Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ヴィーンとミュンヘンの差

2020-09-18 | 文化一般
今更のようにヴィーンの新聞がミュンヘンと比較している。新聞記者はどうしてヴィーンがこのようになったかぐらいのその裏事情は分かっている筈だが惚けをかましている。今更催し物の制限が全く異なって、ヴィーンでは規制通り500人から750人入れれるのに対して、ミュンヘンでは、安全処置が適っていなかったら年内は催せないことになっていると書いている。いい加減にしろと言いたい。忖度してなにも書けなかったのが君らではないか。

そのドイツはどうか?月末になって少しづつ11月以降の予定が出て来た。ベルリンの劇場などはただ単に客席を詰めてマスクをさせるという蛮行に出ている。そのような情報を見ると、八月に考えていたように一向に状況が改善されていないことに気が付く。新感染者数も落ちてはいない。しかし共和国全体では部分的にそれも一時的に過去七日間で十万人中50人を出すクラスターが発生する地域は数カ所にも至らない。

地元も一時のように零行進にはならないが1から10までの間を彷徨うっている。それもサーカスやら大回転車が世界最大のワイン祭り時の様に設置されていて、個人的には祭りが行われていると聞く。要するに探るだけの開放を態とさせているのだが、それ以上に新感染者が突発することはない。

ベルリンのフィルハーモニーは、10月から千人を入れて、11月からは楽器間も1mと2mへと縮められるだろうか。それによって舞台上での制約も少なくなり、場合によっては半数近い人数の客席を埋めれるようになる。更に支配人の言葉によれば一人頭充分な立方と最新の空調設備があるので空気を全て換気可能な利点を使いたいとしている。

年内は大掛かりな楽器編成の大曲や大合唱を避けることは既に決まっていることで、その中で次の段階に進めれば文句の出ない所である。近々公になる新たな規制からの開放でそのようになることが期待されている。後戻りは難しいが時間を掛けて次の段階へと奨めて行く方が遥かに建設的なのである。

今晩から三日間、変更されたプログラムとして、アルバン・ベルクのヴァイオリン協奏曲とドヴォルザークの交響曲五番が組み合わされたプログラムが演奏されて放送される。元々はクセナキスとスークの曲が入る予定だった。その代りの五番の交響曲はキリル・ペトレンコが初めて振るという事で興味深い。

沢沿いを走り乍、最近はヴァイオリンのツィムマーマンと共演することが多く、その音楽が合うのだろうなとは思っていた。そして以前に話していたベルリン以外では演奏しないという曲にスークはどうだったか分からないが、この五番は含まれるだろうなと思った。要するに自信を以て世に問うというような演奏ではないという事になる。

ミュンヘンでのコンサートでもそのような曲は含まれていたのだが、ベルリンではどのような演奏になるのだろうかとこれまた愉しみである。それは10月末のショスターコーヴィッチの交響曲九番がどのように扱われるかにも若干関係している。バーデンバーデンで同じプログラムを演奏するというのはプランBとしてあり得るからだ。その時に祝祭劇場でも千人入れられるとなると何とかなる。

11月4日がブラームス四番のプロで、新規制で間隔を詰められるようならばヴェーベルンの「パッサカリア」演奏が可能かどうか。休憩問題は千人ならば時間さえかければ何とかなるように思われるがどうだろうか。



参照:
時の管理の響き方 2016-09-16 | 音
マスクを素早く着脱 2020-07-11 | 文化一般
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