光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

カエデの花

2009-04-16 19:03:04 | 植物・花(春)
  カエデというと、なんだという感じが自分の中にもあって、しかし、モミジという植物は「カエデ」とよんだ方がいい気がして、モミジという言葉は、普段は使わない。「イロハモミジ」とか限定出来るといいが、そうも出来ないものがある。
  で、カエデであって、その花はというと、考えることも、また見ることも、あることも知らなかった、つい最近、カエデの花というのを知ったようで、今この季節になって思い出している。

  それはさておき、たしかきのうのことだったが、今は結構騒音がひどい。かなりひどく、そうゆう音に弱いというか、頭がガンガンするような音は大嫌いで、これもなかなかそれに文句を言うことも出来ないのも事実だが、音の不快感というのは結構、ダメージがある。耳は耳鳴りもするが、まだウグイスだとこれは美しく、脳は活性化しそうである。しかしウグイスもそれからカラスも、またヒヨドリやら、オナガやら、モズにキジバトに、その他メジロに、ツバメさえびっくりして、どこかへ行ってしまう、というこの騒音がこのところ辺りに満ち満ちている。
  用があって歩いていてその騒音の正体が接近しつつあって、私は立ち止まった。しばらくして拡声器の音が止まった。止んだ。なんでかよくはわからないが、まずは一安心で、用事もあるので前進する。その先に、なぜか真っ白で長めの大きなといっていい車がすべるように走っていって、しかし、それはどう見ても騒音の正体ではなかった。あんな車誰が乗る。どうでもいいが不思議に思った。

  その後、静かになって、それによるストレスはなくなったが、それにしても人のことを考えてくれるなら少しは、静かにしてくれと思うのも、もっともであろう。さて、簡単な用を済ませて帰ってくる。用事にもいろいろあり、また数が増えるといけない。なんとなくだが、必要不可欠な郵便を出すときは何はともあれ、それをポストに入れるのがまず最初にやらなければいけないことだが、なぜか、これもそのそばに来ると、同じ郵便と付くが、郵便局のほうに行ってしまい、その後その肝心の郵便物を投函するのを忘れるということがある。
  さらに自分では入れたと思って、さて帰って来てから、あれ郵便物をポストに入れた記憶がばっさりと消えていることに気付く。局にはいった、これは問題ない。その結果が残っている。しかし郵便物はどうだろうか。記憶はないが、さてそれでバッグを見ると、入れた封筒はないようだ。ないとなると、ポストに入れた可能性が高い。でも、記憶は飛ぶのである。こうなると落としたのではという可能性もあって、この不安の連鎖は止まることを知らない。
 
  用事一つでいろいろよみがえる。さて、で、先ほどの豪華というか、真っ白で超高級車とも思える、その車はお寺の前で止まっていた。うーん、こうなるともう何であるかわかったも同然であって、それ以外に、先に多めの車やら、それから送迎用のバスも来ていて、このお寺で葬儀が行なわれることはたしかだった。もう少し正確に書くと始まりつつあって、その先のお寺のほうを見ると黒い服を来た方が、忙しそうにしている。
  この車に、色違いだが私も乗ったような記憶があるようだが。でも、もうこの記憶も薄れている。いつのことだったかなー。

  いろいろなことがあるようで、白い車に、拡声器を積んだ車に、いずれにしろ、非日常のものかも知れない。うるさいのは勘弁してというタイプであって、物静かなのがいい。だから、きょうはたぶんこの方向は、静かでないかという方へ歩いてみた。昔というと、いつのこととなるが、その方へいったこともある。でも、なかなかその方角にゆかなかったというのも考えてみると変だった。
  呼び名の異なる、しかしお隣の地域で、こことよく似て道は狭いし、また道はあちこちで曲がっていて、迷子にもなりそうなところである。
  今は冬に播かれた麦、何という麦かはわからないが、この麦が緑の穂を出していた。稲と違って、その穂はぴんと立っている、すべてにおいて、鋭いものがある。棘のようなものが穂の先から出ている。これが、また格別に美しく、見ていて惚れ惚れするものがある。こんな美しいものか、大仰だが、そうゆう表記が多いが、今の、この後は麦秋というのだろうけど、麦の緑のすばらしさにしばし見とれていた。

  ちらり、書いたが、桜吹雪もあって、これは知らなかった。驚くことでもないけれど、結構いいお花見が出来たように思うが、それよりもいろいろ新鮮なもの、小さな発見があって、これは、まずは騒音に感謝しないといけないかも。


  カエデの、花。




  まずはシャクヤク。この植物が出て来て、嬉しい。でも去年は花を咲かせなかった。花が出来るというのは、花芽が出来るかどうかだが、結局日当たりが一番の条件である。




  目の先にある、垣の背丈もちょうどという、カエデの花。たぶん花だろう、と思うけれど。これをまじまじと見るのも初めてである。




  一つ見つかると、もう一つという感じでそこに花がある。




  小さな、赤いマッチの先のようなものが、こんなようになっているなんて。




  もう少し目を大きく広げる。たくさんあるところ。




  大きな木の、赤いマッチの先。これもみな花。たくさんあるねー。   

曇り空の、新緑と花

2009-04-16 16:19:55 | 植物・花(春)
  寒い、ついにこの言葉がよみがえる。
  驚くほど寒い。外の気温は、アメダスで知るのが一番だが、
  ほぼ、今までが暖か過ぎたから、感じるのは、体感気温は真冬のそれ。
  これに北風が加わる。だから、
  格好としては、真冬と同じくらいでないと。

  でも多少の寒さである。感じる寒さは、かなりだが、気にしてはいけない。
  いつものように、もはやこれで体重が減ることはないが、
  気分転換にもなるし、第一これしかないようなので、歩いた。
  静かなほうへッ向かうことにする。すると
  
  そこに道があった。未知の道のようで、しかしちゃんと舗装もしてある。
  いずれ戻ってくるのは間違いなく、回転するように歩く。
  信じられないが桜吹雪の舞った跡があった。
  こんなところがあった。知らなかった。
  こんどはカメさんを持とう。もう桜吹雪はないだろうが。

  で、いつもの変化の乏しいもの。
  曇り空。




  落ちたツバキ。これはあちこちにあるが、なかなかこれで、真っ赤、
  あるいは桃色、あるいは白色だらけにはならない。




  上の落ちたツバキではないが、このツバキも花が多い。この下は、
  結構真っ赤だが、ただ見た感じは、上のものの方がいい。




  緑濃くなった、なんだかわからない木。曇りだと適度な色具合が出る、と思う。





  スズランスイセンは、水滴を蓄えているようにも見える。




  またフワフワ、モンシロチョウが飛んで来て、花に止まった。
  なかなか逃げそうにない。




  白く、緑も澄んで、美しい。

冷たい雨と風

2009-04-16 06:51:28 | 散策
  朝のお天気、北風と、冷たい雨。お天気の回復は遅れるようで、きょうは、きのうに比べて、寒いという修飾語か活躍する。何しろまだ暗い。初夏から、普通の春に戻った。でも、寒いので、コタツもヒータも大活躍。アメダスの6時の気温、10.2℃、気圧は1011.2hPa、湿度は95%。室温はというと、14.2℃で、今週の火曜は18℃もあったから、かなり涼しく、また寒い感じ。

  ラジオを聴いていると、ときに暖房を片付けた、とかいう話題が出るが、またきょうなどは、コタツを引っ張り出しました、というメールも来そうである。涙もろいアナウンサだと、「息子が郷里を離れて、東京の大学にゆきました。元気に出かけてゆきましたが、それから何の連絡もなく、スーパに出かけても、あーもう息子の分の買い物はしなくてもいいのだな、と思い、またそのものを籠から出して、もとに戻しました。なんだか、まだ1週間しかたってませんが、寂しくてどうしようもありません」、などという便りにぐっと胸に迫るものがあるようで、なるほどもらい泣きをしそうである。それにしても、うまいというか、よく出来た話しである。
  その息子さんの方はというと、普通だといろいろ楽しいことに目がゆく。学業のほうが少し心配で、しかし東京は大都会。まったくのワンダーランドで、こうゆうものに対する、耐性はというと田舎では、失礼な表現だが、付かないもので、本当にこちらも心配する。まーこれ以上のことなど、書くことも出来ないが。

  鄙である。鄙びたところというのは、それなりの掟というか、不文律があってそんなものは無視しているが、まー仲良く暮らすことは一番である。段々、人も角がとれてまあるくなるが、それにしても、解せないところは多い。だから、時代は変わっても、まったくの21世紀に棲んでいる、人間ではあるが、昔の、昭和の人間と変わらない感覚が、回りには溢れている。昔は、まー車は少なかった。皆歩くか、自転車か。それが皆、車に変わり、一人に2台というところまでいっている。でも、話しとかで感じるものは祖父祖母の時代となんら変わらず、私は浮き上がる。それでもいいようで、いろいろなところ変人、奇人、怪人がいてもいい。もっとも、私もそうだが、多くの人は自分は正常であると思っている。これは正しい。それでいいのである。ただ、なにかを人に押し付けると、問題が多少は生じるだけである。これが平和というもの。

  朝、寒いとまた屁理屈みたいなことを書いた、頭の中に常にあることで、これ以外に、いろいろ個人的な、またうちの中の悩みとか、心配事がある。これに押しつぶされそうで、もがいている感じがする。いまいち、気分も優れず、ご機嫌はというと、斜めで、これも悪いと思うが、お天気のせいにする。でも、このお天気も捨てたものではない。