枯れ葉はこれはこれで、枯れ草はこれまた味わい。枯れ野というところはもしあ
れば、きっと好きになると思うが、そうゆうところはない。希望で、枯れ野も入れた。
今日は秋晴れになるはずが、そうはならなくて、こうゆうことはよくあることか
どうか、わからないが、午後も遅く晴れてきたのはたしかだが今外を見ると、雲も多い
ようで、晴れ間がこの後出るかどうか。
木は多少はここのいえにある。それゆえ、枯れ葉というものも見ること
も触ることも出来て、あとは風に吹かれて飛んでゆく。
野の花、そうゆう菊。菊のようなというのが正しいか。これは他でもよ
く見かける。
野の菊がニョキニョキと出てきて、若干神妙な感じになるのは、個人的
な理由。
色は、補正をしてこの方が目で見たものに近い。
ケヤキもいくらでも出てくる。この小さいものは色付きは少しだけいい
かも。
木というのは、小さいものはなかなか大きくならず、で気が付くと手が
届かないとかいうことになる。これでも空気中の炭酸ガスを固定してい
て、それでもちろん呼吸もするから、炭酸ガスを出してもいるが、大き
くなるということを考えると、固定している量が多いということになら
ないか。
ぱっとしないお天気だと途中、ある園芸店の前で立ち止まり、そこの花
の借景をする。これはしかし地味だった。
空き地。雑草が生い茂る。晴れだとセイタカアワダチソウがきれいだ。
枯れているように見える草。
目で見ていると小さい花がいろいろとあったり、このような植物もあっ
たのかと思わせるものがある。
でも、ここは急がないと。
雨は止みそうで、そそくさ。こうゆうスタイルは今のところ変わらな
い。枯れ草の前でたたずむとか、そうゆう気分でもない。
クマ騒動は全国的で、ここでも距離的にかなり近いというところでそのクマに人
が襲われたという事件があった。その後そのクマ、どうなったのか無事山に帰ったと
かいうのは、なかなかむつかしそうで、でも出来なくはないだろう。それでクマの見つ
かったところよりも距離的に遠い、魚津市で、クマが出たということで、見つかって
射殺された。このニュースは朝のTVでもやっていたようだが、朝刊にも出ていて、で
もTVで見ていた方が恐怖感はあった。
こうゆうTVなり記事を見ていると、そのより近く、岩瀬浜で人を襲ったという
クマはどうなったのか気になるところだがその後の情報というのはないようで、忘れる
わけにいかないが、で、実際のところまたいつか現れる?。
PR誌というのを定期購読していて、そのうちの一つの購読期限が切れるというの
で、結構早く2年分のお金を振り込んで、そのPR誌というのもまた読まない、読めない
感じで、久しぶりにそれを少し見ていて、誰々が亡くなったということを書かれて
いる人の作品があって、つまりは亡くなられたのはその方の父であった。交通事故で
ある。
そうゆうことがあるのだなと漠然と見ていて、もう一度最初から読み直して、結構
時間がかかって、また何度も同じところを読み直した。作家の方だから、ただ亡くな
ったという話しでは済みそうにない感じで、読解できたかどうかわからない。
わたしの父の最期はもう予期されて、何しろお医者さんからも見離されたのであ
るから、死の当日まだ父は生きていたが、でもほとんどもう生きているという感じは
なかった。でも顔は赤い!。死はそこまで来ていて、その何時間か後というのは曖昧に
しておくが、実際に父は亡くなって、父であった時間は終わってしまった。
ある時間までは生き物であって父であった。その瞬間は知らないが、亡くなられ
たという電話の後、30分くらいで病院に着き、そこで父だったはずの何かと、白い布
を取って対面したが、それはやっぱりもう父ではなかった。
そうゆうことを思い出しつつ読んでいたが、これは読後の感想ではない。
れば、きっと好きになると思うが、そうゆうところはない。希望で、枯れ野も入れた。
今日は秋晴れになるはずが、そうはならなくて、こうゆうことはよくあることか
どうか、わからないが、午後も遅く晴れてきたのはたしかだが今外を見ると、雲も多い
ようで、晴れ間がこの後出るかどうか。
木は多少はここのいえにある。それゆえ、枯れ葉というものも見ること
も触ることも出来て、あとは風に吹かれて飛んでゆく。
野の花、そうゆう菊。菊のようなというのが正しいか。これは他でもよ
く見かける。
野の菊がニョキニョキと出てきて、若干神妙な感じになるのは、個人的
な理由。
色は、補正をしてこの方が目で見たものに近い。
ケヤキもいくらでも出てくる。この小さいものは色付きは少しだけいい
かも。
木というのは、小さいものはなかなか大きくならず、で気が付くと手が
届かないとかいうことになる。これでも空気中の炭酸ガスを固定してい
て、それでもちろん呼吸もするから、炭酸ガスを出してもいるが、大き
くなるということを考えると、固定している量が多いということになら
ないか。
ぱっとしないお天気だと途中、ある園芸店の前で立ち止まり、そこの花
の借景をする。これはしかし地味だった。
空き地。雑草が生い茂る。晴れだとセイタカアワダチソウがきれいだ。
枯れているように見える草。
目で見ていると小さい花がいろいろとあったり、このような植物もあっ
たのかと思わせるものがある。
でも、ここは急がないと。
雨は止みそうで、そそくさ。こうゆうスタイルは今のところ変わらな
い。枯れ草の前でたたずむとか、そうゆう気分でもない。
クマ騒動は全国的で、ここでも距離的にかなり近いというところでそのクマに人
が襲われたという事件があった。その後そのクマ、どうなったのか無事山に帰ったと
かいうのは、なかなかむつかしそうで、でも出来なくはないだろう。それでクマの見つ
かったところよりも距離的に遠い、魚津市で、クマが出たということで、見つかって
射殺された。このニュースは朝のTVでもやっていたようだが、朝刊にも出ていて、で
もTVで見ていた方が恐怖感はあった。
こうゆうTVなり記事を見ていると、そのより近く、岩瀬浜で人を襲ったという
クマはどうなったのか気になるところだがその後の情報というのはないようで、忘れる
わけにいかないが、で、実際のところまたいつか現れる?。
PR誌というのを定期購読していて、そのうちの一つの購読期限が切れるというの
で、結構早く2年分のお金を振り込んで、そのPR誌というのもまた読まない、読めない
感じで、久しぶりにそれを少し見ていて、誰々が亡くなったということを書かれて
いる人の作品があって、つまりは亡くなられたのはその方の父であった。交通事故で
ある。
そうゆうことがあるのだなと漠然と見ていて、もう一度最初から読み直して、結構
時間がかかって、また何度も同じところを読み直した。作家の方だから、ただ亡くな
ったという話しでは済みそうにない感じで、読解できたかどうかわからない。
わたしの父の最期はもう予期されて、何しろお医者さんからも見離されたのであ
るから、死の当日まだ父は生きていたが、でもほとんどもう生きているという感じは
なかった。でも顔は赤い!。死はそこまで来ていて、その何時間か後というのは曖昧に
しておくが、実際に父は亡くなって、父であった時間は終わってしまった。
ある時間までは生き物であって父であった。その瞬間は知らないが、亡くなられ
たという電話の後、30分くらいで病院に着き、そこで父だったはずの何かと、白い布
を取って対面したが、それはやっぱりもう父ではなかった。
そうゆうことを思い出しつつ読んでいたが、これは読後の感想ではない。