光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

スイカズラの真っ白な花。蔓も延びて花の数も毎年多い

2015-05-22 13:50:26 | 植物・花(春)
  お天気、だんだんとよくなってきて、気温上昇中。


  乾燥もしていると思う。風が出てきたのはそんな早くではなく、2時間くらい前だが、それまでは生暖かさは

  なかった。きのうの気温がそんなに上がっていないので、今日もしかして30℃近くまで上がると

  やっぱり厳しいものがあるかな。


  鼻水はいまは出ていない、クシャミもない。でも夜になると、また出そう。この南風、花粉でなくても

  アレルギーのもとになるものを運んでいる気はするねー。


  今週の初めは、17日でも18日でもいいが、そのころすでに花があったかなというのがスイカズラ。

  その後だな。たぶん。

  蔦の絡まるチャペル・・・で始まる歌があるが、いまはあんまり聞かない。これをぜんぜん違うように解釈

  していて、それはそれで特に問題はなかった。唄を歌っていて、それはどうゆうことなど聞かれることが

  なかったから。であるとき、蔦が絡まっているのか、と気が付いたのだけど、この蔦のような、蔓性の植物は

  結構あちこちで見る。ブロック塀、コンクリートで出来た塀に、この蔦を這わせる。


  熱帯のジャングルだと、かなり太いものもあるようで、ある人物を思い出すが、それよりもそれをうまく利用している

  動物、たとえばチンパンジーなどのほうが、この蔓性の植物に似合う。

  その植物は何かわからないが、廃墟のような人のいないいえに、これはたぶんである、蔓性の植物が繁茂するときが

  あるが、いかにもそれらしさがある。人の住まなくなったいえ。これがたとえば、山奥の廃村となったところで、

  同時にそこにほどほどに登れる山道があったりもするが、こうゆうものを見ることも少なくなった。最も、その回数は

  少ない。一回か二回か。そんなところにゆく機会はあまりなかった。


  しかし、そこに人が住んでいたのはたしかなことで、それだけのバイタリティーみたいなものをお持ちの方か

  あるいはもともと、そうゆうところに住んでいる人の末裔だったのかも。人間、昔むかしは、山奥にも住んで

  いたのだな。たくましさ。この言葉のほうがぴったりか。

  そんなものはないね、私には。それでも、古代の生活にあこがれる人、異国の山国に行かれて、永住する人、人

  それぞれ。こうゆうところは、単純には理解できないものである。もともと、山岳民族だった。関係ないか。


  蔓性の植物で、スイカズラを知ったのは最近で、なおかつここのいえでもその姿形を見る。昔はなかった。

  それからまた別のところにも出ている。庭が広いのではなく、もともとは昔のいえはある程度の大きさはあった。

  ただ大きさだけで価値はない。壊して新しくして、空き地が増えた、それだけのこと。

  新しいといって23年くらいか、いやもっとかな、もうそれだけの時間がたった。ここのいえも

  もう価値あるものはない。ミシミシいっているので、怖いくらいであるが、同時に蔓性の植物が増えたのも

  事実。スイカズラは、4、5年前に見つけて、それよりも前にカラスウリ。たぶんほかにも、蔓性の植物はある。


  カラスウリは、花は夜咲くという。朝もちょっと見ることが出来るが、きれいな感じはない。

  これは、いえの壁を這う。愕然とする。蔓が切れないのである。なかなか。

  その点スイカズラはまだましだ。そんなにひどく蔓も伸びない。花、いや先に蕾だが、天狗の鼻のようなものが

  出来る。これが割れて、最初は金色に近い、黄土色か、これが白くなる。形も複雑怪奇で、中のオシベ、メシベは

  感じとしては、ツツジに似る。緑色のメシベだと思うが、高級な和菓子の色に似ている。

 
  一見してすばらしいと思う。これがそのうち、花だらけになる。ここにもクマバチは来る。

  どうしてこんな形の花が出来るのか。花は教えてはくれない。花の種類はどのくらいあるのかな。

  でもスイカズラは、一回覚えるとなかなか忘れないもので、これはやはり見た感じがいいから。色が白と

  いうのもシンプルでいい。


  こうゆうものを人の手で作ることが出来るか。不器用な私は思う。

  また、こうゆうものを正確に描写は出来ない。もともと、これも中学校までだが、絵は適当にごまかすという

  方法でなぜか張り出されたりした。そうゆう絵を書く人がいなかったからである。絵はそれでごまかしがきいたが

  製図とかは、まったくだめ。定規と鉛筆でまっすぐな線を引けない。この線は太さは一定でないといけない。
 
  線には太さはない、そんなことを言ってはもっとだめー。

  線一本うまく引けない、そこからがもうだめであった。これがうまい人がいる。本などの図を専門に書く

  かたがいる。こうゆうものは天性というものがあるのだろうか。それにしても、よく描けるものだ。

  懐かしい記憶である。


  晴れていてでも小さいところは小さい花なので、見辛くてこれも撮るのも手間取った。




  その一。




  その二。




  その三。これは大体いつもの順番で、対象を大きくしてゆく。




  その四。横向き、これもピント面が浅く、あっちにいったりこっちに来たり。




  その五。上のほうから、これは見なくていいので楽だ。




  その六。




  その七。




  その八。もう一枚、きれいなところで。




  その九。サツキの花とかも咲いているが、色が悪いし、光の当たり方で色が濁る。一番ましなものが
  このシダ。でも変な色になった。白は間違いがない。


  腹筋の辺りが痛い。久しぶりにジーパンはいていて、お腹を圧迫したからか。




きのうは天気がよすぎたな、朝はさわやか過ぎるし。木の葉を眺める

2015-05-22 07:02:05 | 植物・花(春)
  いまは雲が多めだが、雨が降ることのない晴れ。


  朝晩と日中の気温差は大きい。それにきのうは、午後もほとんど快晴で、宵の空も

  その後の夜の空も、非常にといっていいくらいに晴れて、透明度のある空、落ち着いた空があった。

  それゆえ、放射冷却も加わったようで、体感的なものは、さわやかさを通り越している。

  でも、富山地方気象台のアメダスの値と見ると、午前6時で、15.6℃。

  高いほうだな。低くはない。


  これだけ空がいいとこんなことはないだろうというのか、鼻水とクシャミの連続。

  鼻炎になったのか。この2日、朝、鼻うがいをしてもいまいち水の通りが悪い。

  すっと入ってすっと出ない。でも昼間は、それほど感じるものはないが。

  夜は眠ったと思ったら、グシュグシュ。

  きのうは夜10時ごろ、今日になって、朝の1時半、さらに5時にもクシャミがひどく、鼻うがい。

  やらないと鼻水が出っぱなしを想像する。やっぱりやると、しばらくは楽だ。


  いいこともあれば悪いことも必ずとは言わないが、こうゆうことは多いのかな。

  それに、きのうは夕方も、南風がかなり吹いていて、結構花粉が入ったのではないか。


  宵の時間の、月と金星、明るすぎて景色としてはすごいものが、やる気はなかったが、

  誘惑に負けて、カメさんを持った。


  花はアジサイだけはまだのようである。

  葉の表面の様子。



  ナンテン。




  ケヤキ。虫喰っているのかな。




  どこでも生えてくる、名がわからぬ木の葉っぱ。




  まとまってある。ナンテンのつぼみが出来ているが、ネズミモチの花芽もあるが、うまく写らない。