成城の家 上棟

2013-05-28 23:46:27 | 進行中プロジェクト

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東京・成城で建てている2世帯住宅が、上棟をむかえました。

ゆったりとした敷地に、シンプルな切妻型の屋根をもつ、2階建ての木造住宅です。シンプルである分、屋根の勾配や高さの感じなどについて吟味を重ねてきました。上棟の時はそれが良かったかどうかが直感できるタイミングなだけに、少し緊張もします。

骨太の屋根たるきが等間隔に並び、空間全体として少し抑制の効いたプロポーションになっているのがとても心地よく感じられました。ソファの置かれるコーナーに身を置いてみると、ぐっと深く張り出した軒に包まれるような、守られるような感覚ができあがっていました。どうやら、うまくいきそうです。

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広々とした開放的な敷地だけれども、そのなかに落ち着く「奥」をつくりたいと思って設計をすすめてきました。

趣のある質感。光。陰影。

そんなことを大事にしながら詳細設計を詰めていきたいと思います。

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瓦礫の花とガウディ

2013-05-21 17:15:41 | アート・デザイン・建築

東日本大震災で崩壊した学校の校舎の瓦礫を用いて、「がれきに花を咲かせようプロジェクト」が進行しているそうです。

これは福島県伊達市の保原高校美術部が発端となり、校舎の瓦礫に個々それぞれ、思い思いに花の絵を描き、メッセージをつけていろいろな場所での展示やメディアを通して、再生への思いを様々なかたちで綴ろうとする趣旨のものです。AKB48のメンバーもこのプロジェクトとリンクしたり、活動にも広がりが出てきているようです。

大切にしたいことをカタチに残そうとするのは、とても難しいことです。校舎の瓦礫も、本来はただのモノです。でも、その校舎あるいはその地域と関わりのある人々にとっては、たんなるモノではなく、直視しがたいほどの記憶を背負ったものになるのだろうと思います。それを前向きなメッセージを放つものにしようと、瓦礫のひとつひとつに丁寧に花の絵を描いていこうとすることは、とても自然に、人の心に働きかけてくるものがあるように思います。

大きな記念碑が何かをメッセージを放とうとするのではなく、とてもちいさな、でもとても意義深い断片が何かを物語ろうとすることに、慎ましやかで、等身大で、押しつけがましくない、だからこそ人の心に入りやすいものが生まれるのでしょうか。

話はずいぶんと遠くに離れますが、スペインの建築家・ガウディが残した建築作品の多くは、そうした小さな意義深い断片の集まりによって、ひとつの大きな全体ができています。まだ未完成であったり、大きく欠落していたりして、むしろ全体像が無いにも関わらず、十分にひとつの世界観をもっています。

建設が続くサグラダ・ファミリア贖罪聖堂の塔を上っていくと、地域の民家で使われていた食器や酒瓶が、割られ砕かれ、あるいはそのまま、いっぱい埋め込まれているのを間近に見ることができます。地域の食器の持つ独特の明るい色使いと、着飾ることのない日常がそのまま建物を覆い尽くしている様は、圧巻でもあり、美しくもあり、ユーモアでもあり、そして郷土心をくすぐるものでもあるのでしょう。

福島の「花がれき」が、どのように活用されると、もっと強いメッセージをもつのだろうか。そんなことが気がかりにもなります。

先日、講師をしている学校の学生さんと話しながら、少しガウディの話題にもなりました。そういえば、学校の授業でガウディが登場することはほとんどないなあ。それは、そのままマネをするような余地が無いから当然といえば当然でしょうが、捉えどころがハッキリつかめないのが、その一番の理由のようにも思います。学校で触れられることのないけれど世界で一番有名な建築家の作品には、やはりとても大きなヒントが詰まっているかもしれない、というのに。

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美術学校

2013-05-04 23:23:31 | 旅行記

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旅行の時の写真から。

イタリア・フィレンツェの古い歴史地区のど真ん中に、美術学校があります。ファインアートに加え、絵画の修復技術に関する専攻は名門だそうです。絵画修復という分野にはとっても興味と憧れがあって、どんなキャンパスで学んでいるのかなあと、ぜひ訪れてみたい場所でした。フィレンツェに到着して、一番最初に訪れた場所。

いや~。

いい。

こんなところで勉強したい!!と思わず唸ってしまう、そんな引力がこの美術学校のキャンパスにはありました。フィレンツェらしく、初期ルネサンス建築の面影を残す校舎でした。

朝、学生が次々に道具を抱えて登校してきます。1階は中庭に大きく開かれた回廊になっていて、学生が行き交い、会話をしている場所。2階から上は窓が小さ目に抑えられ、抑制の効いた自然光のなかで、学生は静かに作業に集中している様子。

新しい施設ではないし、全体的に古ぼけているのだけれど、何世紀も使われ続け、自分以前の存在の気配を感じながら過ごすのは、とても意義深いことだと思います。

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何世紀もの間に、何ともいえずいい味の残余空間(?)もできていて、そこには大きな彫像が置いてあったり、彫刻科らしい学生が作業をしていたりしています。「なんとか室」という専用のスペースではなく、おのずとそうなっていった場所。そんな場所は、実に生き生きとしています。

モノを生み出したり、モノに向き合ったりするためには、相応の「気分」が必要だと思います。学校のキャンパスはつまるところ、そんな「気分」をいかに高めてくれる場所であるかが、大切なのかもしれません。

この時の旅行のなかで、意外にも、もっとも心の奥底に「効いて」くる体験でした。

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