光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

真っ黒な雲と夕日のコントラストが、印象的だった

2015-05-11 14:01:22 | 散策
  晴れ。


  朝の感じだとまだ透明度のよさが保たれている気はした。

  ときどきだが屋根見ると、瓦の上が黄色い。白いときもある。瓦にも寿命はあるが、さすがに

  瓦割りというものをやってみたいという気にはもうならない。それがはやった時期があって、でもやったような

  気はするが、最近は竹箒一つうまく扱えないような、非弱な身体になってしまった。


  どうでもいいような気はするが、体育の成績はいつも3である。これは五段階評価。それで3。

  つまり評価に値しない、そうゆうことだろう。

  小学校のときも、運動神経はさほど悪くはないと思うが、逆上がりは出来なかった。だがそのうち、逆上がりは

  出来るようになり、さらに前回り、後ろ回りも出来るようになったが、これが何か役にたったかというと

  大いにありそうで、しかしその後に、そうゆう機会はなかった。高校のときも、体育はあった。


  持久走はもちろんだめで、またマラソンと称するものもあったが、どうだったのだろうか。どのくらいの距離走ったかな。

  1500mはあった。どうにか走った。あーゆうときに何か事故があれば一体にどうなっていたか、考えるとぞっとする。

  もっとも、私は小さいころに、二階から落っこちたり、幼稚園ではゆらり揺れる座るタイプのブランコから

  外側に落ちて、血だらけになったこともある。

  交通事故もある。これを比較的正確に思い出すことが出来る。よく生きているな、いまも。そう思うときもある。


  大学でも体育はあった。でも大学のそれは、いって見れば、適度な息抜きで、かつ授業は休んではいけない。

  そうゆうことを教えてくれた。またほかの学部の人間とも、知り合いになれて、ほどほどに話をする仲にも

  なった。この体育の授業は、2年間だが、出ないと留年は決定的で下手すると退学とかになったが、学校なんて

  どうでもいい、そうゆう考えの人は、それで辞めていったと思うが、実際そうゆう人は知らない。


  1年のときに、バレーボールを選んだ。楽そうだからで、でもそうでもなかった。大学の体育の教師は、ほかと同じで

  講師になり、助教授になり、最後には教授にもなる。適度に運動の有効性を述べて、あとは好き勝手。そうゆう

  わけでなく、道具の片付けとかももちろんちゃんとやるよう指導。チームプレーでもあるので、その点も

  指導する意味はあった。

  2年生のときは、バスケットボール。これも問題はなかった。格好はどんなものでもよく、ジーパンをはいている

  人間もいて、本人は気が付かないが、股のところからほころびが出て、最後には完全に半周くらいは、破れていた。


  本人は終わってから、気が付いたようだが、さすがに少し照れたような。しかし、それだけ一生懸命に

  試合に興じていた、ということがいえる。

  バスケットでときに何か教わることはなかった。身体を動かすことだけ。このときも倒れたとかいう人間は

  いなかった。


  こうゆうのを、体育という。体育はなかなかいい言葉である。身体を育てる。で、ある時代から、体育に会が付いた。

  体育会の誕生である。これが一体にいつごろ出来たか、いずれにしろ何か政治的な意味合いがある。文科系のサークル

  とかは違った。同好会でもなかった。体育会の誕生の秘話、これを正確に知りたいが、よくはわからない。

  単純に、体育は、適度に体を鍛える、あるいはリラックスするもの。小学校の昔の運動会である。弁当が楽しみ。

  体育会は、『教練』とかに通じるものがあるのではないか。これは想像である。

  
  いずれにしろ、体育と、体育会は大いに違う。この違いは、外国から来た人ほどわかりにくいと思うが、実際のところは

  それに入った人しかわからないようだ。TVでもこの言葉を冠する、番組が最近ある。かなり時間はたった。

  でもこれはTV。実際の体育会ではなく、体育会風というところか。

  体育会がなかったころの、大学の運動部はどうだたか。これもわからない。でも体育会という言葉は比較的新しい。


  ずいぶんと身体が弱ってしまって、歩くのにも結構しんどい思いをする。

  でも最近、これも思いがけない言葉だが、山を歩く女性、山ガールという言葉が生まれた。何でもありやな。

  昔むかし、新宿駅の真夜中に出発する、中央本線のある列車に乗ったことがある。みな山に行く人たちが利用する。

  八ヶ岳とか、あるいは南アルプスに中央アルプスに、北アルプス。そうゆうところに向かう。

  そのとき、大学の山岳部のさらに女性の人もいたことはいたが、なかなかの重装備で、さすがに違うなと思った。

  このたぶん大学の山岳部の女性が体育会に入っているかどうか、考えることはなかった。それよりも、重い荷物を

  軽々と担いで、階段を登るその姿を見て、こりゃかなわんわいと一人思った。高校生もいたのかな。


  TVでも、女性山岳家ならびに、山ガールは登場する。驚くべき体力である。

  こうゆうところでも、やっぱり男はある場合負けるだろう。そうゆう思いもした。

  北アルプスも、夏山シーズンを迎える。ご年配の女性も多い。男より多いのではないか。

  えっちらおっちら、いや違う、颯爽と登ってゆく。


  自分の世界と関係ないところにいる。

  そう思う。

  それにしても今日は情けないことを書いたが、大体真実である。


  夕日がきのうはすごかったが、黒い雲も。やっぱりこの世に黒はいる。

  赤と黒の黒は何を意味したかな。

  まー空は暗くないとだめだが、それにしても、黒・黒・黒、どれだけの黒、黒幕がいるのか。

  余分はいらない。




  その一。




  その二。




  その三。




  その四。明るい黒である。




  その五。




  その六。




  その七。




  その八。




  その九。



  そういえば暗黒物質、ダークマターもある。ブラックホールも。

  ダークマターはしかし、一体になんだろうか。この正体、誰が明らかにするか。



夜中曇り、朝は快晴、台風6号が気がかり

2015-05-11 06:54:20 | 散策
  朝は非常にいい天気になった。

  いまも南の空に、かなりお腹のへこんだ月が低い位置で見えている。


  この月が南東の空にあったときはしかし空は半分は雲があって、そのもう少し前は、ちょうど日付

  が変わるころだが完全に曇っていた。

  きのうに戻ると、宵の時間真っ黒な雲が現われたりもしたが、それでも空気は済んでいていい

  星空になった。


  きのうは新聞の回収の日だったが、すっかり忘れていた。

  そうゆうときに限って、早めに車の音がする。

  このところ、袋詰めをやっていない、古新聞大量、古雑誌はない、でもいらないものは

  多い。


  はっきりとズボラである。

  面倒なことはやりたくはない。

  しかし不潔恐怖みたいなのはある。

  この先どうなるか、でもそれはあんまり考えないでおこう。


  今日の太陽は朝だからかやはり大きい。

  きのうの夕日も大きかったかな。


  透明感。














  明日からもう天気の変化は活発になりそうで、で水曜は台風6号。

  これがどうゆう影響を与えるか、5月の台風は珍しくはないが、しかし上陸することは

  過去わずか、非常に少ないとか。

  このところでも何かがあるので、昔も実際はあったのだが、心配である。