光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

小町な梅

2007-04-10 19:15:56 | 散策
  注射はべつに嫌いではなく、特に元気になる点滴ならいつでもお願いしたい。しかし、現実はそうはいかなくて、元気になる点滴というのを受けたことがない。ただ、抗生物質と、塩、そうゆうものが入ったのを経験したのが一回だけ。これでは、元気にはならず、どちらかというとそれ以前の問題、からだの器官を休ませるのが目的。元気になるのは、普通の食事をとってということ。
  今日は、久しぶりの採血。採血室が明るいところと暗いところがあるが、私は明るい方が好きで、ただ、自分の血を見ることはない。べつに、見てもいいが、特に見たくもない。
  注射針が入るときは少し痛い。看護師さんも丁寧にそのことを告げる。昔より、ずいぶんと丁寧な感じだ。それで、普段はそんに長い時間かかるわけではないが、今回はなぜか知らないが、結構長くかかる。明らかに、一本の採血管、なんて言うのか正確には知らない、では終わらず、二本目にいってることがわかる。これが一番はっきりするのは、後から請求書を見たときで、その検査費用として、大きなお札一枚分以上の数字が印字されていて、なるほどね、と、がっくりもある、思う。
  お医者さんが、一言ちょっと詳しく調べますといってくれれば、猶いいのだが、残念ながらそれはなかった。
  気になる項目だが、私は、毎度毎度、カリウムの、英語ならポタシュームかな、濃度が低いといわれる。そう言われても、何ともいいようがない。そうゆうものなのだろう。あとは肝機能。GOTだの、GPTだの、γ‐GTPだの、おなじみの酵素が並ぶが、これもいつも一つくらいは正常値を逸脱する。それより、この酵素がどうゆう反応を触媒するのか、その化学式が思い出されないことが情けない。これくらい、すらすら言えないといけない。病人の常識のような気がするが、だめだ。ほかの酵素は、略。
  次は脂質関係。中性脂質は多い。それから、コレステロールも多い。だが、面白いことに、いつものことだが、これはあったほうがいいと言われる、HDL***コレステロールが、正常値よりかなり高いのである。一体、何がなんやらわからなくなってくる。
  重要なことを忘れていた。血中グルコースの濃度である。これも正確に測るには、ある条件が必要だが、簡単なのはグルコースに特異的な酵素反応を利用することで、あとはPH試験紙みたいに色で大体見当がつく反応とカップリングさせることで、それだと、ずいぶんいつでも簡単に誰でもある程度の目安はつく。結構、血が出る事は日常茶飯事で、これを利用しない手はない。こんな事はどうでもいい事であった。
  最後に注射針を抜いたところを見る。こんもり血液が盛り上がってくる。そこを看護師さんは、ササッーと脱脂綿で覆う。はい、おしまい。

  赤い色のつながりでもないけれど、梅の花はさすがにもう散ってかなりたつ。ずっとある場所で撮っていて、少し時間がたったが、その梅の花がどうなっているか4月になってから行って来た。



  これでは、梅の実がどうなっているかわからない。葉の緑にギザギザがあるのが新鮮。



  こちらは、紅梅だが、実が大きくなってるのがわかる。で、メシベだが、なぜこんなに伸びるのかな。

チョモランマの影

2007-04-10 07:10:47 | 散策
  朝の天気、晴れ。少し靄がかかっている。かわらは結露、室温10.5℃。
  久しぶりに、くしゃみで目が覚めた。鼻水も出るが、ちょっとふくだけ。花粉症の大家のアナウンサによると、スギ花粉は終わったが、今はヒノキかクスノキかの花粉がピークだそうだ。
  朝日が東側のお隣さんのスギの木の辺りにすでに出ていて、一部の光がこちらの部屋を照らしている。オレンジ色。このスギの葉っぱの色はどうだったか思い出せない。電波時計がこのオレンジの光に照らされて、プラスチックの感触がなくなっている。ちょっと高級にさえ見える。朝日をスギの向こうに想像して、次になぜかチョモランマのことが思い浮かんだ。ちっちゃなことに悩んでいる自分があほらしくて、大きなことを考えないと、と思っていたのだが、太陽からのオレンジ光が、なぜ、チョモランマ、それも、その影。
  『大辞林』によると、チョモランマはチベット語名とあり、つまりはこの山の北側にいる人々の呼び名であって、それではと、もう少し説明を読むと、ネパール語では、サガルマタとある。あまり聞かないが、ちゃんとこの山の南側に住む人々の呼び名もあった。当たり前だな。チョモランマの影を見ることができるのは、誰か。ただ天候の関係もあり、麓が何しろ高いし広いので、限られるだろう。
  「Astronomy Picture of the Day」の4月8日付に、エベレストからの眺めというものが出ている。これを、実は先に見ていた。このことが頭に残っていたのだ。しかし、ここに、チョモランマの影は写っていない。