではトラムペットなどがあまりに直響いたので指揮で抑えていたというのだ。実はこの点は特別重要なのは、まさしくミュンヘンでの演奏はそれが特徴でそれをどのように解決するかが超一流の交響楽団に課されていた。少なくとも問題点とペトレンコがやろうとしていることは分かっている。

生で聴いていないので結論めいたことは言えないが、次の段階で間隔を縮めることでまた新たな発展が期待される点で、これはもう大変な事象だと思っている。そして書き手は二楽章で完全に驚愕していて、もう間隔を空けた軍隊の儀礼行進のようなことは全くなくなっているとしている。しかし四楽章の変奏曲ではその間隔の合奏法からフォルテとフォルテシモの差異が生じなくなっていると言及。

この最後の事実は、その指揮のコンセプトとは別にベルリンからの放送でも気が付いたところで、流石に金管楽器はその調整は難しいのだろう。そしてペトレンコもこれを読んでどのように聴こえたかがとても参考になると思われる。何かを間違いなく修正してくる。

そして、この間隔の配置が格下の管弦楽団の参考になるかというとならないだろうとしている。如何にベルリナーフィルハーモニカーが高度な合奏をしているかという事で、これは間違いのない事実だ。



参照:
忖度無いジャーナリズム 2020-08-30 | マスメディア批評
社会的距離感への不満 2020-09-01 | マスメディア批評

コメント
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