8年目の春

2013-04-25 16:47:54 | 桜坂の家

足早に過ぎ去った桜の季節の後、緑陰の心地よい桜並木を抜けて、ひさしぶりに「桜坂の家」を訪れました。前庭のジューンベリーの緑も若々しくて、いい具合。

この住宅は、僕が独立して事務所を構えて、最初に設計した家。だから、並々ならぬ思い入れ(!?)があります。そんな家も、できあがってまるまる7年が経過し、8年目の春を迎えました。この家が建つ敷地は、古色ある落ち着いた街で、とても静かな分、道行く人やご近所の気配が近い雰囲気の場所です。ですから、家の内と外に適度なキョリ感が出るようにしたいと、間取りや窓のプロポーションを一生懸命に考えた記憶があります。 

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家のなかにいて、とても落ち着くということ。そりゃあ、住み慣れた家であればどこでだって落ち着くよ、と言われそうですが、それでも、無為に過ごしているときに、じんわりといいなあと思えるような美しさをつくりだそうとするのは、なかなかに難しいことだと思います。それが、この家でうまくいったかどうか。

ジグザグとした間取りを利用して、窓越しには自分の家の外壁が見えるように設計してあります。そこには緑陰が映り込み、その雰囲気は時間と共に変化していきます。そう、家は動かないものだけれども、とても変化に富んだものにすることができることを、この家に教わったような気がします。

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敷地の廻りの特徴を読み込んで読み込んで・・・。一か所、どーんと大きくとったダイニングの窓からは、お向かいのケヤキの古木が今日も見えます。その足元の、とても小さな、でもとても落ち着く中庭。家に使った材料が7年分の年をとって、味わいがでてきました。そして同時に、新建材といわれる工業製品の材料は、どれだけ時間がたっても、味わいにはならないし、見ていて嬉しくないなあということにも気づかされます。

この家ができあがった当初、まだ独立したてで鼻息が荒かった僕は、内覧会を開いたりして、どのような反応がかえってくるかを楽しみにしたところ・・・同業の若い設計者仲間からは、明確で鋭いコンセプトをもっとカタチに打ち出すべきだ、とか、イマっぽくないよね、というような感じの反応で、ちょこっとペシャンとつぶれたような気持ちにもなったのでした(笑)。でもこうして7年経って、当初考えていたことの効果がじわじわと表れてきたように思えて、ようやくしっくりとくるようになりました。まあ、鮮烈なものよりも、やんわりとしていて、懐の深いものにつながっていくのが希望です(笑)。

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桜の樹の傍の教会

2013-04-06 16:44:04 | 進行中プロジェクト

進行中の現場への往復も、気持ちの良い季節になってきました。

南馬込の2世帯住宅では、棟上げを終え、アルミサッシは外壁の下地の設置も進みました。壁で囲まれた場所、外へ開かれた場所が徐々にはっきりとわかるようになり、現場での打合せやチェックと同時に、できあがりつつある空間に身を置く楽しみもでてきました。

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写真は3階のリビングダイニングに面したロッジアの空間。屋根のある屋外テラスになります。北側に位置するのですが、天窓がつけられているのでとても明るい空間になりました。周囲を宅地に囲まれた3階ですから、風景を眺めるためのスペースではないのですが、その分、テーブルとイスを置いて、ほっと息をつける場所になりそうです。

成城の2世帯住宅も地鎮祭を迎え、いよいよ工事が始まります。少し前の話になりますが、桜満開の地鎮祭の日、ある教会に立ち寄りました。

カトリック成城教会。この教会は今井兼次という建築家が設計し、昭和30年に完成しました。周りの建物がどんどんと変わっていく中で、この教会はほぼその姿を変えることなく、ずっとあり続けたことになります。

最初から植わっていたのか、後から植えられたのかはわかりませんが、この教会の傍に寄り添うようにして、あるいは教会が寄り添うようにして、なのか、大きな桜の樹があります。この日、桜は見事な満開でした。

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幾度となくこの教会を訪れましたが、いつ来ても、このままこうあり続けてほしいと思える何かが、この教会にはあるように思います。単純な切妻の三角の瓦屋根に、鐘楼が寄り添ったかたち。縦に細長く大きな窓。この窓は木でできていて、ペンキがとっぷりと塗り重ねられています。古いガラスは歪んで中は見えませんが、ぼんやりと映る照明の気配を見ていると、心の奥底にぽっと明かりが灯るような。

宗教的な含意の込められた小さな図像が散りばめられた、やさしい教会。こんな単純で当たりまえのかたちの教会は、もし現代に設計コンペになったら、決して選ばれることはないんだろうな、と思います。だからこそ逆に、妙に愛おしく思えます。そう、コンペだったら、この教会は絶対に生まれないだろうし、チームプレーでディスカッションを重ねても、このようなあり方には辿り着かないでしょう。今井兼次という一人の個性が、個性的な設計技術をひけらかそうというよりも、建物の主題と敷地に思いを馳せて、一生懸命考えてつくったからこそできあがった建物であり空間なのだろうと思います。

さして特別ではなく、当たりまえと言えば当たりまえ。でありながら、とても深遠。もしかしたら、今、もっとも重要なことなのではないでしょうか。

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