光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

青空が似合う、木々の緑

2010-04-26 19:06:42 | 散策
  空の青さは「はかない」とか思う。まったくの青空とかは滅多に見ないし、大体子供のときは、
空の青さは気にもならなかった。そういえば花鳥風月で、空の青さをどこに求めるか、考えるが、
花かも知れず、虫かも知れず、得体の知れない不気味さがある。一体に、いつから空は青かったの
か、というと、これは記憶でいうと、そろそろもういい年というとき、その空の青さを気にもし、
また青空が出るように祈らないといけない、そうゆうときがあって、それが子供のときは遠足とか、
また運動会だったりもした。

  それで、雨がという時は雨天順延というのがある。でも、これも面倒であろう。昔は結構鷹揚でも
あって、さほど厳しい取り決めもなかったようだが、今はTVの制作と同じような、秒刻みの厳しさとい
うか、スケジュールの設定があるようで、これにはもう少し卑近な、地域の運動会、その他春祭りと
かがあるようだが、このお祭りは別の次元に属するのかも知れない。祭りという字からもわかる。祭
りは、地元というか、一族郎党とかを思い出させるものがあってこれは、一所懸命という言葉も思
い出させる。でも、最近は一生懸命の方がいいような気にもなって、後者を使うことにしてい
る。
  月曜は週の始まりか、これはカレンダ、日記帳で異なるかも知れず、でも日曜が始まりは、カレ
ンダに多く、手帳は月曜が多い。今使う手帳も週ごとのページの始まりは、日曜でなく、月曜であ
る。で、月曜のラジオというのは耳が時間があれば、聞くことも可能だけど、何と、いつもの声がしな
い。しないというか、いつもの晴れ晴れしい声と違うものが聞こえて、しばらくして、それが電話の声
であるのがわかったりもする。
  これは、クラシック音楽が流れるものだが、何と、例のアイスランドの、火山の爆発で、飛行機
が飛ばないということで、偶然か出かけられていた、番組での話し手で、進行役、司会、音楽家とい
う方が、帰って来れないということであった。その声がいかにも悲しく、また物悲しく、かなりお
疲れのようでもあって、こうゆうことが日常のラジオ番組の制作にも支障を出したという、実際に出会
う、経験でもあった。これは、NHKも困ったし、またとうのご本人が一番、途方に暮れたであろう。無
事、戻られることを祈るだけだが、そうゆう意味でも、地球の空の青さが、重要とかも、そのときすで
に空に白い雲が出ていたようだが、思ったのであった。

  いろいろ、困ることというのはあるようで、私も幾つかそれを抱えていてほとんど自分の問題で
あったりもする。なかなか、しかし自分に関する、困った問題というのは、もう何十年と一緒に生きてい
て、これは直らないどころか、どんどんと悪い方へと、転がってゆくようである。つまりは、小さなこ
とでクヨクヨしたりもする。なんだか、一つこれはおかしいではないか、と思えるものがあると、
なんだかすべてが疑わしくも思えて来る。そうゆうところ、それで、そのようなところで、悩んで
それで時間を無駄にする。なんとかならないか、とか思うのだけど、そうはいかない、というもの
がある。自分が損をしていて、わかっているが、それが止められない。気にしだすとおかしくな
る一方である。で、これも年齢という問題もあるようだ。
  あるものは結構腹立たしく思えて、でも一晩眠るとコロッと忘れていたりもする。それが次の朝
まで残る、というときがある。これで早く目が覚めたりするのだけど、こうゆうものは本当に直ら
ないものだなー。それで、損をしている。執念というのもいい方で、働かせないといけない。どう
にもならないようなこと。そうゆうことで人はあーだのこーだの悩んで、それで落ち込んで、また
やってしまった、というような失敗を繰り返す。そうゆうようなところが多々ある。
  こうゆうものは、なかなか笑えないから、たちは悪い。期待しない。過度の期待は禁物。とか思
いつつ、今の生活の、かなりガツガツとした、結構厳密なとしかいえない、仕組みというのも、
昔と今とでは大違いだ。

  そうゆう意味からも、青空を見るのは大切か。これではお説教になってしまう。でっまーいい。
自分で、青空を見て、今日はいい時間を過ごせたと思うことは大切なようだ。心の有り様も、また体
の状態もさほどいいとはいえない。そう思うが、ときにふと、自分のやっていることが、笑えること
が出来る、そうゆう気持ちの余裕、あるいは心の広さというものを感じることが出来れば、それはそれで
最高なのだが。それでも、時代が時代だけにギスギスした、どっちだといつも選択を迫られる生活、
というのはこの先も続くのだろう。
  そう思うと、火山の爆発で、飛行機が飛ばない、というのは何か暗示するものがあって、でも
やっぱりそれはないに越したことはないか。





  信号の色、と書くとすべてがあせて見える。これは何の色というと、
  葉っぱの色でいいか。




  緑があって、向こうに浅い緑がある。いつ見てもいい緑。で、地球は青
  いというのを、空の青が示していないか。




  大きい方は、ケヤキかと思うが。よく見ると二種類あるようだ。




  ここは梅の木の緑、より、空の青さ、大きさ、ただただでかくて、その
  先に何もないというところに、感じ入る。





  背の高い木。




  カエデ。葉っぱが出てきて、ようやく寒さがなくなった。




  左は、これはケヤキ。この木も、ずっと枝しかなかったが、今はかなり
  青葉がある。




  初夏のころには、もう太陽は直接見えずに、木漏れ日のみが見えるだ
  ろう。この木の陰で、汗を拭き一休みする。

  

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