北側の部屋から

2010-11-21 09:26:01 | インポート

大河ドラマ「龍馬伝」を観ていると、その映像の美しさに引き込まれます。少し粒子の荒れたような、青みがかった空気感。その中に浮かび上がる幕末の武家屋敷。白砂の庭から濡れ縁、畳、敷居を挟んで奥へと続き、最後に床の間が控えている、といった按配。身分の違いがそのまま座る場所に表され、床の間は、いわば権威を誇示する背景のような存在、といった雰囲気です。身分の序列関係が示されるための場所というのは、映像で観ると緊張感のある美しさにはっとさせられる一方で、居心地の良さとはあまり関係がなかったのかもしれません。

日本の住宅の造られ方を、遠く昔からずうっと振り返ってみると、ゆっくりとした変遷があることがわかります。大雑把に言ってしまうと、南向きの部屋は「儀礼」のための空間。お客さんと会うのは南側に面した形式的な場所でした。その裏の北向きの部屋にに、日常生活を過ごすための場所がありました。

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それが、時代を経てだんだん変わっていきます。

古人のなかに、こんなイメージがあったのかもしれません。人と人が面と向き合って、じっくりと話をする場所としてふさわしいのは、実は北側のひっそりとした場所なのではないか、もっと言えば、よりこじんまりとした親密な雰囲気の場所であるべきなのではないか。明るすぎることもなく穏やかな光に満たされた室内。障子の額縁で切り取られた外の風景は、順光に照らされた美しい庭。それを見ながら話をした方が楽しいに決まってる。

禅宗的な含意に沿いながら、そんな風にして「直心の交わり」を大切にしていった結果、やがてそれは茶室につながっていくようです。それは、物事の形式的な関係から、心の問題へと深く移行していく過程だったのだろうと、そんな風に思うのです。

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龍馬の時代の後、歴史の表舞台では、欧米列強と比肩するために、より形式的で壮麗な建物が多く造られましたが、その裏側で粛々と、簡素で素朴な、居心地の良い場所づくりが伝えられてきたのは、喜ばしいことですね。その先っぽのところに、たとえば僕が設計してつくる窓辺のコーナーやテラスがあるという風に想像すると、遠く昔につながっているようで、ちょっと楽しい気分にもなります。

上の写真は、京都御所の紫宸殿と、修学院離宮の楽只軒。時代は違えど、どちらも「縁側付き」住宅です。縁側にころがって、ミカンでも食べながらぽけーっとしたくなるのは、やはり修学院離宮だなあ、なんて、叶わぬ夢ですが(笑)

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月見台の家.1 ~山の上のロマネスク~

2010-11-08 23:44:11 | 月見台の家

住宅設計の依頼を受け、初めて敷地に向かう時のことは、いつも心に残るものです。現在、建設がすすんでいる「月見台の家」の時もそうでした。事前に知らせていたいただいた住所を頼りに、電車の駅を降り、しばらく歩くと、小山にのぼっていく階段状の坂道が続いていました。

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曲がりながら奥に続いていく、坂道。その脇には、お寺の緑と、木々の合間から見える街並みの風景。少し息を切らせながら、階段に誘われるようにしてのぼり、たどりついた敷地は、細い路地の奥にぽっかりと空いた場所でした。南北に細長く、視線の先には、桜の木立が見えました。音もない、静かな場所。今たどってきた道を胸のうちで反芻しながら、僕は、一冊の本のことを思い出していました。

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それは、田沼武能さんの写真集「カタルニア・ロマネスク」。昨年の正月にもブログでも書いたものです。ピレネーの山襞の村々。山道の先に点在する、古く小さな礼拝堂。単純素朴な建物の形。その内外に表される、窓やドアや装飾や家具やしつらえ、その周りにある木々や光と影までもが、どこか象徴的であり暗示的にも感じられます。何気ない単なるものごとの存在が、かけがえのないもののように思える、そんな雰囲気のことを、敷地に立ちながらぼんやりと考えていました。

西洋の中世の建築様式である「ロマネスク」のもつ特徴は、その簡素さや慎ましやかさにあります。でもそれを建築の専門的な学問にあてはめてしまうと、ロマネスク様式として分類されるものの、そこにある簡素な美しさや居心地の良さといったものは、きちんと論じられることはなかったように思います。きっと言葉にはならないのですね。無理に言葉にしようとすると、手のうちからスルスルとこぼれ落ちるか、急によそよそしくなってしまうような感じです。なんかいい感じだよね、そんな言葉で済まされてしまいそうなところですが、その「なんかいい感じ」ということを、じっくりと腰をすえてやってみたいと思うのです。

山の上のロマネスク。「月見台の家」を、僕はそんな風にイメージしながら、設計をはじめました。この敷地での暮らし。桜の木立を望む小さな窓。ふたつの庭に包まれた居間。木の床と家具。白い壁と天井に宿る陰影。夫婦ふたりのための、木造の小さな住宅。その空間のなかに、丁寧に「奥行き」を与えていくこと。ロマネスクのもつ「奥行き」にイメージを重ね合わせながら。

そしてもうすぐ、棟上げを迎えます。

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久々の訪問

2010-11-01 11:22:03 | 印西爽居

オノ・デザインで設計した住宅「印西爽居」に、バーベキューに招いていただき久しぶりに訪れました。

雨上がりの曇り空。そういえば、ここしばらくは晴れた日に訪れたことがなかったなと少し残念にも思いつつ、モノクロームのイメージにしっくりとはまる雰囲気を思い描きながら、家に向かいました。そう、この家は中も外も、白と黒を基調としたモノクロームでできていて、その中にある木の家具や植栽の緑が、美しく映えるように考えてつくりました。ですから、晴れた日の華やかな雰囲気も良いけれど、雨や曇りの日にこそ、しっとりとした雰囲気が引き出されることを期待していたのです。

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家ができあがってから2年半の間に、植えた木々がすっかり大きくなりました。リビングとつながるデッキに植えられた木はモミジ。昨年、紅葉した写真を施主のKさんが送ってくださいました。黒い窓枠に切り取られた赤。そんな日本的な季節感と風景は、やはり美しいと思います。今年も、もうすぐそんな季節になります。

このモミジもすっかり大きくなって、窓の外に心地よい居場所ができ、同時に緑が室内に心地よい陰影をもたらしてくれていました。

この家ができたときにはまだ幼かった子供たちも、大きくなって、家の中を走り回っています。かつては、僕のヒゲとメガネ顔を見ては泣いていたのに、今では、庭の草花を僕に案内してくれます。来てヨカッタ(笑)

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初めてこの敷地を訪れたときは、林を伐採して宅地分譲したばかりの、寄る辺のない雰囲気でした。家ができあがって、少し時間が経ち、そこに、居心地の良い寄る辺ができあがりつつあるように思えて、嬉しく思いました。自然素材を多用した家ゆえ、時折メンテナンスは必要です。施主のKさんが、室内を整然と保ち、木部にワックスをかけるなど、家にしっかりと手をかけてくださるおかげで、なんていうのでしょう、内側からぼおっと光るような味わいが、生まれてきているように感じました。設計者としては、頭が下がる思いです。

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