いい一日、こうゆう日がある。そうゆう日を証明しているかのようないいお天気である。
だが、私はというと、どうゆうことか中途半端なところで、ちゅうぶらりんの状態というか、どっちつかずで、どうしたものか。4月病、5月病も本格化したような気もする、一日である。誰だってそうゆう日がある。もっとひどいときもあるが、こうゆう日もある。なんともどうしようもない気分で、あまり、はしゃがないほうがいいようである。
朝も時間を決めて、どうするか前もってわかっていると、それだけ考えればいいが、それ以外のものが入ってくると、どうゆう風にするのがいいか、選択肢が増えるととたんに気も重くなる。そうゆうことに慣れていない。ある段取りがあって、それに則ってというと、どうにかスムーズにゆくようで、これもあまりに考えないでというのが一番だが、
きょうは朝も起きたときから、調子はぱっとしなかった。寒かったり、暖かかったり、それに半分暖かく、それも表面だけというときもある。お腹が冷える、そうゆう感じ。最近長く夢を見るように感じてあまり感心できない。でも実際の夢見る時間は短いようで、これは現実の夢と似ている。そんなものはすぐに消えてしまう。なんどもそう思った。夢も、その人にとっていいという考えもあり、何も冷や汗とか、うなされる夢が決して悪いとはいえないような気がする。でも、どうせ見るなら、やはりいい夢がよく、だがその回数は少ない。惜しい夢もあって現実的な夢ももはやないと眠りの夢に期待したい気もある。
現実の夢は永久に夢であって、それが現実となるとまた夢みたいなことを考える。最も夢だと思っていたことが、現実となると夢でなくなることも多く、やはり夢は夢。そうおもうと、眠って見る夢も貴重に思える。
きょうは、連休の前でもあって、ある方の、自分ではない、その薬をお医者さんにもらいにゆく日でもあって、きょうにするか明日にするかどっちでもいいがきょうにした。でも、なぜか出かけるくらいの時間、ちょっと本調子でなく、でも外の景色を見て悪くはなかった。その景色というのも、タンポポが真っ白になって、そのあたり一面、真っ白けというもので、なかなかいいものを見たと思った。これが雪だったらと思うと、ぞっとする。それに加えて、
家庭菜園には、春の野菜も出ていて、「絹さや」、サヤエンドウの別名か、の花がきれいだった。ほかに何があるか、葱があってそれくらいかも知れない。まだまだ、本格化はしていない家庭菜園だが、この後はナスだのトマトだの、それにキュウリも出てくるだろう。それくらいしか思い付かないが、家庭菜園といっても、いまどきの苗一つといってもそう安いものではない。これをいうと、というか言い出すと、つまりお金のこと、夢も何もなくなってしまう。自分の作物に対する愛情だとかも大切だが、コストもかなりかかる家庭菜園で、今思うにかなり心の広いというか、生き物に英気をもらっている、それに比べるとこのお金は安いものだよ、などいうくらいの、器の大きい人でないと、なかなかやれなくも思う。
お金の勘定はしかし大切で、これに関してはきっちりしないといけないというのが、自分の考えだけど、これと家庭菜園は、協調的かどうか。
いくつかの、花とか。
梅の木。ようやく、葉っぱが出てきた。
梅の木の、葉っぱの拡大。お茶の葉みたいでもある。
ハルジオン。
日が強くて、少ししおれている、ハルジオン。
白が透明に近くなる、白ツツジの時間。
無理して白くなっているわけではない、ドウダンツツジはまだ咲いている。
だが、私はというと、どうゆうことか中途半端なところで、ちゅうぶらりんの状態というか、どっちつかずで、どうしたものか。4月病、5月病も本格化したような気もする、一日である。誰だってそうゆう日がある。もっとひどいときもあるが、こうゆう日もある。なんともどうしようもない気分で、あまり、はしゃがないほうがいいようである。
朝も時間を決めて、どうするか前もってわかっていると、それだけ考えればいいが、それ以外のものが入ってくると、どうゆう風にするのがいいか、選択肢が増えるととたんに気も重くなる。そうゆうことに慣れていない。ある段取りがあって、それに則ってというと、どうにかスムーズにゆくようで、これもあまりに考えないでというのが一番だが、
きょうは朝も起きたときから、調子はぱっとしなかった。寒かったり、暖かかったり、それに半分暖かく、それも表面だけというときもある。お腹が冷える、そうゆう感じ。最近長く夢を見るように感じてあまり感心できない。でも実際の夢見る時間は短いようで、これは現実の夢と似ている。そんなものはすぐに消えてしまう。なんどもそう思った。夢も、その人にとっていいという考えもあり、何も冷や汗とか、うなされる夢が決して悪いとはいえないような気がする。でも、どうせ見るなら、やはりいい夢がよく、だがその回数は少ない。惜しい夢もあって現実的な夢ももはやないと眠りの夢に期待したい気もある。
現実の夢は永久に夢であって、それが現実となるとまた夢みたいなことを考える。最も夢だと思っていたことが、現実となると夢でなくなることも多く、やはり夢は夢。そうおもうと、眠って見る夢も貴重に思える。
きょうは、連休の前でもあって、ある方の、自分ではない、その薬をお医者さんにもらいにゆく日でもあって、きょうにするか明日にするかどっちでもいいがきょうにした。でも、なぜか出かけるくらいの時間、ちょっと本調子でなく、でも外の景色を見て悪くはなかった。その景色というのも、タンポポが真っ白になって、そのあたり一面、真っ白けというもので、なかなかいいものを見たと思った。これが雪だったらと思うと、ぞっとする。それに加えて、
家庭菜園には、春の野菜も出ていて、「絹さや」、サヤエンドウの別名か、の花がきれいだった。ほかに何があるか、葱があってそれくらいかも知れない。まだまだ、本格化はしていない家庭菜園だが、この後はナスだのトマトだの、それにキュウリも出てくるだろう。それくらいしか思い付かないが、家庭菜園といっても、いまどきの苗一つといってもそう安いものではない。これをいうと、というか言い出すと、つまりお金のこと、夢も何もなくなってしまう。自分の作物に対する愛情だとかも大切だが、コストもかなりかかる家庭菜園で、今思うにかなり心の広いというか、生き物に英気をもらっている、それに比べるとこのお金は安いものだよ、などいうくらいの、器の大きい人でないと、なかなかやれなくも思う。
お金の勘定はしかし大切で、これに関してはきっちりしないといけないというのが、自分の考えだけど、これと家庭菜園は、協調的かどうか。
いくつかの、花とか。
梅の木。ようやく、葉っぱが出てきた。
梅の木の、葉っぱの拡大。お茶の葉みたいでもある。
ハルジオン。
日が強くて、少ししおれている、ハルジオン。
白が透明に近くなる、白ツツジの時間。
無理して白くなっているわけではない、ドウダンツツジはまだ咲いている。