住む。

2009-09-25 15:57:38 | 

090925

今月発売された雑誌「住む。」31号に、自由が丘の家が掲載されました。
築7年が経過した住宅の、いろいろなエピソードを交えながら、僕の文章と写真で構成していただきました。
家も庭も、少しずつ変化していきます。もちろん、そこに住む人も。そうした変化を受けとめるおおらかさが、やはり住まいには必要なのだと、今回、文章を書き、写真を撮ることを通してつくづく感じました。
ずっと昔から残りつづけ、今でも大切にされている建物や庭は、世の中にたくさんあります。僕が建築を志したきっかけとなった、写真のなかのロマネスクの古寺もそう。この自由が丘の家が、そんな存在に少しでも近づくことが、僕の夢でもあります。
そんな思いを込めながら書いた文章と写真。
ご覧いただければ幸いです。

「住む。」サイト http://www.sumu.jp/

090925_2

コメント

樹影のタペストリー

2009-09-14 19:06:28 | 日々

090914

今朝、アトリエのある「自由が丘の家」で、思わぬ光景に出会いました。
階段の白い壁に、細長いタペストリーがゆらゆら。音もなく静かに樹影がゆれる、数分間だけの神秘的な光景。中庭にあるジューンベリーの枝葉の長さと、太陽光の角度がちょうどうまく折り合ってできたのでしょう。この家ができてから7年の間、この光景は見たことがありませんでした。

 住宅の設計は、その隅々までを把握してはじめて、よいものになると思っています。もちろん、そこにある光や影のことも。図面にすると何も無い空白のなかに、どんな光と影が満ちるか。それを血肉化しないと、美しい空間は生み出せないと僕は考えています。よくイメージしながら設計していくのですが、やはり自然のもたらす力は偉大で、時として思いもかけなかった光や影や光景が現れたりします。人の作為の上をいく美しさに、少々嫉妬(?)もしますが、やはりいいものですね。

 僕が設計する住宅では、よく壁や天井を白く塗ります。それは、白い壁や天井が、光や影を美しく映す背景になると考えているからです。
 窓は、必要以上に開けません。その方が、陰影の深い、奥行きのある空間ができると考えているからです。
 静けさとか、落ち着きとか。そんなことを大事にしたいと考えています。そこに偶然あらわれる光と影のマジックは、日々の暮らしにこの上ない新鮮さをもたらしてくれるようにも思います。

コメント

建築士になるための・・・

2009-09-10 19:24:16 | 

090910

090910_2

出版社から、ある本が届けられました。主婦の友社刊「建築士になるための完全ガイド」。以前に取材を受け、建築士の仕事について僕なりに思うことを書かせていただいたものでした。見開きのページに、コラムとしてまとめてあります。

僕は学校を出た後、大手設計事務所に就職し、ビルや学校、工場などの大規模建築の設計に携わりました。会社というもの、チームを組んで協働するということ、膨大な事務作業・・・。会社に居なければ経験できないことを多く経験できたことは、僕にとっては大切だったのだろうと思います。少人数のアトリエ事務所という小さな世界だけで過ごしてきたとしたら、あらゆる面で偏った人間になってしまったかもしれません。

その後、師事した村田靖夫さんからは、入所面接のときに「単に上司と部下という関係だと思うな」と厳しい表情で言われました。そして、オマエが今まで培ってきた価値観も、一度捨てろ、と。ずいぶんなことを言うヒトだなあ・・・と思いましたが、一人の作家としてものづくりに関わるというのは、そのような厳しさを伴うことを身をもって勉強することができました。

上司と部下。師匠と弟子。その両方の境遇に身をおきながら、それぞれの立場での喜びや苦しみを経験できました。
 このブログでも、師匠の村田さんのことは時折ふれてきました。でも今の僕を育ててくれた方として、会社時代の上司がいます。先日、ある用件で久々に当時の上司と電話でお話する機会がありました。懐かしさと多少の緊張と。理想の上司は、と聞かれれば、迷うことなくこの方を思い浮かべることと思います。住宅設計をやりたいがゆえに、会社を辞めたい旨を申し出たときのことを思い返すたび、心を強くして進まねば、と奮い立ちます。

コメント

分かれる以前のもの

2009-09-02 11:31:53 | アート・デザイン・建築

NHK「爆問学問」に坂本龍一がゲスト出演していました。坂本龍一がトーク番組に出演しているのはあまり観たことがないのですが、もっと啓蒙的な(?)ムズカシイ話をするかと思っていたら、まったくの想像違いでした。よく笑い、平易な言葉でいろいろなことを表現しようとする雰囲気が素適でした。音楽は芸術でもあるけれども、一方で、人々の心に直に触れてくるもの。音楽をあらかじめ芸術の土俵に上げて、「これが自分にとっての音楽だ」として難解(風?)な音楽をつくるのは簡単だ、と語る氏。続いて、優しく切ないような既視感のあるメロディをピアノで奏でながら、これなら人の心に伝わるじゃない?でも人の心に伝わり、かつ、自分自身でも良いと思えるものをつくるほうがムズカシイんですよ・・・という主旨で話していました。

 建築も、見方によれば芸術でもありますし、一方で実用品であるということもできそうです。もちろんこれらをミックスした捉え方もあるでしょう。どのような立ち位置で捉えるかは、発行されている建築雑誌とその編集方針の多様さに表れていますし、建築の教育現場にも表れています。言ってしまえば、答えのない世界。そのなかで何をなそうとするのかが、大事なのでしょう。

 子守歌のように、言葉も音楽も芸術も分かれる以前のもの。そこに含まれる豊かさ。そんな風な内容のことを坂本龍一は話していました。ものごとが分かれる以前のもの。それはたしかに魅力的であり、同時に、作為的にはなかなか超えられない大きな壁です。アフリカのプリミティブアート、イコン、ロマネスクの愛くるしい彫刻や、形式のはっきりしない山奥の教会。ものごとと芸術が分かれる以前の、純粋で素朴なもの。日本人的な好みの話かもしれませんが、僕自身はそのようなものにとても惹かれます。
 今、目の前にある、ある住宅の製作途中の模型。内外をのぞきながら時には壊して作り直し、そうするなかで、観念的なものにとどまることなく、人の心の機微にしっかり届く、純粋で美しいものになっているかどうか。あらためて心してかからねばなりません。僕にとって、ものをつくる、というのは、そういうことでありたいと思っています。

090902

コメント (2)