エゴノキ。
妙な名前だが、エゴノキで、それでいいかな。
この木はここのいえにもあるし、もちろん他所のいえにもある。この木は結構大きくなっているのを
小さいときはもちろん知らないが、都落ちして、ここのいえに転がり込んだとき、その存在ははっきりとしたが
大体こんな花が咲く、ということも知らなくて、もっというと花にさほど興味なしという年齢。
花がどうのこうのは、一番はこのブログを始めるに当たって、急に熱心になった。熱心は言い過ぎで、少しずつ
興味を持ち、花の名を覚えるように。
でも年齢がいってから、ものを覚えるのはむつかしく、いまは大台を超えてしまって物忘れはその前から
はなはだしかった。ホント、弱ったものである。でもまだあーあれだという感じはある。そんなもの知らない、
それはまだない。ただ記憶の段階もいろいろで、若い頃のことばかりが思い出されたりする。
それでもむかし、あるいは昔、20世紀最後の10年くらいのことは大体覚えていたのだが、2005年になり
2010年になり、2012年になって、ほとんど、20世紀の終りの10年と、21世紀の始まりの十数年のことが
はっきりとしない。
高山本線の富山側も、長く不通になったという、あのひどい災害をもたらした台風が一体何年だったのか。
2000年代であるのはたしかだが、その後の数字がはっきりとしない。何号だったのか、これもである。
ただあるうちのスギが倒れた、とかいうことは最近でも書いていて、忘れられないことではある。ここのいえの蔵の
屋根が裏返って、お隣の木の上にどうにか軟着陸。危なかったなー。
いえのこれまたお隣といっていい、そうゆうところで、火事になったことがある。これは20世紀の出来事だと思う。
それでも、1989年以降のことで、年号は平成だった。少しご年配のかたと、世間話をしていて、あれは昭和の時代
だよ、といわれたとき、それは違うと、すぐに反論できたのは、私がいまのこのいえに移ったのが、すでに平成で
あって、そうでないと目の前での火事体験はありえない。そうだったかな、ご年配のかたは、しかしさほどこだわりは
なかったようだ。
1989年は、昭和の64年でもあって、平成の元年でもある。1990年は、それゆえ平成2年で、これで西暦と平成に
差は12というのがすぐわかるが、このところ、西暦も2015年に、平成も27年になると、15と27が、ごっちゃに
なるというのも少し前に書いた。が、これからは、西暦は2015年、と省略なしで書かないといけない。ついつい
21世紀はわかっているので、頭の20を省略する。これは止めよう。2015年か。感慨はあんまりない。
2008年、2012年、これは両親の命日。これも一体何月何日だったか。それは忘れてもいいかな。
死亡診断書、死亡検案書は、ちゃんとある。
買い物などは、それこそ昔むかしは、この辺りの鄙で、それでも鄙でなくなりつつある時期にスーパーと
いえる場所は二箇所あった。先に、大きめのところが閉店した。一つは駐車場がなかった、ということもあるの
かな。それでも、そこにお店が出来たのは、そんなに古くはない。ある程度採算が取れる見込みもあって
開店したと思う。私が学生のころは、その店はなかったはずで、魚屋さんなどは、車かで売りに来ていたことも。
祖父祖母の時代で、それほど買わないといけないものもなかったか。自分たちでも野菜などは作っていたし。
もう一つのお店も、だんだんと大きくなって、これだけのお店があれば困ることはないと思ったが、どうゆうわけか
より大きなお店が遠くに出来て、ただ品数は多く安いということで、そこに通うのが普通になったようだ。
残念ながら、時代に取り残されて、弱肉強食というのを見せ付けられたが、多くの個人の商店も、何もかも
なくなっていった。住む人も少なくなっているかというと、どうかな。新しい団地は出来てはいるが。
それでも、一戸建ての集まり。
どうも私も世の中、これだけ変化しているということを、あまりに知らないで時間がたった。
ソニーに勤めていた従兄弟がいる。お金には困っている気配なく、うまくやっている感じだったが
本人もいつかその運命にを予感、というのがほんとうになって、早期退職。それが去年か一昨年で
もちろん知ったのは去年。そんなこと、詳しく知る必要もない。本も出たようで、結構社員のかたは
ダメージを受けたような。何度かパナソニックも、これはほんとうにうわさだが、新聞週刊誌の話題だが
取り上げられていたようで、先にサンヨーがおかしくなった。
今年は、シャープである。関係ないといえばそれまでで、でもこれがどのような経緯でというのは詳しく
調べてみる方もいるだろう。
この国、列島の国の、たとえばお役人とか、政府のあるいは国会の先生についてとやかくいうのは、これくらい
意味ないというか、ばかばかしいことはない。ついでにアメリカという国、USも、これまたよくは知らないが
さほど古い国ではなく、多くの国のかたが集まった元多国籍の人々の国だ。で、なんでこの列島の国に
兵隊さん!!をと要望する原因はと考えて、一番はなるほど、アメリカという国も、ついにそこまで
追い込まれている、弱体化しているからか、とふと思ったのだが、同じようなタイトルの本の広告が
出ていた。
花は出たが、小さいまま散りそうなエゴノキ。
その一。
その二。
その三。
その四。
その五。
その六。その五までは、朝の6時台、ここからは7時台後半。
その七。
その八。
その九。小さい花が咲いているが、あるものは散っている。
15℃以上気温低下。この変化があるので、人間もきついけど、植物も苦労している。
妙な名前だが、エゴノキで、それでいいかな。
この木はここのいえにもあるし、もちろん他所のいえにもある。この木は結構大きくなっているのを
小さいときはもちろん知らないが、都落ちして、ここのいえに転がり込んだとき、その存在ははっきりとしたが
大体こんな花が咲く、ということも知らなくて、もっというと花にさほど興味なしという年齢。
花がどうのこうのは、一番はこのブログを始めるに当たって、急に熱心になった。熱心は言い過ぎで、少しずつ
興味を持ち、花の名を覚えるように。
でも年齢がいってから、ものを覚えるのはむつかしく、いまは大台を超えてしまって物忘れはその前から
はなはだしかった。ホント、弱ったものである。でもまだあーあれだという感じはある。そんなもの知らない、
それはまだない。ただ記憶の段階もいろいろで、若い頃のことばかりが思い出されたりする。
それでもむかし、あるいは昔、20世紀最後の10年くらいのことは大体覚えていたのだが、2005年になり
2010年になり、2012年になって、ほとんど、20世紀の終りの10年と、21世紀の始まりの十数年のことが
はっきりとしない。
高山本線の富山側も、長く不通になったという、あのひどい災害をもたらした台風が一体何年だったのか。
2000年代であるのはたしかだが、その後の数字がはっきりとしない。何号だったのか、これもである。
ただあるうちのスギが倒れた、とかいうことは最近でも書いていて、忘れられないことではある。ここのいえの蔵の
屋根が裏返って、お隣の木の上にどうにか軟着陸。危なかったなー。
いえのこれまたお隣といっていい、そうゆうところで、火事になったことがある。これは20世紀の出来事だと思う。
それでも、1989年以降のことで、年号は平成だった。少しご年配のかたと、世間話をしていて、あれは昭和の時代
だよ、といわれたとき、それは違うと、すぐに反論できたのは、私がいまのこのいえに移ったのが、すでに平成で
あって、そうでないと目の前での火事体験はありえない。そうだったかな、ご年配のかたは、しかしさほどこだわりは
なかったようだ。
1989年は、昭和の64年でもあって、平成の元年でもある。1990年は、それゆえ平成2年で、これで西暦と平成に
差は12というのがすぐわかるが、このところ、西暦も2015年に、平成も27年になると、15と27が、ごっちゃに
なるというのも少し前に書いた。が、これからは、西暦は2015年、と省略なしで書かないといけない。ついつい
21世紀はわかっているので、頭の20を省略する。これは止めよう。2015年か。感慨はあんまりない。
2008年、2012年、これは両親の命日。これも一体何月何日だったか。それは忘れてもいいかな。
死亡診断書、死亡検案書は、ちゃんとある。
買い物などは、それこそ昔むかしは、この辺りの鄙で、それでも鄙でなくなりつつある時期にスーパーと
いえる場所は二箇所あった。先に、大きめのところが閉店した。一つは駐車場がなかった、ということもあるの
かな。それでも、そこにお店が出来たのは、そんなに古くはない。ある程度採算が取れる見込みもあって
開店したと思う。私が学生のころは、その店はなかったはずで、魚屋さんなどは、車かで売りに来ていたことも。
祖父祖母の時代で、それほど買わないといけないものもなかったか。自分たちでも野菜などは作っていたし。
もう一つのお店も、だんだんと大きくなって、これだけのお店があれば困ることはないと思ったが、どうゆうわけか
より大きなお店が遠くに出来て、ただ品数は多く安いということで、そこに通うのが普通になったようだ。
残念ながら、時代に取り残されて、弱肉強食というのを見せ付けられたが、多くの個人の商店も、何もかも
なくなっていった。住む人も少なくなっているかというと、どうかな。新しい団地は出来てはいるが。
それでも、一戸建ての集まり。
どうも私も世の中、これだけ変化しているということを、あまりに知らないで時間がたった。
ソニーに勤めていた従兄弟がいる。お金には困っている気配なく、うまくやっている感じだったが
本人もいつかその運命にを予感、というのがほんとうになって、早期退職。それが去年か一昨年で
もちろん知ったのは去年。そんなこと、詳しく知る必要もない。本も出たようで、結構社員のかたは
ダメージを受けたような。何度かパナソニックも、これはほんとうにうわさだが、新聞週刊誌の話題だが
取り上げられていたようで、先にサンヨーがおかしくなった。
今年は、シャープである。関係ないといえばそれまでで、でもこれがどのような経緯でというのは詳しく
調べてみる方もいるだろう。
この国、列島の国の、たとえばお役人とか、政府のあるいは国会の先生についてとやかくいうのは、これくらい
意味ないというか、ばかばかしいことはない。ついでにアメリカという国、USも、これまたよくは知らないが
さほど古い国ではなく、多くの国のかたが集まった元多国籍の人々の国だ。で、なんでこの列島の国に
兵隊さん!!をと要望する原因はと考えて、一番はなるほど、アメリカという国も、ついにそこまで
追い込まれている、弱体化しているからか、とふと思ったのだが、同じようなタイトルの本の広告が
出ていた。
花は出たが、小さいまま散りそうなエゴノキ。
その一。
その二。
その三。
その四。
その五。
その六。その五までは、朝の6時台、ここからは7時台後半。
その七。
その八。
その九。小さい花が咲いているが、あるものは散っている。
15℃以上気温低下。この変化があるので、人間もきついけど、植物も苦労している。