曇り。気温はさほど上がっていないようだが、やはり風邪っぽい感じ!!!はある。
これだけの気温差、風邪はまず乾燥からというのが実際。北陸は特に冬は湿気も多いし、何しろ雪も降るので
極端に寒いとき、あるいはインフルエンザなど、体調悪化の原因がはっきりしている場合を除いて、ただ
寒いということで風邪引きやすいというのはないと思う。湿度のありがたさ。
関東にいたとき、もちろん冬は晴れるので放射冷却はあるし、なおかつ空っ風などが吹くと、簡単に風邪引いた
気がする。もちろん、疲れが溜まってという条件も重なる。その当事、新型のインフルエンザだとかで騒ぐ
こともなかったが、何度も聞く、ホンコンとか、ソ連とかの名の付く、ウイルスの型が今年は主流です、そうゆう
ニュースだけは流れた。
それで、大体が、軽めのインフルエンザである。でもこの程度で、その当時まだタミフルのような抗ウイルス薬もなく、
またたかがインフルエンザで、抗生剤はウイルスには効かないし、それ以外の対症療法の薬が出た程度だと思う。
でも、インフルエンザウイルスで身体が弱っている、呼吸器がだめになるというのはよくあることで、気管支炎とか
の判断で、抗生剤が出たことはある。ある程度そうゆうことを知ると、ひどいときには、先生、抗生剤ぜひ
お願いします、会社も休めないのでなど理由を説明すると、それを出してくれたが、軽くても、治るまで2週間はかかる。
それで風邪で、しかし人にうつったかどうか、この辺はわからないものだ。でも、通勤電車などの中でゴホゴホやっている
人がいれば、もちろん危ないという気はした。
他にはというと、これは完全に笑い話になるが、低い山を歩いて帰ってきたら、翌日から風邪ということもあって、
何のための運動かと何度も思ったが、そうゆう場合も多い。気を抜くとだめで、乾燥もある、低温もあるが、湯冷めも
風邪の原因になった。わからないでもない。でもこれは大体、冬は乾いている太平洋側での出来事ではないか。
よくラジオでも、これだけ日中と朝晩の気温差があると、みな周りでゲホゲホやっていますね、と言われる人もいて、
これが挨拶代わりになったり。もっともここに重労働をしているので、という言葉が省略されている、と私は思って
いる。
つまらない風邪話が長くなり過ぎた。
これは少し前のことだが、あのー困ったことになった、ガス欠みたい。ときどきやって来てくれる姪っ子が開口一番
こういったので、いつもは来るときに連絡はいらないとはいっているが、これは弱ったと思いながら、ときどき配られる
ある地域だけ載っている、簡単な地図を見た。しかしガソリンスタンドはすぐにはわからなかった。あそこにあるの
じゃない、といった場所は本人もわかっていて、でも閉まっていたという。閉店である。営業中止。世の中、車の黄金
時代だが、ここにもただただ競争があるだけか。それで、私も場所がわからないでもない、ある名前を先に姪っ子が見つけて
地図、同じようなのは結構あるのだが、をどれどれと見せてもらった。あーここか。
こうゆう地図は、無料というか、ホントはわからないが、町内会経由で配られる。広告だけでは出来ないだろう。
で、3、4年に一回新しいのが出るみたい。道路事情が激しく変わっているから、あるいは店も閉じたり、新規開店して
いるからか。そういえば、近くはないが、歩けば20分でいけそうなところにも新しいコンビニが出来たことを知ったが
こっちからだと、すでにあるところより遠い。まーいくこともあるまいが、知っていて損はないなと思った。
しかしガソリンスタンドについて考えたことはなかった。場所はわかったが、道路が工事中とあり、まさかの通行止めは
ないだろうが、ここは、昔はよく電話をした、あるお店の人に、ちょっと教えてほしいのだけどと、連絡してみた。
毎度ありがとうございます。こうゆう挨拶もあるのだな。で間違いなく、そこのスタンドが一番近くて、営業している
とのこと。お礼を言って、さてここからがあんまり簡単ではなく、途中省略して、ときどき地図を見る。加速する。
いくら知っていると言っても様子は少しずつ変わるものだ。車の加速感覚には弱い、あれまー酔いそう。50kmとあるので
それくらい出したということ。で、右左右で、先にあーあったといったのは姪っ子だが、私にはすぐには
わからなかった。単純明快に、ここは分岐点としても重要、またこの辺、道がわかりにくいが、いま走って来た道が一番
わかりやすい、と内心思った。思ったものの、昔とかなり違う。
近くの道なら、救急車に乗ったときがまずはある。これは父のときだ。すぐにほかを探さないといけない、そうゆう
ときも、同じようなところを通った。でももうあれからかなりたつ。もともと余り迷子になるという意識はないが
この辺りはほとんど知らないし、それっで知っている道は限られる。トリック街道というか、必ず方向感覚がおかしく
なる道になっている。
あそこがここのいえの墓、いってみるかと思ったが、酔いそうで止めた、やはり直で帰ろう。ここは左。
すると道が細い。わずかにずれて、でもすぐにもとの道に出たが、寄る年並みというものを感じるね。
まーたまにはこうゆうこともあるということを書いたのだが、考えてみたら墓参りなんかいっていない。
これだから親不孝ものといわれるのか、もっともこれは自分でいっているのだが。
帰って来てあーよかった、姪の一言。しかし私の株は上がらなかったようだ。考えていることが違う。
ガソリンスタンドもなくなるという事実。車も大変だ、というともちろん、姪もその通りと。
特に載せるものなく、でも5月のある日の天候の変化というものを。
その一。晴れている。これは早め、たしか5時台前半。
その二。
その三。この明るさというか色合いが朝早め。
その四。影も長い。
その五。雲が出た。
その六。
その七。
その八。こうゆう天気のときの雲の写り方は、どうも違和感はある。
その九。
その十。太陽ははっきりとせず、しかし宵の時間も快晴、この日は夜も快晴だったはず。
今日はべた曇。
風は先ほどまで北風、外はかなり乾いていると思える。葉っぱが軽い。切った竹がもうペッチャンコ。
これだけの気温差、風邪はまず乾燥からというのが実際。北陸は特に冬は湿気も多いし、何しろ雪も降るので
極端に寒いとき、あるいはインフルエンザなど、体調悪化の原因がはっきりしている場合を除いて、ただ
寒いということで風邪引きやすいというのはないと思う。湿度のありがたさ。
関東にいたとき、もちろん冬は晴れるので放射冷却はあるし、なおかつ空っ風などが吹くと、簡単に風邪引いた
気がする。もちろん、疲れが溜まってという条件も重なる。その当事、新型のインフルエンザだとかで騒ぐ
こともなかったが、何度も聞く、ホンコンとか、ソ連とかの名の付く、ウイルスの型が今年は主流です、そうゆう
ニュースだけは流れた。
それで、大体が、軽めのインフルエンザである。でもこの程度で、その当時まだタミフルのような抗ウイルス薬もなく、
またたかがインフルエンザで、抗生剤はウイルスには効かないし、それ以外の対症療法の薬が出た程度だと思う。
でも、インフルエンザウイルスで身体が弱っている、呼吸器がだめになるというのはよくあることで、気管支炎とか
の判断で、抗生剤が出たことはある。ある程度そうゆうことを知ると、ひどいときには、先生、抗生剤ぜひ
お願いします、会社も休めないのでなど理由を説明すると、それを出してくれたが、軽くても、治るまで2週間はかかる。
それで風邪で、しかし人にうつったかどうか、この辺はわからないものだ。でも、通勤電車などの中でゴホゴホやっている
人がいれば、もちろん危ないという気はした。
他にはというと、これは完全に笑い話になるが、低い山を歩いて帰ってきたら、翌日から風邪ということもあって、
何のための運動かと何度も思ったが、そうゆう場合も多い。気を抜くとだめで、乾燥もある、低温もあるが、湯冷めも
風邪の原因になった。わからないでもない。でもこれは大体、冬は乾いている太平洋側での出来事ではないか。
よくラジオでも、これだけ日中と朝晩の気温差があると、みな周りでゲホゲホやっていますね、と言われる人もいて、
これが挨拶代わりになったり。もっともここに重労働をしているので、という言葉が省略されている、と私は思って
いる。
つまらない風邪話が長くなり過ぎた。
これは少し前のことだが、あのー困ったことになった、ガス欠みたい。ときどきやって来てくれる姪っ子が開口一番
こういったので、いつもは来るときに連絡はいらないとはいっているが、これは弱ったと思いながら、ときどき配られる
ある地域だけ載っている、簡単な地図を見た。しかしガソリンスタンドはすぐにはわからなかった。あそこにあるの
じゃない、といった場所は本人もわかっていて、でも閉まっていたという。閉店である。営業中止。世の中、車の黄金
時代だが、ここにもただただ競争があるだけか。それで、私も場所がわからないでもない、ある名前を先に姪っ子が見つけて
地図、同じようなのは結構あるのだが、をどれどれと見せてもらった。あーここか。
こうゆう地図は、無料というか、ホントはわからないが、町内会経由で配られる。広告だけでは出来ないだろう。
で、3、4年に一回新しいのが出るみたい。道路事情が激しく変わっているから、あるいは店も閉じたり、新規開店して
いるからか。そういえば、近くはないが、歩けば20分でいけそうなところにも新しいコンビニが出来たことを知ったが
こっちからだと、すでにあるところより遠い。まーいくこともあるまいが、知っていて損はないなと思った。
しかしガソリンスタンドについて考えたことはなかった。場所はわかったが、道路が工事中とあり、まさかの通行止めは
ないだろうが、ここは、昔はよく電話をした、あるお店の人に、ちょっと教えてほしいのだけどと、連絡してみた。
毎度ありがとうございます。こうゆう挨拶もあるのだな。で間違いなく、そこのスタンドが一番近くて、営業している
とのこと。お礼を言って、さてここからがあんまり簡単ではなく、途中省略して、ときどき地図を見る。加速する。
いくら知っていると言っても様子は少しずつ変わるものだ。車の加速感覚には弱い、あれまー酔いそう。50kmとあるので
それくらい出したということ。で、右左右で、先にあーあったといったのは姪っ子だが、私にはすぐには
わからなかった。単純明快に、ここは分岐点としても重要、またこの辺、道がわかりにくいが、いま走って来た道が一番
わかりやすい、と内心思った。思ったものの、昔とかなり違う。
近くの道なら、救急車に乗ったときがまずはある。これは父のときだ。すぐにほかを探さないといけない、そうゆう
ときも、同じようなところを通った。でももうあれからかなりたつ。もともと余り迷子になるという意識はないが
この辺りはほとんど知らないし、それっで知っている道は限られる。トリック街道というか、必ず方向感覚がおかしく
なる道になっている。
あそこがここのいえの墓、いってみるかと思ったが、酔いそうで止めた、やはり直で帰ろう。ここは左。
すると道が細い。わずかにずれて、でもすぐにもとの道に出たが、寄る年並みというものを感じるね。
まーたまにはこうゆうこともあるということを書いたのだが、考えてみたら墓参りなんかいっていない。
これだから親不孝ものといわれるのか、もっともこれは自分でいっているのだが。
帰って来てあーよかった、姪の一言。しかし私の株は上がらなかったようだ。考えていることが違う。
ガソリンスタンドもなくなるという事実。車も大変だ、というともちろん、姪もその通りと。
特に載せるものなく、でも5月のある日の天候の変化というものを。
その一。晴れている。これは早め、たしか5時台前半。
その二。
その三。この明るさというか色合いが朝早め。
その四。影も長い。
その五。雲が出た。
その六。
その七。
その八。こうゆう天気のときの雲の写り方は、どうも違和感はある。
その九。
その十。太陽ははっきりとせず、しかし宵の時間も快晴、この日は夜も快晴だったはず。
今日はべた曇。
風は先ほどまで北風、外はかなり乾いていると思える。葉っぱが軽い。切った竹がもうペッチャンコ。