光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

早朝の雪山の様子と、空気の透明度の変化。

2015-05-04 13:58:44 | 散策
  雨、12時ごろからわずか。

  
  雨の音を待っていたが、一応音はした。かすかである。瓦は雨に濡れて、一面色が変わったが、雨も弱いので

  すぐに止んで、乾いた瓦の色にもどった。


  自分でも何をやっているかわからないときもあるが、今日は出かけないといけない。明日でもいいが、今日と

  きのう決めたので。


  それでである。こんな朝から20℃以上あるときの服装だが、5月に入ったばかりのときに、普段は迷うことは

  少ない。こんな気温はないから。

  それで多少は体も動かしていて、準備体操はOKという感じになって、でも朝から何を着たらいいか、悩んでいたのは

  事実。多少はやはり、意識はする。こんな格好で出かけていいのか。いえの中なら、誰も見ていないし、別に裸では

  いないが、破けているものを着ていても文句は言われない。でも、外では世間体はある。


  たしか、ともうかなりいかれている脳で考えるが、あれがあったな、あれが。

  そのあれは幸運なことに、すぐに見つかった。他にも候補はあって、一応はそれも押入れの奥から出す。

  こうゆうことをしていると、あることに気が付く。あれ、こんなものがある。これはいい。そういえば、薄れた記憶の

  ページは脳のどこにあるかわからないが、たしかに買った。それから着ていた。洗ってここにある。

  わかるように置いていないから、そこに置いたら最後、よっぽどのことがないと、そこをひっくり返すことはない。

  
  冬場は毛糸のセータは必須だが、これも穴の開いたものを着ていた。暖かい、厚めのものはあるが、どうもいまは

  それが重い。これにも、新発見はあって、そういえばこれがあったか。少々は着たが、趣味が合わないのか

  これもわからないところに入っていて、一つはまだビニルの袋からも出してなく、そのままである。ちょっと丈が長い。

  だらっと下に出る。それで着ていないのだな。でもまあセータは、出かけるときは1枚か2枚はさらに上に着るので

  穴ぐらいは開いていても大丈夫だが、いまはそうゆう時期でなく、いかに薄いものを着るか、あるいは着ないほうが

  いいを選ぶ。


  今日は、暑いかもと、それでも春秋用の上着を着てみたが、あからさまにこれはいらない。ないほうがいいという

  状態であることはすぐにわかった。上は、ポロシャツは、見た感じ襤褸ではない。

  問題はズボンで、でもこれが、これがというのは、脳裏の片隅にわずかに記憶として残っていたそれで、これをはいて

  みると、足の隠れ具合もちょうどいい。お腹も少しへこむ。

  どうにか、出かけるめどは付いたが、こんなことで悩む人はいないだろう。


  朝は、今日がフェーン現象で、気温の割には体感は暖かいを通り越しそうで、でもなんとかなった。

  靴履くのも、最近は大変である。これも諸事情があるが、書くことではない。

  忘れ物はないか。

  平衡感覚に、特に違和感はなく、しかし帽子を忘れた。でも、こんな顔で大丈夫である。誰も見ない。そうゆう変な

  自信はある。歩くってたかが長くかかっても片道15分で、帰りはもっと早い。


  代掻きをしている。おっさん連中が、私もそうゆう年齢になった、集まっている。で、トラクタを運転されているのは

  もちろん一人だが、誰かはわからない。みな作業着を着ている。あれは便利なものだ。私も一枚、いや上下セットで

  二着欲しい。フェーンの南風に押されて、歩く。花を見る余裕はあるが、これはほぼみな、萎れていて、花の瑞々しさは

  ない。一番誰に似ているかということを思う。


  いえを出てすぐに目にゴミが入った。これはいやなものである。やはり帽子は必須だ。ないよりはましだろう。

  風で髪の毛がぼさぼさになる。これはしかし問題はない。いまは短い。


  帰りである。釣銭確認に手間取ったが、間違いはなかった。

  再び、萎れた花を見る。

  代掻きは実行中で、ここの田んぼはもしかしてと思う。いやわからない。違うか。どうでもいい。田んぼの住所は

  わかる。それがどこか、これはわからない。

  多くのかたが小型の軽トラを使う。いろいろ作物を作っているかたであるが。それがあるお宅の前に止まっていて

  奥のほうでご年配と思われる人2名、座って話し込んでいる。お一人が、時々話を聞かせてもらう方。

  おコメ作るにどれだけのお金が必要か。どれだけの経費が必要か、そうゆうことを教えてくれる人だが、

  この方には、ここのいえの田んぼをお願いはしていない。それだから、気さくにも話せるものはある。

  もっとも、体力は十分だし、持つものもたんまりのようにも思えて、うらやましいこと限りない。


  こうして朝のフェーンの風が吹く、いがらっぽいわずかな時間の運動もかねた行為は終わったが、

  まずはいえの中に入って、しばし呼吸を整え、眼を洗い、以下略。何しろ、その辺に散らばって

  いるものも多い。そうゆうものを、外に出てぱっぱと払う。で、もちろん、着ていたものもみな脱いで

  ぱっぱと払った。


  いまは朝は5時過ぎで明るく、今日は6時近かったと思うが、薄っすら立山連峰は見えた。

  この様子を撮っておいた。空気が変わったと思ったので。その後、2時間ばかりして、さらに視界は

  よくなっているように思えたが、雲もあるので、あるところは、例えば剱岳などは、雲に隠れた。

  雲の高さは2000mくらいかな。早朝は、2500mか。




  その一。朝の早い時間、コントラストは弱い。でも、一応山は見えている。




  その二。




  その三。




  その四。剣岳の頂上は隠れている。標高は、3000mはない。




  その五。ここまでが午前6時近い時間の山の様子。





  その六。8時前か、透明度はよくなった。




  その七。




  その八。




  その九。剱岳の、上のほうは雲に完全に隠れた。この様子はかなり変化がある。雨が降っている様子は
  山全体が見えなくなることで、想像は付きそうだが、実際はわからない。


  Tシャツとワイシャツ。ワイシャツは腕まくり。


  まさか、もう雨は降らないということはないだろうな。10分くらいで止んだが。




雲の量が多くなる。夕日と田んぼの輝き

2015-05-04 07:01:08 | 散策
  ようやく雨を降らせる雲がそばまで来ている感じ。


  それでも、出かけていてドカッと来る可能性がなくはないなー。

  いまごろの雨の降り方は、まったく予想が付かない。

  まーおびえる問題ではないが、傘持って忘れてくるは多い。


  きのうの午後から、もうほぼ完全な曇り。夜は窓から外を見ても

  月があるところがわかるくらい。


  ここのいえの中で、私は除草剤、草を枯らす薬、危険性は大である、を撒くことはない。

  除草剤はあるが、封も切っていないはず。父か母が買ったものだろうが、そのまま静かに眠っている。

  それでも一部の草が枯れてきている。水不足と高温が原因だろう。

  外のほうは用水の関係があって、その筋の人は薬を使うので、草はあるところは枯れる。

  もはやこれに文句をいうこともない。


  よくわからないが、今日も時間とともに空気は乾燥してきているようである。

  空を見ると、しかしそこには最近見たことのない雲ははっきり。

  立山連峰も見えていて、うっすらだが、空気の変化もわかる。


  気温は下がらなかった。それゆえ朝は20℃を越える室温、20.7℃くらいである。

  日が当たらないので、ちょうどいい。もう少し湿気があれば。


  まだ鼻とかは違和感があって、花粉も飛んでいないことはなく、クシャミが出そうで

  鼻水もさらっと出る。



  順序が逆という感じだが、夕日、夕日を反射する田んぼの水。













  日が沈むまでにそんな時間はなかった。


  お湿り程度か、まとまった雨になるか。でも適度に降ると、草が一気にまた伸びるが。