光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

花より新緑

2009-04-20 18:52:53 | 散策
  曇り空になって来て、空の青さもなくなって、きっとこの後に雨が降ると思うが、それも明日の朝くらいかという感じ。

  だんだんと気力というか、やる気もうせてくるきょうこの頃。起きる前から、しょうもない夢を見て、それで夢の中でもがいている自分がいる。これが今の自分を反映しているものかどうか、疑わしくしかし半分は当たっている。朝が来るのはいいが、その先に見えるのは、何かというと、何もないような、それでも惰性で、何かをしている。まずは起きて、目の前の温度計を見て、その値を書く。15℃もある。4℃とかいう日が、あるいはもっと低く3℃くらいという日もあった。しかしそうゆう時間も過ぎ去ると、
  今はもう15℃もあって、でも寒い感じがある。この先に何があるかというと、何もないようで、それでも何かしないといけないと思う。この無気力感というのも、どうしようもないもので、たとえばまだまだ若い学生の方々が、試験を無事パスしてその先に安寧の時間があると思うわけだが、その先には、習うのも初めてのドイツ語の授業が待ち受けている。何から何まで初めてで、それで辞書くらいは買う。それに、教科書とかも買わないといけなく、でもせっかく大学に入って、早々頭の痛い、痛くなるドイツ語なり、フランス語なり、中国語なり、ハングル語を勉強するとなると、昔の受験勉強のことが思い出されて、またもや半分地獄に落ちた感じを受ける。もう数学とか、物理学とかそうゆうものはいい、と思っても、今は情報化の時代で、いろいろ古典からの解析やら、それに線形代数とかも勉強しないといけなく、PCの言語も知らないといけない。もうテキストを見るだけで、怖気付く。怖いものはない、と思った、満点の大学生活は、こうして始まった。

  そんなことは経験もないが、それと全然次元の異なる環境にというかそうゆう時に、位置にいるけど、この時季というわけでもないけれど、ご飯というか、パンだがそれを食べるのもいやになる。面倒くさくなる気もあって、これも今に始まったことではないが、多少その程度が進んでいて、どうにもこうにもならない。焦りだけが自分の回りにあって、自分が何も出来ないことにむなしくもなるのである。もう少し何とかならないか、季節の変わり目、でもまったくの変化のない日々が続き、どこかに出かけることもなく、せいぜい地図を見て、あるいは、PR誌に出てくる、その場所とか、時代とか、地図も時代とともに変化するので、昔の地図を見たり探したり、世界史年表を広げたりして、少しだけ気分を回復させる。このことも、
  最近は面倒になり、いやにもなって来て、どうにもこうにもならない。繰り返しが続く。

  気晴らしに外に歩く。すると昔は大きな家があった、という感じのところがあって、空き地になっている。その空き地というのはところどころ目にも付くが、あるところは、「売り地」という看板が出て、そこには不動産会社の情報がある。それにしても、広いところである。こんな地面誰が買うのか、それよりもこんな大きな空き地にどんな人が棲んでいて、それで今があるのか、考えさせられるものがある。盛者必衰とかいう。栄枯盛衰とかもあるが、世の中どうなるかわからず、こうなるよりはましかなど思う。隣の空き地というと、そのままとか持ち主はおられる場合があって、またしかし不幸にもその持ち主もいなくなると、新たにその土地をお隣さんが、購入とかもあるようで、これもまたこの原理に当てはまる。

  空き地というと、国の管理する空き地があって、随分と長い間放置されているようだ。そこに、緑の雑草が生え、またタンポポが盛んに生存している。特に公園でもなく、またときに白い花、菜の花のような白い花が咲き誇る。ここの空き地も大きい。しかし、そのままでこれはある意味いいかも知れない。でも、この回りは、田んぼでもあったりして、存在感は薄い。それゆえ、ずっと空き地のままだが、こうゆうものを見ていると少し気分も回復する。
  やたら狭い感覚で生きている。間隔も狭い。もっと広いところで、深呼吸が必要になる。自分の小ささが見えればなかなかいいことだ。

  ここの回りの垣も、いろいろ小さいけれど枝葉を伸ばすし、しょうがなく、外に出ているものを切ってもらう事にする。いやだけどしょうがない。自然と出てきた、木々の枝をちょん切るのはまことに片腹痛いが、大体簡単に切ることなど不可能である。もったいないとか、残念に思う。

  花が一番とはいえない。いいたいときもあるが、ときに緑が一番とか思う。




  最初に、ムラサキケマン。あるチョウの食草で、これはいいか、この花がムラサキケマンだとはなかなか気が付かなかった。




  紫に似ていない、何色か、シバザクラ。シバザクラは、白もあり、そちらの方へは、10m余分に歩けばいいが、それが出来ない。




  たぶんしばらくは切られることのない新緑。ここではない、よそのお宅の緑であって、いかにも美しく、この濃い緑が印象的。




  ちょっぴり時間がたっている。まだまだ新芽のカエデ。このカエデも今はもっと色濃い。




  濃い緑を中心に回転する感じ。




  大木やら、淡い、黄緑の新緑。




  濃い緑の上に、また緑で、木々も高く大きくなると、必ずといっていいようだが、ばっさりと切られたり、剪定されている。それでも、根元から切り倒されるものもあって、それに比べると、運もいいというか、持ち主の方の優しさもあるのだろう。

逆光のシャクナゲ

2009-04-20 16:24:16 | 植物・花(春)
  お天気は曇り。寒くもないが、また暖かくもなく
  どっちつかずで、でもじっとしていると、寒くなってきて
  相変わらず変温動物だなと思う。
  歩くと、それも重い荷物を持つと、寒いと思っていても
  そのうちに暖かく、それから最後には汗をかいている。
  
  しかし時間がたって、やがて冷える。なんとも新陳代謝の悪いこと。
  過ごしにくい時間である。そのうち嫌でも暑くなる。
  で、きっとそのときは、暑くてバテて、冷たい空気を欲すると思うが
  そのときに今の空気があればなー、
  こうゆう風になればいい。

  シャクナゲの花。大体単調。
  変化はなく、それより退化しそうで、それが怖い。




  大きなシャクナゲで、しかし北側にあって、で逆光になる。
  インパクトが出ていると思う。庭の木という感じで、南側とどっちがいいのか。




  蕾の色。濃い目の桃色である。花になると、斑点模様の色になる。
  ちょっと不思議。




  背も高い。ツツジだと、なかなかここまで来ない。




  光の玉が出来た。ちょうどいい時期に当たったようだ。




  全開モード。




  屋根が入るが、いい感じなので、いく枚か撮ったが、
  うまく屋根も光玉に変わった。 

  シャクナゲは今はちょうど満開のようで、あるもの見るもの皆きれい。
  ただ、ここのツツジはというと、咲きそうでちょっともたついている。
  寂しい咲きかたのツツジで、明日以降期待したい。 

ツツジの花が、咲きそうで。

2009-04-20 06:43:55 | 散策
  朝のお天気、晴れ。細い月が南東の空にあって、まだ暗かった時間この月がきれいに見えていた。外は晴れ。いつものように早めに、空は明るくなる。眠いようで、目が開く。風もなく、外は放射冷却で、露が降りている。瓦からも、露が沸き出てくる感じ。アメダスの6時の気温、9.1℃、気圧は1016.2hPa。湿度は92%。室温は、15℃もあるが、この温度だと今は肌寒い。

  起きるとすでに稜線から、日が出ている。今日は赤めの太陽があって、そばに筋を引く雲があってちょっと賑やかである。空が赤いというかオレンジ色でもあって、その後TVの天気情報を見ていると、雲の出る時間があって、西から雨が降り出すという。それを示しているのかどうか、時間の差がありすぎる。風はほとんどない。

  新聞を引っぱり出して、外の様子を見る。特に変化はないが、これだと話題に困るので、しみじみ辺りを見回すと、ツツジがきのうの暖かなお天気の効果もあってか、白い蕾がさらに膨らんだ。ツツジはもしかしたら、白いものがたくさん咲くかも知れない。もう少しである。日が濃くなると、そのツツジの蕾が透けて見える感じもあり、また少し赤味がある。清楚なつつじで、シャクナゲの色と同じ。
  このツツジの上に虫の一つもいるかと思うが、そうゆうことはまだない。虫はいろいろ細かいものはいそうだが、まだはっきりこの目に印象付けられるものは現われない。
  まだ外は暖かいとはいえず、さっさとうちに中に戻る。あー4月も残り少なく、きっとこれからは、GW、ゴールデンウイークのことでどうのこうのが、主な盛り上がる話題になるようで、あー関係ないなー。

  きょうは朝の段取りの順が狂った。もう、ヤカンがシュポシュポ湯気をたてているのに、まだリンゴも切っていない。それをむしゃむしゃ食べてもいない。これだと、沸騰して、噴出すから慌てて火を弱くする。リンゴも長い間食べている。リンゴに感謝。このあとはトマトか、まだ苗も売られていないが。

  静かな一週間の始まりの二日目。鳥の鳴き声もあまり聞こえない。なんだか落ち着かない、焦りもみえるきょうこの頃。