光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

木々を見ていると、初夏なのだけど

2009-04-24 19:01:57 | 散策
  あまねく、植物の緑が目にしみるくらい、の気候であって、まったく地球も温暖化してしまったが、その割りに寒い話しが多く、どうしたものか、これまでは聞くだけというか、書物で知るだけというもう一つの現実が、どっかと存在して、それが日増しに大きくなるようで、これにはお手上げだが、対処法もわからず、おどおどし、また興ざめもする。

  人は老いるものだけど、どうしてもその性格というかそうゆうもののあるところは顕著になって、被害妄想を持ったりもする。こうゆうものはよくあるのだが、「うち」の中でこの問題が起こると厄介というしかない。第三者は、そのことの一部終止を知ることはまずはないからで、適当にその隙間を読んでいる。そうゆうように自分というか、私も世間での出来事を理解してきて、多少は生き延びる方法にもつながるものとは思うものの、さて当事者になってみるとこれもどうしようもないくらい、複雑怪奇でどうにもこうにもならない。まだ、ましな方だとは思っているが。
  認知症という言葉はわかりづらいものがあって、昔は老人性の痴呆症とか言われた。痴呆症状が出るというのはたしかなことで、つまりは世間に一般にいわれる常識の範囲を逸脱するということのようだが、これなどは、個人的にはよくあることである。これは差別用語のようで、たしかになーという感じはある。もともと人は、大体おかしなものであるという感覚はあって、自分だって君はおかしいといわれても、さほどなんとも思わないような感じというのは、早い時期からあった。あったというか、そうゆうこともないこともなく、そう言うしか対抗の方法がないという、これも少し理屈に合わないものだが、感じもあることは歪めない。
  
  自分もまーおかしなこともあるなと思うこのごろだけど、もう一人の人が、これも「認知症」かどうかわからないところも多いが、お医者さんにもかかっているが、物忘れとかそうゆうところはもう普通であって、自分でもわかっているようだが、それ以外のことで欲求不満というか、我慢できないことがあるらしく、また寂しいとか、自分は馬鹿にされているということを繰り返し言われるので、こちらもどうしていいかわからず、そこでまたもやここに「愚痴」のようなことを書かざるを得ないのである。悲しいかな、どうしていいかわからない。だが、

  これがいつも続くかというと、そうでもないのであって、だからもう少し何とか出来ないかと思う。無論、四六時中具合が悪いと訴えられても、これもよりどうしようもなくなる。これが、そうならないことを祈るだけだが、それにしても、弱ったものである。

  でも、まだ外に出かける時間は持てる。これがあっても、なかってもあまりに変わりはないが、外の空気を吸った方はいいし、それで気分も転換できる。だが本質のところで、またいつもの問題に戻ってしまう。これに慣れるというのは、なかなか出来ないものである。出来るだけ冷静にあれと思うが、これが裏目に出るときもある。木々の緑はますます濃くなるし、それに加えて明るさも増してくる。
  もうしばらくするとGWで、これにあまりに興味はないけれど、まっ多少は気分の転換になるようで、淡い期待を抱いている。

  ツバメが空を舞う。またトビがそれよりもかなり空高く舞うときもあって、その姿が、まるでツバメのように見えるときもある。空を悠々と飛ぶ姿がある。
  それでツバメの方というと、そろそろ巣作りの時間であって時々、その場所辺りを通るときは、観察をする。まだ、滅多に会うときはないのが普通だが、
  どうしたことか、白と黒の模様は同じで、しかしその鳥はセキレイと思われる、その鳥がツバメのお宿と同じというか、少し離れて巣作りをしているようで、これにも少し驚いた。この白と黒のセキレイも一年中いるようでどこに棲んでいるかよくはわからなかった。そのセキレイが、ツバメと同じようなところに巣を作る。これは新しい発見で、セキレイも棲むところがだんだんと都市化してきたのかと思う。
  小鳥の卵はカラスとか、に狙われる。こんなことは書かない方がいいか。鳥も鳥を敵に持つ。自然の掟の厳しさを見せ付けられる一面である。キジバトも同じように、他の誰にも気付かれないような、そうゆうところに巣を作る。この辺りの鳥は大体この辺りで生まれているのではないか。小動物の不思議を思う。

  鳥の動きは活発だが、虫はというとそうではないようで、この辺りも少し寂しいものがある。





  同じものが並ぶ。何か変わったものもない。で、タンポポかどうかわからないが、種が付く、冠毛。筆のようで、真っ白。




  生き物の足、足の裏のようでもあり、奇妙な感じがする。




  これは、西洋タンポポだろう、と思う。曇り空で、ちょっとゆるく開いている。




  白ツツジに、虫。その最初で、ハエである。嫌われそうな感じがある。




  花アブ。花アブも小さいものは小さく、これも大きくなって白ツツジの花弁にしがみついている。




  同じようで、ちょっと違う、花アブ。この虫も風に揺れるツツジにしがみついて、なかなか逃げる気配はなった。

寒いですね、という言葉が出る

2009-04-24 16:21:07 | 植物・花(春)
  日も陰ってきて、なんだかどうなってゆくのか。
  風も出てきて、これもこのところずっと、弱い時もあるが、
  吹いている。
  この感じというか、予報だと、夜は雨。
  明日は、もっと寒くなる。
  どうなっているのか、また繰り返す同じ言葉。

  目をくるくる回すと、新緑ばかり、花もまた新しく出てくるが、
  今一つ元気はない。この緑を見て、元気も沸いて来ないのが
  ちょっと残念。


  時間のたったもの、最近のもの、混ぜこぜで。



  なんだろうという、この木は近くにあって、今はもっとこの花の芽が
  たくさん出ている。濃い緑が印象的。




  濃い緑関連だと、オウレンの若葉もあまり日も当たらない
  ところにあるが、濃い緑をしている。




  曇りの日の、カエデの緑と花。




  マクロで見た、緑濃い木々の花。オシベが大きい?。




  これは新しいもので、きのうか一昨日の、シャクヤクの花芽。
  でも、ここから花開くまで時間がかかりそう。



  めでたく、たくさんの白い花を付けたツツジ。この花の写真は、
  山のようにあるが・・・。 

ほぼ快晴の空だけど

2009-04-24 06:48:32 | 散策
  朝のお天気、空は青く、かすかに雲があって、これは快晴。きのうから、晴れで、放射冷却があって、少し寒いくらい。寒暖の差が激しく、これに体は付いていけない。なかなか過ごしにくい、春本番で、夏のような、花々がある。アメダスの6時の気温、9.2℃、気圧は1022.2hPa、湿度は85%。室温は、14℃で、ゴクゴク普通だが、肌寒い。

  晴れているときも多い。それで、春の星空を眺めることもあまりない。春の今頃の、南、東の空は少し寂しく、これは秋もいえる。それゆえ地上を見て、花々を愛でる、というのはなんだかおかしい。でもたしかに、木々の、花々の美しさは、直感的で、うったえるものがある。もっとも、太陽という星があっての話しで、原点はそこにもどる。

  水が流れる音がときどき聞こえる。これは、農業用水を流れる水の音で、秋も稲刈りが終わる前に、水は流れなくなり、雨でときどき小さな水たまりは出来るが、たまに水も移動するが、冬は雪がそこにたまり、春はまだ用水の水は流れない。流れない方が安全だが、この用水に転落して、という事故はたまに聞く。大きいもの深いもの、いろいろで、暗いとわかりづらい。
  この用水に水が流れると春も本番というか、田植えも近いと思うが、実際、イネの苗が生長して、それが田に植えられるのが、5月の連休の後で、段々と遅れる、というか遅らせている。それでも早いものは、9月の半ばには、収穫となり、イネの時間も昔と比べると、短い。

  この用水に水が流れると、何となくだが、外の気温も1、2℃下がるので、寒く感じる。花冷え、用水冷えがあるのではないか、ただ、これを書きたいだけで、長たらしくなった。
  天気は晴れで、風もないか弱く、今日はほどほどのお天気になりそうで、先ほどTVで、お天気情報を見ていたら北海道だと0℃前後のところがある。なるほど、これでは桜もまだ咲かない。春もまだ遠いこともわかる。

  花というと、もう初夏の花だと思うが、シャクヤク、それから、シランのものの、花芽が出ているのにも気が付いた。シャクヤクは、ここにもあるが、あちこちニョキニョキ出ていて、これも楽しみ。シランもあちこちにあり、多年生植物のありがたさがよくわかる。
  空にツバメが舞い、一度カッコウの鳴き声も聞いた。これはTVから聞こえたのではなく、本物のようだったが、その声も今はしない。カッコウもここに来るのが早すぎた。