光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

すがすがしい、晴れの空

2009-04-23 19:05:38 | 散策
  なんだかぐずぐずしているお天気で、気温も低めということ。だが、コタツもも出したまま、電気ヒータも、灯油のヒータも使い、さらに真冬に近い格好とすると、「格好」は悪いが、暖か。誰も見る人おらず、ただ電気代、灯油代はもったいないが、背に腹は代えられず、これで今頃お天気は回復して、空は真っ青に近く、日もまだまだ高い。その西の空に雲があるが、お隣の街もはっきりと見えて、すがすがしさ、という言葉が思い浮かぶ。
  電気代と書いて、今月というか、先月の請求を見たが、その前の月よりは、使用電力は下がっているが、きょねんの同じ期間と比べると、使用ワット数は増えている。これは、3月の後半から気温が下がったことが原因していると思う。これ以外に、電気料見直しとかもあるが、使用量は同じ時期では増えていて、寒かったという客観的な見方が出来ると思う。もっとも人は生きている限り、また生き永らえるほど、寒さには敏感になるようで、それを考えると、電気の使用量は、寒さということ以外の要素もあるということになる。

  今頃の気候だと、もう暖房もいらない、使わない、それが普通という方がおられておかしくはない。たとえば、水に関して、お風呂は別にして、普段の生活で冬場に、給湯器を使うなど、若いときはない。まったくない。さらに、冬だって、暖房なしというときもあった。今と昔は、なんだか平行でない、そうゆう感じで時代は変わっている。若い人も冬はお湯を使って顔を洗うかどうかわからないが、昔よりは暖かいと思われる冬に、寒がりの人は暖房の入らない学校の教室では、カイロなど背中に入れているのかも知れない。もっとも、
  同じ時代をすごした先生も、考えてみれば寒がりの方には気の毒だった。

  寒さ、暑さというのは、今の気候変動では、もうなんともいえないと思う。いつでも暑すぎて、また寒すぎるときが来る。きょうも、普段からそう出来れば一番だが、ちょっと寒めの中、3日、あるいは4日ぶりか、歩いたというような歩き方をした。普通の格好では寒く、風も通さないわけでもないが、ないよりはよさそうなものを一枚はおった。空に、大きな鳥がゆっくり上昇してゆく。これは金属製の鳥であって、ジェットエンジンという推力を使って空を移動する。この鳥にちょうどいい北風があって、その姿を眺める。春らしい光景で、これもいつまで続くか。
  早足で、寒くはない。さほど加速しないが、しかし感じとしては惰性というか、慣性というものもありそうで、「力を使わない勢い」で抵抗を少なくしている気持ちはある。ここが普通の速歩と違う。前かがみにならず、しかし勢いを利用して歩いている。車が来て、危ないと思うと、脇によるが、そこで止まって車をよけると、その後の加速が少ししんどい気もする。半ば、だから、惰性で歩いている気持ちで、なるべくなら、平地がいい。上がって下がって、結局最後は同じところに戻るが、これだと、いかにも汗かくが、しかしスケートリンクのような平面であると、上がった下がったの苦労なく戻ってくる。これで、どうにかさほど苦労せず歩けるというもので、もう少しいうと、さほどカロリを消費しない。

  春の新しい花がいくつかあった。
  目を瞠ったのは、アヤメかハナショウブらしき花。そういえば、暖かいところだと、もうこの種の花も咲き誇っているようだが、ここは冬は雪が降る。でも、もうしばらく前から、これはそのうちにショウブの、ハナであるが、またアヤメの花が咲きそうだ、という思いはあった。早すぎるとも思った。しかし、今に思い返すと、もう4月も終りに近く桜も遠い昔に散ってしまったのであって、どうもこの辺りの自然のサイクルは、田んぼとかを見ていてもわからず、また木々の芽吹きを見ていてもわからず、そのものがあるところに行かないといけない。
  北アルプスの残雪は、たまにしか見ることもなく、しかし高峰の山々は、まったくの真冬であって、それを痛く感じ入るとなると、平地でハナショウブの茎も大きくなって来ていることにはなかなか気が付かない。
  
  タンポポもあちこちの空き地で、咲き誇って、春の最初の饗宴は終わり、冠毛、羽の玉がたくさん出来ていて、これが目に鼻に入ると気色悪そうで、大体そのものを取ってきてフッと吹くこともない。でも、冠毛の美しさはいつ見てもいい。黄色と白の、珍しい模様が出来上がって、そういえばこうゆうものも見たことない。ことしはタンポポの当たり年か。これがどこの起源のタンポポか、という問題もありそうだが、私は何がどう違うか、わかりもしないのでさほど興味もない。





  この位置からのカエデは撮りやすく、レンズの調子を見るのにもいい。




  これも目の前にあるので、ごくごく自然とこれを見ている。前後左右奥行きの立体であって、これがなかなか曲者。




  柿の葉の生長も著しいが、まだまだ濃い緑になるのは時間的には先のようである。若葉で、虫とかには食べごろ。




  木の花もいくつかあって、この木にも、こんな花が咲く。




  忘れ去られる感じの強いもので、しかしきょねんもちゃんとこの花を見つけた。




  これは日本のタンポポではないか、と聞かれた。西洋タンポポは「ガク」が広がるが、これはそうではない、という理由らしい。そうゆうことか、とそれから、注意して見ている。

外の花は、新しいものが出て来て

2009-04-23 16:27:34 | 植物・花(春)
  少し沈んでいるという感じもしないではない。

  アンテナが倒れてというわけでもないが、
  これがなかなか元に戻らない。つまり、どうも
  込んでいるのだろう。順番というか、それが回って
  来ないようだ。
  見には来てくれて、その後の進捗がない。

  それでというわけでないけど
  手ぶらで、速歩で散歩道を一回り。
  やっぱり変化はある。ハナミズキの花は、今頃咲くようで
  これがあちこちある。さっぱりと美しい。
  ピラカンサの小さな花も出ている。まことに小さい。
  ハナショウブか、アヤメかというものも見かける。
  チューリップは、この辺りでは散り始めている。
  少し前、全開のタンポポ畑が、今は真っ白な冠毛畑に変わって
  これも面白いもの。
  ただ、見て来ただけ。
  
  相変わらず、古い抽斗から。





  逆光で、ことしはカエデの葉の生育は一段といい。




  フサフサしている。古木なのにね。




  提灯花と緑の新芽がうまく合っている、と思う。




  大きいイチョウは、大きい画像で。



 
  水玉、小さなもの。花は、ムラサキケマン。これしか水玉は出来ないかな。




  これは、というのが、なかなかないのが、またこの水玉を撮りたくなる
  理由のようで、これが好きなのである。

雨は止んだが冷たい風が

2009-04-23 06:56:35 | 散策
  朝のお天気、曇り。風はひどくはないが、冷たい。花粉とか木の芽、花の芽でグズグズするのではなく、寒くて、鼻水が出る感じ。まるで春の初め。雲は明るめで、また北から西の空の地平の向こうは、青空だが、全体は曇り。雨が降ったのは、地面と花の濡れ方から。アメダスの6時の気温、10.2℃、気圧は1015.7hPa、湿度82%。風はというと3mで、北西から。室温は16℃。ピリピリする温度。ヒータを使用。

  暖かかったり、普通だったり、寒かったり気候の変動が激しく、風邪を引いたとかいう便りが、ラジオから流れるが、どうもそれだけを聴いていると、なぜ風邪というのはわからない。この辺り聴いていて、どうしてと思う。仕事が休めずとか、薄着したら、寒かったとか、そうゆう理由が抜けている。で、アナウンサは、このところお天気の変動が激しいから、とその理由を想像しつつ、付け加える。なるほどと思う。今のところ、風邪引いたという感じはない。いつもどっちだというと、厚めの格好で、寒さに対応している。流行もへったくれもない。身なりは、汚くない程度で、あー朝から何を書いているか。

  キジバトが、なんだか悲しそうな声で鳴いている。キジバトもその他の鳥も安心して暮らせるところがなくなりつつある。しばらくは、安住の木々の棲み家は確保されるが、ときにギーギーガーガー独特のエンジン音が聞こえて、辺りの木が切り落とされる。これには鳥もうつてなく、また次の棲み家を探さないといけない。鳥も生きるのが大変である。

  幸いか、ことし咲いた、ツツジを刈り取るのは止めた。それから段々枝葉の大きくなる、古木のカエデも危なっかしいが、木々の緑こそまことに美しく、これも切るのは止め。
  木があって、緑があって、その葉が何よりも美しく思えるときがある。そのうち夏になるが、日差しを遮る。これも涼しい景色である。だが冬になると、雪をたっぷり乗せて、ときに枝ごと折れる。危ないといえば危ない。これが雪が降るか降らないか、地域の差であって、雪さえ降らなければ、カエデも安住出来て、毎年きれいな新緑と紅葉を見せてくれる。どっちの生活を優先するか、人も自らの勝ってで簡単に木を切ったりも出来ないものだと思う。
  その点、雪の降らないところがうらやましい。それなりに悩みはあるだろうが。雪のカエデも美しい。美しさと恐怖は、共存するということなのかも知れない。

  小さなツツジはその点安心で、ことしはせいぜいこのツツジを褒め称えることにする。