カエデというと、なんだという感じが自分の中にもあって、しかし、モミジという植物は「カエデ」とよんだ方がいい気がして、モミジという言葉は、普段は使わない。「イロハモミジ」とか限定出来るといいが、そうも出来ないものがある。
で、カエデであって、その花はというと、考えることも、また見ることも、あることも知らなかった、つい最近、カエデの花というのを知ったようで、今この季節になって思い出している。
それはさておき、たしかきのうのことだったが、今は結構騒音がひどい。かなりひどく、そうゆう音に弱いというか、頭がガンガンするような音は大嫌いで、これもなかなかそれに文句を言うことも出来ないのも事実だが、音の不快感というのは結構、ダメージがある。耳は耳鳴りもするが、まだウグイスだとこれは美しく、脳は活性化しそうである。しかしウグイスもそれからカラスも、またヒヨドリやら、オナガやら、モズにキジバトに、その他メジロに、ツバメさえびっくりして、どこかへ行ってしまう、というこの騒音がこのところ辺りに満ち満ちている。
用があって歩いていてその騒音の正体が接近しつつあって、私は立ち止まった。しばらくして拡声器の音が止まった。止んだ。なんでかよくはわからないが、まずは一安心で、用事もあるので前進する。その先に、なぜか真っ白で長めの大きなといっていい車がすべるように走っていって、しかし、それはどう見ても騒音の正体ではなかった。あんな車誰が乗る。どうでもいいが不思議に思った。
その後、静かになって、それによるストレスはなくなったが、それにしても人のことを考えてくれるなら少しは、静かにしてくれと思うのも、もっともであろう。さて、簡単な用を済ませて帰ってくる。用事にもいろいろあり、また数が増えるといけない。なんとなくだが、必要不可欠な郵便を出すときは何はともあれ、それをポストに入れるのがまず最初にやらなければいけないことだが、なぜか、これもそのそばに来ると、同じ郵便と付くが、郵便局のほうに行ってしまい、その後その肝心の郵便物を投函するのを忘れるということがある。
さらに自分では入れたと思って、さて帰って来てから、あれ郵便物をポストに入れた記憶がばっさりと消えていることに気付く。局にはいった、これは問題ない。その結果が残っている。しかし郵便物はどうだろうか。記憶はないが、さてそれでバッグを見ると、入れた封筒はないようだ。ないとなると、ポストに入れた可能性が高い。でも、記憶は飛ぶのである。こうなると落としたのではという可能性もあって、この不安の連鎖は止まることを知らない。
用事一つでいろいろよみがえる。さて、で、先ほどの豪華というか、真っ白で超高級車とも思える、その車はお寺の前で止まっていた。うーん、こうなるともう何であるかわかったも同然であって、それ以外に、先に多めの車やら、それから送迎用のバスも来ていて、このお寺で葬儀が行なわれることはたしかだった。もう少し正確に書くと始まりつつあって、その先のお寺のほうを見ると黒い服を来た方が、忙しそうにしている。
この車に、色違いだが私も乗ったような記憶があるようだが。でも、もうこの記憶も薄れている。いつのことだったかなー。
いろいろなことがあるようで、白い車に、拡声器を積んだ車に、いずれにしろ、非日常のものかも知れない。うるさいのは勘弁してというタイプであって、物静かなのがいい。だから、きょうはたぶんこの方向は、静かでないかという方へ歩いてみた。昔というと、いつのこととなるが、その方へいったこともある。でも、なかなかその方角にゆかなかったというのも考えてみると変だった。
呼び名の異なる、しかしお隣の地域で、こことよく似て道は狭いし、また道はあちこちで曲がっていて、迷子にもなりそうなところである。
今は冬に播かれた麦、何という麦かはわからないが、この麦が緑の穂を出していた。稲と違って、その穂はぴんと立っている、すべてにおいて、鋭いものがある。棘のようなものが穂の先から出ている。これが、また格別に美しく、見ていて惚れ惚れするものがある。こんな美しいものか、大仰だが、そうゆう表記が多いが、今の、この後は麦秋というのだろうけど、麦の緑のすばらしさにしばし見とれていた。
ちらり、書いたが、桜吹雪もあって、これは知らなかった。驚くことでもないけれど、結構いいお花見が出来たように思うが、それよりもいろいろ新鮮なもの、小さな発見があって、これは、まずは騒音に感謝しないといけないかも。
カエデの、花。
まずはシャクヤク。この植物が出て来て、嬉しい。でも去年は花を咲かせなかった。花が出来るというのは、花芽が出来るかどうかだが、結局日当たりが一番の条件である。
目の先にある、垣の背丈もちょうどという、カエデの花。たぶん花だろう、と思うけれど。これをまじまじと見るのも初めてである。
一つ見つかると、もう一つという感じでそこに花がある。
小さな、赤いマッチの先のようなものが、こんなようになっているなんて。
もう少し目を大きく広げる。たくさんあるところ。
大きな木の、赤いマッチの先。これもみな花。たくさんあるねー。
で、カエデであって、その花はというと、考えることも、また見ることも、あることも知らなかった、つい最近、カエデの花というのを知ったようで、今この季節になって思い出している。
それはさておき、たしかきのうのことだったが、今は結構騒音がひどい。かなりひどく、そうゆう音に弱いというか、頭がガンガンするような音は大嫌いで、これもなかなかそれに文句を言うことも出来ないのも事実だが、音の不快感というのは結構、ダメージがある。耳は耳鳴りもするが、まだウグイスだとこれは美しく、脳は活性化しそうである。しかしウグイスもそれからカラスも、またヒヨドリやら、オナガやら、モズにキジバトに、その他メジロに、ツバメさえびっくりして、どこかへ行ってしまう、というこの騒音がこのところ辺りに満ち満ちている。
用があって歩いていてその騒音の正体が接近しつつあって、私は立ち止まった。しばらくして拡声器の音が止まった。止んだ。なんでかよくはわからないが、まずは一安心で、用事もあるので前進する。その先に、なぜか真っ白で長めの大きなといっていい車がすべるように走っていって、しかし、それはどう見ても騒音の正体ではなかった。あんな車誰が乗る。どうでもいいが不思議に思った。
その後、静かになって、それによるストレスはなくなったが、それにしても人のことを考えてくれるなら少しは、静かにしてくれと思うのも、もっともであろう。さて、簡単な用を済ませて帰ってくる。用事にもいろいろあり、また数が増えるといけない。なんとなくだが、必要不可欠な郵便を出すときは何はともあれ、それをポストに入れるのがまず最初にやらなければいけないことだが、なぜか、これもそのそばに来ると、同じ郵便と付くが、郵便局のほうに行ってしまい、その後その肝心の郵便物を投函するのを忘れるということがある。
さらに自分では入れたと思って、さて帰って来てから、あれ郵便物をポストに入れた記憶がばっさりと消えていることに気付く。局にはいった、これは問題ない。その結果が残っている。しかし郵便物はどうだろうか。記憶はないが、さてそれでバッグを見ると、入れた封筒はないようだ。ないとなると、ポストに入れた可能性が高い。でも、記憶は飛ぶのである。こうなると落としたのではという可能性もあって、この不安の連鎖は止まることを知らない。
用事一つでいろいろよみがえる。さて、で、先ほどの豪華というか、真っ白で超高級車とも思える、その車はお寺の前で止まっていた。うーん、こうなるともう何であるかわかったも同然であって、それ以外に、先に多めの車やら、それから送迎用のバスも来ていて、このお寺で葬儀が行なわれることはたしかだった。もう少し正確に書くと始まりつつあって、その先のお寺のほうを見ると黒い服を来た方が、忙しそうにしている。
この車に、色違いだが私も乗ったような記憶があるようだが。でも、もうこの記憶も薄れている。いつのことだったかなー。
いろいろなことがあるようで、白い車に、拡声器を積んだ車に、いずれにしろ、非日常のものかも知れない。うるさいのは勘弁してというタイプであって、物静かなのがいい。だから、きょうはたぶんこの方向は、静かでないかという方へ歩いてみた。昔というと、いつのこととなるが、その方へいったこともある。でも、なかなかその方角にゆかなかったというのも考えてみると変だった。
呼び名の異なる、しかしお隣の地域で、こことよく似て道は狭いし、また道はあちこちで曲がっていて、迷子にもなりそうなところである。
今は冬に播かれた麦、何という麦かはわからないが、この麦が緑の穂を出していた。稲と違って、その穂はぴんと立っている、すべてにおいて、鋭いものがある。棘のようなものが穂の先から出ている。これが、また格別に美しく、見ていて惚れ惚れするものがある。こんな美しいものか、大仰だが、そうゆう表記が多いが、今の、この後は麦秋というのだろうけど、麦の緑のすばらしさにしばし見とれていた。
ちらり、書いたが、桜吹雪もあって、これは知らなかった。驚くことでもないけれど、結構いいお花見が出来たように思うが、それよりもいろいろ新鮮なもの、小さな発見があって、これは、まずは騒音に感謝しないといけないかも。
カエデの、花。
まずはシャクヤク。この植物が出て来て、嬉しい。でも去年は花を咲かせなかった。花が出来るというのは、花芽が出来るかどうかだが、結局日当たりが一番の条件である。
目の先にある、垣の背丈もちょうどという、カエデの花。たぶん花だろう、と思うけれど。これをまじまじと見るのも初めてである。
一つ見つかると、もう一つという感じでそこに花がある。
小さな、赤いマッチの先のようなものが、こんなようになっているなんて。
もう少し目を大きく広げる。たくさんあるところ。
大きな木の、赤いマッチの先。これもみな花。たくさんあるねー。