光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

長持ちする花は渋さがある。空中押し花、苦そうな実、サンショウ

2014-09-10 14:07:42 | 植物・花(秋)
  朝は秋だったが今は少しだけ、夏に変わっている。


  気温は何℃あるのだろうか。

  このところ、ずっと立山連峰は見えない。水蒸気のせいか、しかしもう田んぼには水は入って

  いない。


  平地ではない。結構急に高くなっている感じがあるが、ふもとから頂上までの距離は長い。

  それだけ気象条件が変わりやすい、ということにもなる。平坦な坂という感じはなく、いびつに

  それこそ長年、雨や雪にさらされて、でこぼこ状態。急峻なところもある。

  やはり、雲が発生するのも仕方ないというか、条件がそろうのだな。


  上にいけば太陽は近くなるって、そんなもの程度が知れている。気温は下がる。放射される

  熱も多いだろう。空気も薄くなって、これでは大気の活動も活発になるわけである。


  もっとも、平地である、平野部でもこのところ、秋晴れはないなー。なんとなくだが、スカッとした

  晴れはない。それを求めるのは早すぎるのか。

  まだ夏だとすると、こんなものかも知れない。感じ方だから人によっても違う。大体山の気候を

  知らない。山旅のTVを見て、今日はなんていい天気、ということも少ない。ガスが急に迫る。

  大粒の雨が、アラレに変わる。もともと、快晴を求めるのが間違っている。

  梅雨明けの2週間ですね、と昔ある人は言われた。あるいは何か雑誌に書いてあったか、そのとき

  くらいしか山の天気は安定しない、というわけ。もともと、求めるものが違うからなー。



  ぼんやりしていたら、12時になっていた。もっともマイクロソフトの、修正ファイルが出たので、

  これをノートPC にも入れることに。これは時間がかかる。こんなとろくさいものかと思うのだが

  本当である。ちょっとバカやったこともあってやり直しも。それにしても、PCって、こんな安定感

  ないのか。


  それからまたぼんやりで、そういえば父の母、私からいえば、父方の祖母が亡くなって20年たった

  ことを思い出した。今年、なんどか、そういえば思ったのだが、すぐにまた忘れた。

  祖母は、長命だったが、長くNという街の、もう最後の人のための病院に入院していた。まだまだ、

  それでも、今みたいに、入院は長くて3ヶ月という規則みたいのはなく、病院は病院で、そうゆう方の

  最後を看るというシステムで成り立っていたと思う。


  父の手帳はたくさんあるがほとんど、何にも書いてなく、ただ母倒れる、という文字は見えた。それが

  いつかは、わからないが。祖父はすでに亡くなっていた。祖母の場合、動けない状態ではあるは

  病院で過ごすに問題はなかったらしく、結構長くいたようで、はっきりいって、どこが悪いのか、

  というのは聞くことはなかった。90を超えていて、さらに心臓にペースメーカを入れた。

  これは父の判断である。



  20年前というと、わかっていることで、書かないといけないこともないけど、やっぱり書きたい

  のは、その年に生まれた赤ちゃんは、20になっている。20歳の人は、40になる。この間の時代の変化こそ、

  激動といわれるものがあったのかも知れない。でもはっきりとしないのだな。


  一つ記憶に残るのは、その年齢まだ若く、そばにおられる方がやはり亡くなられた。近くなので、

  当然案内もある。その年齢差を思ったとき、さすがに空しさがあった。祖母の場合、平均年齢を

  超えて、やはり長生きしたほうで、一種天命だが、空しさはないがそれでも苦労は多かったはずだ。


  もともと、ここのいえにわずかに血のつながりがある。祖父母の一代前というと相当古い。子供さんは

  多かったようだが、みな幼少のときに亡くなっている。時代を考えさせられる。だから両方、

  養子という場合が多いようだ。何が違うか、そこのところはわからないが。


  祖母は、私とはほどほどに話をした。父の妹二人にも子供さんはいるが、ここに来ることは

  なかったようだ。


  まー学校にいっているときは暇だし、夏はよく、この田舎に遊びに来たが、さすがにいえがでかい、

  昔のまま、ということで窮屈さはなかった。もっとも、退屈で、それは私が何にもしなかったからだが。

  祖母は痩身。父とそっくりである。で、五右衛門風呂を炊くため、薪を割るのだが、見事に

  斧で一発で割った。お前も、とはいわない、ちゃんと名前で、「チャン」づけで呼んだ、もやって

  みるけ、という。もちろんやる、これが出来ない。私もそのころは、細かったが、斧は持ったが

  天高く持ち上げることも出来なかった。



  20年前に戻って。(20年前から、今に戻ってである。おかしいと思った。訂正、9月11日)

  あのころ、まだ祖父・祖母の世代よりも若い人は多く、でももちろん、もうお年寄りで、でも

  誰か彼か、ポツリポツリ、お迎えが来る人はおられたようだが、さほど続くということは

  なかったようである。


  たまに、この祖母のことを思い出す。母方の祖母は、もっと早く、割と若かった。それでも70歳台だと

  思う。葬式というのの最初の経験はこっち。


  それにしても、超高齢化だな、周りを見回すと。病院では死ねないどころか、入院も出来ない時代。

  介護関係の施設も超満員。

  やっぱり、1年先もわからないが、5年先は想像が出来ないなー。

  
  外国に行くか、外国から人を呼ぶか。



  花も木も、一年一年歳をとるが、さすがに木だと結構な時間、そこにあることは多いようだ。

  アジサイはなかなか枯れない。そうゆう植物は他にもある。




  その一。これ見ると、夏を終えた花という感じがひどくある。雑草は新鮮だけど
  こちらは渋い。




  その二。お決まりのコースで、ノリウツギ。空中押し花。




  その三。




  その四。これは花も咲いたが、今は小さい厚めの座布団のような実を付けている。




  その五。




  その六。四角い柿の小さいのにも似るけど、無理があった。




  その七。




  その八。これ、サンショウだよね、山椒。




  その九。




  その十。実はまだたくさんはない。これ、この赤い玉の中に、本当の実があるらしい。
  言い方は妙だが。
 

  ヒガンバナはもちろん咲いていない。

  台風の影響あるのかないのか。よくわからない。

  予報も大いに変動。

  ちょっと涼しい風、いや、はっきりと涼しい風、これはまだまだ無理か。

  おとなしく書いてみました。



気温は秋で、空は雲の多い晴れ。北斗七星の素顔

2014-09-10 06:59:34 | 星空・天体・宇宙
  天気、見た感じも、お日様の出方も、ほぼ満点。


  きのうも気温は上がった。30℃にゆくか、体感だと30℃はあった感じだが、

  気象台のアメダスだと、やはりない。


  気温的には本格的な秋がもう来ている。朝は20℃ないし。

  これ、お腹出して眠っていると、こわすこと間違いなし。


  私の背より高い雑草を今朝も見てきたが、どうもなんだかわからない。

  3、4種の雑草の特徴を併せ持っている。


  アキノノゲシは、日が当たらないとあっさりと閉じる。これは実に不思議な感じだ。

  ヒメムカシヨモギの花が枯れると、残るのは茶色の冠毛のようなものだが、

  真っ白なものもある。これはアキノノゲシの冠毛だろうと思う。

  元に戻った。


  変わらず、蚊に喰われる。結構用心している。

  風呂場にもいる。トイレにもいる可能性。


  で、結局これが一番かというのが、机の下だ。

  戸を開けているときもあるので、忍び込んで、足が出るのを待つ。

  憎たらしい、知能の持ち主である。


  月が出ていた。名月の翌日の満月、これに雲がかかる。

  夜はどうしてこう雲が多いのか。


  昼間、夕方、どうにか快晴で、日が落ちると、一気に雲が広がる。

  雲ノイローゼ、雲以外にも原因は多い。憂鬱のね。


  北斗七星、同じ日、9月。












  これは、ミザール付近、重星だが、数は正確にはわからない。
  日野金属という会社があった。望遠鏡メーカーだが。


  空は真っ白な晴れ。