東京工業大の教授だった昭和の建築家・谷口吉郎の著作に、「雪あかり日記」というエッセイがあります。谷口は第二次世界大戦の前夜、国から日本大使館建設の命を受け、ベルリンへ渡りました。近隣諸国との一触即発の緊迫感を肌身に感じながら、最後は在ベルリンの日本人がほとんど引き揚げた後のベルリンにぎりぎりまで残り、日本への最終連絡船で脱出するまでのエピソードが綴られたものが「雪あかり日記」です。暗雲たちこめる時代背景と、厳寒のベルリンのイメージが重ね合わされたその文章には、これから間もなく戦災で失われるであろう美しい街並み・建築への哀惜の念にあふれていました。
ベルリンで最も美しいと評される広場、ジャンダルメンマルクト。写真は広場に建つフランス聖堂。TASCHENの写真集「Berlin」からの出典です。かつて爆撃を受け徹底的に破壊された広場も、再建され蘇りました。しかし正しくは、蘇ったのは建物のカタチだけで、そこに宿っていた古びた質感や雰囲気は忘れ去られたのだろうと思います。
それでも、戦後しばらく経った今になって初めて、この街の過去を知らない僕がベルリンを訪れ、このツルピカの広場に身を置いてみて心地よいと感じたのは、とても意義深いことだと思います。
ふたつの聖堂とコンサートホールに囲まれた、「ちょうどいい」大きさの広場。
21世紀の今、若いミュージシャンがバッハを練習しているのを見ながら、ベンチに腰掛けてゆっくりとしている時間。
きっと、かつて爆撃をうけたんだなあ、という郷愁に浸る必要なんかなくて、この状態が在り続けることこそが大切なのでしょう。街並みの風景も、昔の写真からするとすべて変わりました。それは今の東京とも同じでしょうし、昔のものが残り続けるリスボンのような街とは対極にあるものです。ですが、ベルリンの現在が、実に居心地がよい。おそらく無名の市井の設計士が再建してきた建物群は、奇をてらうことなく実直で、合目的的な姿勢に貫かれています。都市風景は変わったけれど、在り続ける姿勢や求められるモノは、変わらない。そんな街の気分を、羨ましくも思いました。
闇の部分がないわけではありません。一歩街から踏み出せば、石に刻まれた弾痕は生々しくいくつも残っています。たとえば旧東と西の境界・グリーニケ橋。黒ずんで、焼けただれたまま、のような。
そして、ユダヤの歴史を記録するために建設されたユダヤ博物館も、シナゴーグも、外には警備隊が控えています。なんらかの事件が起きないように、念のため、ということでしょう。もうヒトラーはいないし、壁も崩壊した現在。それでもまだ、見えざる暗い何かが、この街の気分のなかに混ざり込んでいることは確かです。
美しかったベルリンが独裁者の気配に満たされていく時代に生きた谷口は、現在の街の様子を見てどう思うのでしょうか。もう二度と見ることはできないと思い、「脳裏に押し込む」ように建築を視察して廻ったそうですが、「雪あかり日記」にも登場し、わずかばかりに残った谷口の愛した建築、シンケルの作品について、次回のブログでお話したいと思います。