光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

ガラス越しの新緑

2007-04-14 18:31:29 | 散策
  先ほどまで、風は強いし、外に出ていてもあまりいい事はないようなので、ぼんやりとラジオを聴きつつ過ごしていた。
  それで、世の中、何が起こるかわからないものだ。いい事は少ないが、その通りで私は、コタツに入っていて、TVと新聞と投げ込みの広告を見ていて、いずれもぱっとせず、あるいは関係のないものばかりで、広告は資源ごみの袋に入れた。これで、何ごともなく日常が続くはずであった。父が立ち上がった、自主的に立ち上がってまだ大丈夫だな、と確信したが、なぜかよろけた。今までも、何度となくよろけているし、ひどいときは何かにぶつかったりしたが、相手が固いもので、父は痛い思いをしたはずだが、それは日常であった。
  なぜか、今回は違った。よろけ方が大きかったわけでもない。私はそう思ったが、カーテンの向こうにあるガラスに父のひじが当たったようだ。カーテン越しに、ガラスの割れる音がした。実際割れていて、あまり見よいものでなく、破片は内側はカーテンがあったので、ひどくはないが、外のほうにはかなり飛び散っている。最小限を片付けをする。へたに、触らないほうがいい。カーテンだけは開けてみる。またガシャリと破片が落ちる。
  能登半島地震は、震源に近いところでは、こんな程度ではなかっただろう。この何倍、何十倍もひどかったと思われるが、久しぶりに見るガラスの破片の飛び散り方は、かなりひどい。忘れていた記憶がよみがえる。
  新緑について書くつもりだった。でも、もともとフワフワした事しか頭にないので、ガラスが割れなかっても、似たり寄ったりのことを書いていたに違いない。画像を送信するのを忘れていた。



  手前にある木の緑が細い枝とともに写っている。すでに一度見ているが、やはりこのくらいはっきりしてる方がいい。



  樹齢はかなりある、ヤドリギもくっ付いているカエデの枝。遠景、背景のちょっと妙な感じがこのカメラの特徴を出していて、これはしょうがないし、また悪いわけでもない。
  さて、これからがちょっとどうなるか。ガラスやさんもそう簡単には来てはくれない。

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