光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

蜘蛛も花が好き

2007-04-20 07:29:01 | 散策
  朝の天気、晴れ。全体に靄がかかっている。視界は悪いが、風が出てきた。室温12.5℃。
  虫も好き好きだが、今どき、なかなかその虫の姿を見る事はなく、どこか地面の下やら、木の洞穴の中にいるのだろう。虫といっても、卵だったり、幼虫であったり、さらにまだ地上に現われていないものもいる。セミなどは、長いものはずいぶんと地下にもぐっていて、その暗黒の世界で何が行なわれているか、想像する事は難しい。モンシロチョウがふわふわ飛んでるのを少し見かけるが、これは成虫のまま冬を越したのか、暖冬で早く孵化したのかどちらかはわからない。
  虫がだめで、という方は多い。さらに、蜘蛛はもっとだめでという方もおられて、世の中は多様である。この蜘蛛であるが、虫よりもずっと早く目に入るもので、窓の外側に出っ張りがあって、これを花置き場というらしい、ここの柵の間隔が10㎝くらい、小さな米粒より小さな蜘蛛も巣を張ることができる。この巣に一体どうゆう物が引っかかるか考えてみる。こんな小さな蜘蛛が食べられるものとは。
  蜘蛛の姿をより鮮明に見るのは、花の写真をモニタで見るときで、さらにまず植物だと大概はその姿は見えないが、蜘蛛の巣は一緒に写っていて、これがやけによかったりする。花に吸い寄せられる蜘蛛だが、チューリップにもいた。この蜘蛛もまだまだ小さく、一体どうゆうものか、それよりもこの花に巣を張るかどうか。どうも、花に吸い寄せられる蜘蛛は、そこに滞在する蜘蛛は、巣など張る種類ではなく、上品に花にたまる水やら、あるいは花に酔って花の中から出られなくなった虫やら、傷み出した花弁から養分を吸い取っているのではないか、と思われる。
  そういえば、緑色の蜘蛛もいた。花の中を移動していたが、これが巣を張ったかどうか忘れた。蜘蛛にも、巣を張らなくて生きているものがいてもおかしくはない。蜘蛛の巣がピーンと一本張られたものの姿はなかなかいい。だが、花の中でもがいていて、ぼけている蜘蛛はあまり歓迎されない。ドンぴしゃりと来れば、勝っ手なものだが、にんまりする。

あけらかんと咲いていた

2007-04-19 19:06:15 | 植物・花(春)
  いいお天気、こうゆう日もあるのか。忘れていた。GWがこうゆうお天気だといいが。
  錠剤の薬を飲んでいる。これが、どうゆうものかあまり気にしないが、プラの包装材に包まれているうちはいいが、別に飲み忘れても問題はないのだけど、これがときどき取り出した後、取り出すって押し出すしかないが、どこかにいってしまう時がある。これで、困ったことになるが、一番この可能性が大きいのは冬場で、例えばコタツに入って、包装材をポチッと押す。すると、コタツの上においてある板の上にピョッコリ乗っかっているはずだが、ない。コトンコトン、ドングリのようにころがっていく時があって、これがコタツの布団なり、眠る布団の中に転がろうものなら、探し出す事は不可能で、もうそうゆう飲み方は止めた。
  薬の種類があって、はたして毎回正しく規定の量を飲んでるか、これも気になるところである。何しろ、薬を飲んでしまうと、あとには何も残らない。はたしてホントに飲んだのか自分でもわからなくなる。こうゆう事に対して、私は、薬を飲んだあと、残る包装材、小さなものだが、を薬箱の上に保持しておく事にした。一錠ずつ残しておく。これで、形式的に朝飲んだ、昼飲んだ、一錠ずつで間違いない。そうゆう事がわかる、確認できる。ときどき、その包装材をきれいさっぱりゴミ箱に入れてしまったのか、飲んだ記憶ははっきりしてるが、残がない時がある。たまにだからいいか。
  で、一番困るのは何か、大きな錠剤がある。これを飲っこむのか、ちょっと大変だな。それとは逆に、やけに小さいのがあって、包装材から出すときも気を付けないといけないが、これが、平で、かなり広い平面であっても転がっていって、どこにいったかわからなくなる時がある。小さいのでつかみ辛い。手からすべりやすく転がる。見えなくなる。
  これは、ちょっと次元が違うが、残念ながら、薬を飲むということがわからなくなる状態にも人はなる。飲み込んで!、かんだらだめだよ、と言ってもわからない。この辺りは、かなり重要な気もする。歳を重ねて、でも生きないといけない。幸い、抗生剤程度なら、かんでも、あとで十分水分を取らせれば問題はないみたいだが。

  いい天気で、過ごしやすい一日だったのに、なんか、ぜんぜん考えていないことを書いてしまった。それで、朝も書いたチューリップだけど、気が付いたらもう咲いていました。ほどほどに花弁は開いて、でも色はどうか。この辺りは、去年の書き込みの今頃を見るとわかってしまうが、わざと見ないでいる。



  二ついっぺんに開花。こんな色だっただろうか。ふと、もう少し周辺がぼけてもいいはずと思う。



  開放値に近いのがあった。でも、絞っている。なんか、去年と違う。それに、すこしキリキリした感じが強すぎた。

晴れときどき曇りときに雨

2007-04-19 07:33:41 | 散策
  朝の天気、曇りベースの晴れ間あり。青空のスペースも大きいが雲の動きも早い。室温11℃、相変わらず少し寒い。
  北から南へ、ゆっくり雲が流れていて、今どきの天気ではない。白い天高くまで成長した雲、低く灰色の雨雲のようなもの。この間が晴れ間、なんでもござれ。
  ちらりと横目でチューリップを見るが、色はいよいよ花そのものの色に近づいているが、開いてはいない。花を咲かせるのは、気温か、光か、両方か。このチューリップ、ただポカーンと眺めているが、蕾の一番外側はどう見ても緑なのでいよいよ他のチューリップが花を咲かせ始めたときに、これがどうなるのか、蕾の外側の緑はどうなるのか、ようやくそうゆう疑問がわいた。何とも、鈍感な感じだ。
  それで、その蕾の外側の緑が、初めは固そうで、これが花弁に変わるとは思えなかったが、2、3日に一回眺めていると、その外側の緑のところどころに、赤い点のようなものが沢山出来ていることに気が付く。でも、まだまだ、それは固そうで花弁とは思えない。が、ある日、この外側の緑は激変する。それが、鎧のような硬さをもっていたものが、やわらかな、少しふわふわした、またデリケートで赤子の頬のような感触に変わる。まさに、赤ん坊のホッペのような、ホッペそのもので、これをしばらく眺めていると、どう考えても、これが花弁に変わることに気が付く。
  これは、なかなかなマジックで、はて、葉の組織で何が起こったか興味はある所だが、これを調べる事はかないそうにない。蕾の内側も、やはり外と同じ緑色で何枚か中に入っていて、最初は外側と同じで固い。日とともに、太陽光を浴び、気温も上昇して、中では酵素反応が活発になる。硬いものが、だんだんとなくなり、その間を色素が埋めてゆく。あるときに劇的な変化が起こって、突然ごわごわしたものが、ふわふわで滑らかで無垢な花弁に変わる。いい話しだな。
  また日が出てきた。もしかしたら、ここのチューリップも大変身をとげるかも知れない。少し誇張気味に書いてみた。小変身は、すでに済ませている。

もう少しで咲きそうだが、

2007-04-15 19:04:21 | 植物・花(春)
  ずっと北風。晴れているが、外に出ると、運動していないと、寒くてやってられない。
  きのうガラスが割れたことを書いたが、無事その日のうちに、割れてから、2時間後くらいに、どうにかもとに戻った。近くというか、同じ町内会というか、なかなかややこしいが、ガラス屋さんがあった、おられた。私は、懐中電灯が、かなり強力なものだ、あったことを思い出して、むろんそれをフルに使用し、ガラスの破片を取り去る、窓枠をはずす、今度は、もとに戻ったガラス戸を入れる、さらに飛び散ったガラスを拾う、それぞれのところでこれを使用した。
  懐中電灯を使う事は少ない。せいぜい、安全のために安心のために、枕もとに置いておく。これは、小さいもの。今何時かそれを確かめるくらい。ガラスが割れた今回は、ちょっと大型のものを使った。電池は、放っておくと自然放電する。単一の電池を4本使う。使わなくても減っていって、それで今回初めて有効に使えた気がした。もう少し明るいかと思うが、これは放電もあるし目がなれてないこともある。いずれにしろ、備えはあったほうがよく、また幸い、そんな寒い、あるいは惨めな思いをしなくてすんで、ガラス屋さん、そのガラス屋さんを教えてくれた方、その他の方に、感謝した。
  話しは飛ぶが、今日の午前6時39分ごろ能登半島あたりで地震があったという。このとき、私はすでに起きていたが、何をしていたのか、揺れは感じなかった。布団の中にいたら揺れを感じたかも知れない。これは、ラジオかTVかで知ったことだ。それで、12時をまわって、しばらくした時刻に、また、ゆらゆら揺れるではないか。自分の体が揺れてるのかと思ったが、やはり本棚が揺れているし、扉もガタガタ揺れた気もする。また、能登半島あたりで強い余震が起こったな、と思って、
  ラジオをNHK-FMに変えると、すでに地震のニュースをしていて、震源は三重県だという。それも震度5。これは、またなんで、と訳のわからない感想を持ったが、いずれにしろ心身にいいわけはなく、しばらくの間、すでに揺れは止まっていたはずだが、体が揺れている、そうゆう感覚が残った。
  地震情報を見ていると、あちこちで震度3程度の地震は起きている。備えがあることに越した事はないな、あらためてそう思う。

  どこでもチューリップ状態で、もう食傷気味の方も多いのかも知れない。



  もう少しで咲きそうなチューリップ。でも、いつ咲くのかわからない。たまにしか見ないこともあるが、何か決め手になるものがわかればねー。



  チューリップ、ツクシ、ハナニラ?、スイセン、一体ここはどこなのだろう。

チラッとGW

2007-04-15 07:29:51 | 散策
  朝の天気、快晴。穏やか、放射冷却で瓦は結露。室温12℃。
  GWなんて関係ないわい、と思っているが、気にはなるところ。どこへ皆さんお出かけになるのか。それが、書き込みにも反映されるはずで、それはまことに楽しく思われる。
  GWを厚めの辞書で引いてみると、そのものずばりは、一つで、もっと詳しいのは知らないが、gigawattの略とある。gigaは最早おなじみ、wattも、これもおなじみだが、仕事率の単位であろう。他にも、Gw、gwで始まる言葉があるが、これをうつす事は大変で、また知らない言葉ばかりでもある。
  GWというと、普通によく使われるのは、放送業界の方々で、ラジオであと**日でいよいよGWですねー、とくる。自分たちはお仕事で遊んでいられないです、と言っているようで、聴いていてあまりいい感じはしない。もっとも、これをアナウンサの本音と受け取るとずいぶんと考えも違ってくる。アナウンサって、ホントに大変だな、ありがたく放送を聴かせてもらっています、ありがとうござんすなんて内心つぶやく。
  GWは骨休めと考えている方も多いはずである。何しろ、このごろの仕事の量の多いこと、さらに時間内にすべての仕事を終えないといけない。なんか本末転倒やりきれない。お小遣いも少ないし、飲みにもいけないし、ぼやくことも出来ず、さてGWでゆっくりと思うが、そうはいかない。よその家は、グワムに行くと言う。しかも、5泊6日で。まったく、うらやましいったらありゃしない。それに、お隣さんは中国とモンゴルとチベット、それもなんか知らないが世界最高のところを走る列車に乗るらしいのよね、でもそれは秘密らしく、悔しいじゃありませんか。
  アー耳がへんになってくる。これだと、骨休みにもならんわい、お父さんは、内心つぶやく。それで、アナウンサはやはり、GWのことについて今日も楽しそうに語る。なんか、アナウンサの仕事も悪くなく思える。アリャー話しが回転し、止まらなくなりそうで、これも、GWなんか関係ないところにいるからである。

ガラス越しの新緑

2007-04-14 18:31:29 | 散策
  先ほどまで、風は強いし、外に出ていてもあまりいい事はないようなので、ぼんやりとラジオを聴きつつ過ごしていた。
  それで、世の中、何が起こるかわからないものだ。いい事は少ないが、その通りで私は、コタツに入っていて、TVと新聞と投げ込みの広告を見ていて、いずれもぱっとせず、あるいは関係のないものばかりで、広告は資源ごみの袋に入れた。これで、何ごともなく日常が続くはずであった。父が立ち上がった、自主的に立ち上がってまだ大丈夫だな、と確信したが、なぜかよろけた。今までも、何度となくよろけているし、ひどいときは何かにぶつかったりしたが、相手が固いもので、父は痛い思いをしたはずだが、それは日常であった。
  なぜか、今回は違った。よろけ方が大きかったわけでもない。私はそう思ったが、カーテンの向こうにあるガラスに父のひじが当たったようだ。カーテン越しに、ガラスの割れる音がした。実際割れていて、あまり見よいものでなく、破片は内側はカーテンがあったので、ひどくはないが、外のほうにはかなり飛び散っている。最小限を片付けをする。へたに、触らないほうがいい。カーテンだけは開けてみる。またガシャリと破片が落ちる。
  能登半島地震は、震源に近いところでは、こんな程度ではなかっただろう。この何倍、何十倍もひどかったと思われるが、久しぶりに見るガラスの破片の飛び散り方は、かなりひどい。忘れていた記憶がよみがえる。
  新緑について書くつもりだった。でも、もともとフワフワした事しか頭にないので、ガラスが割れなかっても、似たり寄ったりのことを書いていたに違いない。画像を送信するのを忘れていた。



  手前にある木の緑が細い枝とともに写っている。すでに一度見ているが、やはりこのくらいはっきりしてる方がいい。



  樹齢はかなりある、ヤドリギもくっ付いているカエデの枝。遠景、背景のちょっと妙な感じがこのカメラの特徴を出していて、これはしょうがないし、また悪いわけでもない。
  さて、これからがちょっとどうなるか。ガラスやさんもそう簡単には来てはくれない。

花を散らす雨、咲かせる雨

2007-04-14 07:29:17 | 散策
  朝の天気、曇り。少し青空もあったが、今は雨風。室温16℃。外は、寒そうである。
  きのう夜から、久しぶりの雨でその音が心地よかった。勝手なもんで、乾燥した天気が続くと、雨も雨風も、ほっとさせる力を持っている。
  齢を重ねると、その人の地が出てくるようで、これはどうしようもない。昔は、汚いところでも大丈夫だったが、今は少し外に出ても家の中に入るときは、パタパタ結構着ているものを降り続ける。ほとんど気分の問題だが、ときに毛虫がくっ付いている。この可能性は否定できず、やはりパタパタやった方がいい。
  鍵をかけたか、電源を切ったか、ガスの栓はどうだったか、そうゆうことにも一時気になって、そうなるとちょっと出かけるというときにも、大変。鍵をかけてから、あれ電源どうだったじゃ、話しにならない。家の中でも、切ってるつもりの電気ヒータをつけっぱなしにしていて、これは話しが逆になったが、電気のスイッチを切らないまま、忘れている場合もある。すると、今度は、必ず、しばらくヒータから離れるときは、5、6m、離れると再び戻ることが必定になる。実際今、まだこれをやっている。ただ、ヒータのスイッチは切れている。
  待ちどおしい雨風だったが、散る花もおおい。ハクモクレンなどは、花弁の出始めが純白で美しいがその変化も激しく、また散るのも早い。これから咲く花は何があるか、少し日当たりの悪いところのチューリップ。ここもそうだ。それから、それからが出て来ない。
  雨は降ったり止んだりのようだ。雷雲みたいのも見える。今日はおとなしくして、それで、そこから先はまだ決めあぐんでいる。

シャガ(射干・著莪)

2007-04-11 19:15:01 | 植物・花(春)
  一斉に、ある木の芽が出る。少し、誇張があるが、そうゆう感じである。これまで、5ヶ月くらい、枝だけでいたものが、あらゆる枝から、小さいのやら、太いのやら、枝分かれしてその先から、また枝が分かれて、同じよう事が続く、どこで止まるのかわからない、ちっぽけな、ぽつんとした緑が出る。
  最初は、わからない。そこまで私の目では見えない。他の植物の変化が早い。でも、今年は、はっきり異常な天気が続いているので、なんとなく去年と違う。さらに、もう1年前とも違う。が、一気に雑草が背伸びをする、これに変化はない。数が増えたような気もする。他の、次に時期に咲き始める雑草を繁茂させないような感じで全体を覆いつくす。ヒメオドリコソウが一面を覆っている。他のところでは、タネツケバナが、たぶん、すごい。
  それを見て、しばらくして、枝だけになっていた木を見ていると、間違いなく新芽が出ている。それがわかると、他の同じ木にも緑が薄く枝を包んでいるのがわかる。こうなると、今度は違う木に目が移るが、やはり新芽が出ている。一つが二つになり、これが三つになったら、今度は次を探すのが難しい。目に入ってくる木は限られていて、これは、私の観察力の問題であった。4月11日だが、やっぱり木の芽時としては、早い気がする。

  朝にシャガを思い出して、それで自然とこの辺りのシャガの今はどうか、気になるところ。妙な感じがするのは、切羽詰まっているからでして。



  変則的な位置から見ている。どうにか焦点は合った。咲き出したばかりの感じ。



  これも、ギリギリのところでなんとかなった。日の当たる方向に花はむく。植物の一部は、もう少し手前にもあって、そのうち、逆光になるが、正面からのものをねらいたい。

春の強風の数は

2007-04-11 07:33:06 | 植物・花(春)
  きのうは、気温が上がった。部屋の中より、明らかに外の方が暖かい。
  しかしすでに、強風が吹き荒れていることもわかっていて、いやな予感がする。こうゆう日に、なぜか農薬、除草剤か、を撒いておられて、これも気になるところ。
  それでも、必要な買い物もあって、外に出る。似合わない帽子をかぶっているが、これが飛んでゆきそうな風である。これだから、春は嫌い、矛盾したことを書いている。色々な洗礼があるものである。まだ新芽の出ていない大木に、ビニル製の袋が引っかかっていて、ざわざわ音をたてている。他の木にもこうゆうものが長い間引っかかっていて、それはそれで面白い。ゴミはどこにでもある。そして宙を舞っている。
  シャガの花が咲き始める。この花は、一度見ると忘れられない。同じような話を書いているはずだが、高尾山で、初めて意識してこの花を見たときから、この花は私の脳裏のわかりやすいところにあって、すぐに反応する。日光植物園に行ったときは、この花には気が付かなかった。季節が違ったのかもしれない。当時、高尾山の植物が結構持ち帰られたりして、それに対して、注意を喚起する小さな看板が立てられていた。気持ちはわかるが、やはりそれはしてはいけない。
  それからずいぶん時間がたって、この辺りにもシャガが育っていることを知った。これには、ヤマブキと違って、もっと早く気が付いた。この辺りで咲いているものが、品種的に同じかどうか、またシャガの園芸種などがあるのかどうかはわからない。気が付くと、かなりのところにこの花が咲いている。
  風の話しだった。温かい風だが、かなり強くしばらくして目がゴロゴロし始める。まつげが入ったのかの知れないし、この風で舞い上がったゴミの類が入ったのかも。用も済ませて帰ってきたが、上から順番に脱いで、パタパタ払う。それでも、なんか顔全体がゴミまみれになった感触が強く急いで顔を洗う、鼻うがいもする。それで、ラジオからはいつものように、ぽかぽかして穏やかで気持ちのいい午後になりました、こうゆう日は室内にいるより外に出たい・・・と言う決まり文句を聴くが、これもしょうがないか。

小町な梅

2007-04-10 19:15:56 | 散策
  注射はべつに嫌いではなく、特に元気になる点滴ならいつでもお願いしたい。しかし、現実はそうはいかなくて、元気になる点滴というのを受けたことがない。ただ、抗生物質と、塩、そうゆうものが入ったのを経験したのが一回だけ。これでは、元気にはならず、どちらかというとそれ以前の問題、からだの器官を休ませるのが目的。元気になるのは、普通の食事をとってということ。
  今日は、久しぶりの採血。採血室が明るいところと暗いところがあるが、私は明るい方が好きで、ただ、自分の血を見ることはない。べつに、見てもいいが、特に見たくもない。
  注射針が入るときは少し痛い。看護師さんも丁寧にそのことを告げる。昔より、ずいぶんと丁寧な感じだ。それで、普段はそんに長い時間かかるわけではないが、今回はなぜか知らないが、結構長くかかる。明らかに、一本の採血管、なんて言うのか正確には知らない、では終わらず、二本目にいってることがわかる。これが一番はっきりするのは、後から請求書を見たときで、その検査費用として、大きなお札一枚分以上の数字が印字されていて、なるほどね、と、がっくりもある、思う。
  お医者さんが、一言ちょっと詳しく調べますといってくれれば、猶いいのだが、残念ながらそれはなかった。
  気になる項目だが、私は、毎度毎度、カリウムの、英語ならポタシュームかな、濃度が低いといわれる。そう言われても、何ともいいようがない。そうゆうものなのだろう。あとは肝機能。GOTだの、GPTだの、γ‐GTPだの、おなじみの酵素が並ぶが、これもいつも一つくらいは正常値を逸脱する。それより、この酵素がどうゆう反応を触媒するのか、その化学式が思い出されないことが情けない。これくらい、すらすら言えないといけない。病人の常識のような気がするが、だめだ。ほかの酵素は、略。
  次は脂質関係。中性脂質は多い。それから、コレステロールも多い。だが、面白いことに、いつものことだが、これはあったほうがいいと言われる、HDL***コレステロールが、正常値よりかなり高いのである。一体、何がなんやらわからなくなってくる。
  重要なことを忘れていた。血中グルコースの濃度である。これも正確に測るには、ある条件が必要だが、簡単なのはグルコースに特異的な酵素反応を利用することで、あとはPH試験紙みたいに色で大体見当がつく反応とカップリングさせることで、それだと、ずいぶんいつでも簡単に誰でもある程度の目安はつく。結構、血が出る事は日常茶飯事で、これを利用しない手はない。こんな事はどうでもいい事であった。
  最後に注射針を抜いたところを見る。こんもり血液が盛り上がってくる。そこを看護師さんは、ササッーと脱脂綿で覆う。はい、おしまい。

  赤い色のつながりでもないけれど、梅の花はさすがにもう散ってかなりたつ。ずっとある場所で撮っていて、少し時間がたったが、その梅の花がどうなっているか4月になってから行って来た。



  これでは、梅の実がどうなっているかわからない。葉の緑にギザギザがあるのが新鮮。



  こちらは、紅梅だが、実が大きくなってるのがわかる。で、メシベだが、なぜこんなに伸びるのかな。