30年の軌跡

2023-12-31 21:25:38 | 写真


30年も前に、ぼくが父親の本棚のなかに見つけた一冊の写真集 田沼武能「カタルニア・ロマネスク」。
スペイン・カタルニア地方の山間の小さな村々を訪ね歩き、石造りの簡素で小さな礼拝堂とそのまわりに暮らす人々を撮った写真集です。
はっきりとした理由はわからないけれど、その世界観に惹かれて、ずっと手元に置いてきた写真集です。

その傍らに映っているのは、ぼくの設計した近作のポストカードです。
これまで多くの住宅を設計してきましたが、心のなかで常に問いかけているのは、「カタルニア・ロマネスク」の世界観にどれだけ近づけたか、ということ。
もちろん、現代の住宅をつくるのですから、材料や設備などを真似るわけではありません。

心の拠りどころになるような空間になったかどうか、ということ。

イメージの源泉としての写真集と、その延長にあるポストカード。このふたつの間には30年という時間が横たわっています。
この30年の間に、ぼくはどれだけ自分の思うところを理解し、磨いてこられただろう。
大切にしてきたことを、これからもじっくりと磨きながら歩んでいきたいと思います。

今年も、ブログにお付き合いいただきありがとうございました。
どうぞよいお年を。
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カタルニア・ロマネスク

2023-12-09 21:28:13 | 写真


ぼくは高校生のとき、一冊の本に出会いました。
田沼武能写真集「カタルニア・ロマネスク」。スペインのカタルニア地方にある山奥の集落にある、ちいさくて素朴な礼拝堂の数々と、それらと共に暮らす人々を撮った写真集です。
その世界観にぼくは次第に惹かれるようになり、飽くことなく繰り返し眺め、大事に抱えるようにして生きてきました。
ぼくの美意識や価値観や、生き方の筋道はすべて、この写真集に導かれてきたものです。人生の大事な局面には、いつもこの写真集からの後押しがありました。

そして、見えざる不思議な力に導かれるようにして、この写真集に深く関わる方々に出会うことができたのです。
写真家・田沼武能のご家族、そしてこの写真集の当時の編集者。そして巡り合わせてくれたのは、ぼくの施主のMさん。
ぼくは、この写真集にどれほど影響を受け、私淑し、導かれ、励まされてきたことか。そんな溢れる感謝の思いを、うまくお伝えできたでしょうか。

あらゆることが、今回の出会いにつながる伏線だったのだと思わざるを得ません。
なんだか、映画にでもなりそうなシナリオだな。誰か撮ってくれないかな。

「カタルニア・ロマネスク」と、ご家族からいただいた贈り物が、静かに集う光景。
それらが置かれたテーブルも、その背景の室内も、すべて「カタルニア・ロマネスク」への私淑から生まれたものです。
建築家として、ひとつの筋道を通してこれたのは幸せだなと思います。
そして、今回の感動的な出会いとご縁に、感謝の思いでいっぱいになります。



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田沼武能のカタルニア・ロマネスク

2022-06-02 22:28:20 | 写真


写真家の田沼武能さんが他界されました。

高校生の頃、父親の書棚のなかに一冊の写真集を見つけました。
田沼武能写真集 カタルニア・ロマネスク。
それはすべてモノクロの写真集で、スペイン・カタルニア地方に古くから残る石造りの素朴な礼拝堂と、そのまわりに暮らす人々の日常を写したものでした。

以降、ぼくの人生はこの写真集とともにあったと思います。
そこに映る写真に導かれるようにして大学では建築学を専攻しました。
大学のキャンパスは新宿にありましたから、自ずと設計課題のテーマは都市に対する問題提起をし、それを斬新な切り口のコンセプトで解決していくのが、いわば設計課題でセンセイ方に評価されるトレンド手法だったように思います。
まあぼくは、一生懸命に設計課題に取り組みはしたけれども、どうも馴染めず不毛な思いもありました。
そんなときはこっそりと田沼さんの「カタルニア・ロマネスク」を眺めては癒され、救われていたのでした(笑)

仕事をし始めて20年以上経ち、「カタルニア・ロマネスク」に向き合い続けるなかで自覚的になってきたテーマを、そっと設計のなかに忍ばせるようになってきました。

それは、寄る辺となるものを築く、ということ。

寄る辺とは、日々の暮らしのなかに平穏をもたらし、安心感をもたらしてくれるもの。

そんなことをあらたまってお施主さんに言うのは恥ずかしいから(笑)、別の言葉で置き換えたりしているのですが。

ぼくにとって設計の活動は人生と同義だし、その核をなすのは、田沼さんのファインダーで切り取られた図像の数々なのです。
田沼さんの写真なくして、今のぼくはあり得なかった。
そんなことを思うと、感謝の言葉しかありません。


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窓辺の写真

2013-06-06 18:44:14 | 写真

先日、大学時代の研究室の後輩と、ひさしぶりに会って話をする機会がありました。そのH君は僕と同じように、卒業以来ずっと建築設計の道をすすんできたのだけれど、同時に写真の腕も相当なモノで、学生以来ずっと撮ってきた写真を見せてもらいました。

愛機はライカのカメラ。もちろんフィルム撮りで、独特の湿り気を帯びた質感の画風と、空気感をとらえる構図が魅力でした。あのときはああだったこうだったという話をしながら飲んでいるうちに僕は酔っぱらってしまったけれど、この写真の数々は酔っぱらった頭に鮮烈に残ったのでした。

建築、風景、人。被写体はいろいろですが、どの一断片をとってみても一期一会的な、その時、その場所ならではの空気感が映り込んでいたように思います。そのように表現しなければ、伝わらない何か、というのがあるのだと思います。そんな風に写真を撮れたらいいなあという憧れと、もっと写真を楽しんでいこうと思う気持ちでいっぱいになったのでした。

僕はいま38歳、気が付けば人生の半分を建築の道でやってきたことになります。時間をかけて同じ道を進むことで、自分にとってしっくりとくる土俵というのが見えてくるように思います。もともと建築の道に興味をもったのは、現代建築のカッコよさに惹かれたのではなく、高校時代に出会った一冊の写真集がキッカケでした。

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田沼武能「カタルニア・ロマネスク」というタイトルの、岩波書店から出されていたその写真集には、ピレネー山脈の懐に散在する小さくとても素朴な教会堂と、そのまわりに暮らす人々が映し出されていました。簡素、即物、必然、慎ましやかさ、穏やかさ・・・。日々の暮らしのなかの、さして特別ではないようなことの中に、美しさや豊かさがあるように感じさせてくれる写真集です。結局のところ、こうした価値観のうえに僕の仕事は成り立っているのだろうなあと思っています。

その一番最近の仕事である、僕の設計アトリエも、そんなような趣味でつくったものでした。昔からある小さな植え込みに面した、小さな窓。そこは僕の設計スペースになっていて、傍に座ると、とても大きく感じられる窓です。そこからはジューンベリーの木が間近に見え、昔からあったから見慣れた木だったはずだけど、こうして傍の窓辺から眺めると、とても身近に、大きく感じられるのです。今の時期には樹木名通り赤い実がなって、小鳥が食べにやってきます。柔らかい枝の上にちょんと乗って、葉っぱをかきわけかきわけ美味しそうに実をほお張るのを見るのは、ちょっと幸せな気分になりますね。写真を撮ろうとガサガサとカメラを取り出すと、パッと逃げちゃうのですが。

建築デザイン的には、何も凝ったところのないあたりまえの窓なのですが、僕にとっては特別な窓辺になりました。晴れの日、曇りの日、雨の日。それぞれ違う風情がありますし、一日のなかでも変化があります。「窓を着る」ような感覚でつくったちょうどいい大きさの窓ですから、とても身体によく馴染みます。そんな窓辺の情緒を、どうやったら写真で表現できるかな。そんなことを考えるのも楽しみです。

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石元さんの桂

2012-06-10 16:30:23 | 写真

ずっと行きたいと思っていた、神奈川県立近代美術館での企画展「石元泰博写真展 ~桂離宮1953,1954~」に、会期ギリギリの昨日、行くことができました。

雨。しかも横なぐり。まるでシャワーのようだ。そんな日に鎌倉に来たのは初めてですが、桂離宮は、妙に雨が似合う場所だな、と思います。日本の古建築のエッセンスをとりいれて設計されたこの美術館も、雨が似合う場所、なのかもしれない。ですが、だいぶ古ぼけてしまった新建材で覆われた建物は、雨に濡れて少し物悲しそうにも見えました。

あたり一面、なんとなくモノクロームの抑制された雰囲気のなか、展示室内に入りました。そこには、適度に間合いをあけて淡々と展示される、比較的小ぶりな作品の数々がありました。写真はすべてモノクローム。ゼラチンシルバープリントとの記載がありましたが、この何とも言えない湿度のある質感は、デジカメ一辺倒でちょっと忘れかけていたフィルムカメラの魅力を思い起こさせてくれました。

石元氏の写真は、桂離宮という建築写真を撮るというよりも、ファインダーで切り取られた平面構成を楽しむ、といった撮り方で、ちょっと水平・垂直がずれている作品があるのも、キャリアの初期ならではの、感性優先といったところでしょうか。

ずいぶん時間をかけて楽しく鑑賞しました。この写真群のなかに映っている桂は、現実の桂とは印象が異なるものです。写真家の個性が強く表れた構図、そして光。現実には無い、この小さな写真のなかにしかない桂。

桂離宮にはこれまで数度、訪れたことがあります。印象的だったのは、春先の優しい柔らかい光のなかで見た時でした。陰影も柔らかく、沈潜した何かを感じることができたように記憶しています。

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