なつかしい家

2008-12-20 15:38:00 | 住宅の仕事

先日、僕が故・村田靖夫さんの事務所ではじめて設計担当をした住まいにお伺いしました。終の棲家として設計されたその住宅は、村田さんが得意としたコートハウス(中庭)型のすまいとしてデザインされました。数多くのコートハウス型の住宅を設計してきた村田さんですが、住まい手や敷地にあわせて、すべての住まいが独自の形と雰囲気をもつことになります。

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お伺いしたこの住まいも、設計の打合せを重ねるなかで、いろいろな個性が散りばめられていきました。たとえば、既にお持ちだったアンティークの家具や、古びた金具のついた木の玄関ドア、洗練されたガラス照明器具などが、しっくりと空間におさまるようにデザイン検討を重ねていったのでした。

最初の担当作品というのは、ひたすらボスとスタッフの個性のぶつかり合いになります。僕なりの意見や提案を一生懸命にボスにするのですが、もちろんそれはボスの設計手法に必ずしも相容れるものではありません。数限りないダメ出しを受けながら設計は進み、最後にはやはり村田靖夫としての作風になっていきます。そうでありながら、担当するスタッフによって、少しずつ建物のもつニュアンスが変わっていくのも事実で、きっと村田さんはそのあたりを楽しんでいたのだろうと思います。

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道路からコンクリートのアーチ越しに見る中庭。中庭に面した、絶妙の寸法体系で築き上げられたリビング。そこには南に面した大きな開口部があるのですが、中庭の緑を通して入ってくる光はしっとりとした湿度を帯び、室内に紗のかかったようなやわらかな雰囲気をつくりだしてくれています。その光のなかに浮かび上がるアンティークの家具やドアや照明。村田さんが得意としてきたモダンな雰囲気の空間のなかに、どこかノスタルジーを誘う雰囲気ができていました。

この住宅は、特に雑誌などに発表されることもありませんでした。新しい建築のデザイン表現を示すものとしては、控えめだったかもしれません。でも、時代の流行とは関係なく、居心地が良く美しい場所としてあり続けるのだろうと予感できるような住まいでした。もちろんそれは、住まい手が大切に住んでいてくれているからに他なりませんね。そしてこの住宅は、僕の原点としての作品でもあるのです。

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光の箱

2008-12-13 20:34:55 | 庭師と画家の家

建築中の「庭師と画家の家」が、工事も終盤を迎えています。左官塗りの外壁も仕上がり、内部も大工作業が終わったところから、塗装も始まりました。

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僕は住宅設計をするとき、「光の箱」をつくるようなイメージで考えることがあります。光の箱。抽象的な言い方ですが、人が一日の時間を過ごすそれぞれのシーンを考えたとき、そのシーンにふさわしい光のことをイメージしたくなります。明るい場所なのか、ほの暗い場所なのか。どのような心持ちでその場所に立っているのだろうか、あるいは座っているのだろうか。手紙を読むとき。音楽を聴くとき。それはフェルメールの絵画のような光なのだろうか。など。それらのイメージの集積として、ひとつの家ができあがっています。結果として、陰影豊かな空間ができあがることを心待ちにしているのです。住宅はとにかく隅々まで明るく、という価値観からは少し離れているかもしれませんが、それぞれの生活のシーンを引き立たせる、美しい窓と光の在り方があると思います。それらのスペースと光が集まってできあがる、「光の箱」としての家。

「庭師と画家の家」は、建物の幅が3メートル、奥行きが20メートルあります。とても細ながい家。1階はピロティで持ち上げられた、地上に浮かぶ方舟のような家です。そこには大小さまざまな窓が開けられています。陰りのあるエントランス階段から、らせん状に登って3階の光溢れる空間へ。その一連のシークエンスのなかに、いろいろな表情をもつ光を散りばめました。

ある日の建築現場。天窓から光が降る階段室で、ぼぅっと佇んでイメージしていました。画家である住まい手の絵が飾られたとき、この階段は、もはや「階段」ではなく「ギャラリー」となることでしょう。

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学校のエピソード

2008-12-04 15:20:12 | アート・デザイン・建築

僕が講師をしている学校で、授業中、学生からこんな話を聞きました。

「葉おもてが美しく見えるので、庭を北側に配そうと思うんです。それを眺めるコーナーをこういう風につくって・・・」

これはある設計課題に取り組んでいた学生の話。東京文化会館の設計で有名な建築家・前川國男の自邸に、居間の延長としての空間をデザインするという課題でした。

住宅設計にきちんと向き合って考えるときには、ごく日常の光景が美しく豊かなものであるように繊細に物事を考えるべきだと思います。当然ながら、住宅と共にある木々や草花についても、ただあれば良いというのではなく、どのようにあるべきかを考え抜くべきです。たいていの場合、リビングはなるべく南に面するように配することが多いですから、木々や草花は「逆光」の中で眺めることになってしまいます。むしろ北庭こそが美しいと言われるのは、そのような理由もあります。美しい北庭と心地よい居場所の関係を考えるだけで、住宅についての深い論議はできると思いますが、思い返してみると、僕が学校で受けてきた教育のなかに、このような論議はありませんでした。どちらかと言うともう少し観念的な、イデオロギーとしての建築観についての話が主でした。学生当時は、南庭と北庭がどちら美しいか、という話には僕は興味を示さなかっただろうと思いますが(笑)、社会に出て、住宅設計の現場で経験を重ね、観念では読み解けない「具体の美学」の大切さを学んできた、ということでしょう。

ですから、先ほどの学生の話を学校で聞いたときには新鮮な印象をおぼえました。設計課題などではなかなか伝わりづらいこのような感性、大切にくみ取っていかねば、と思います。

余談ですが、僕が学生時代、観念的な態度にどっぷり浸かって取り組んだ修士設計の作品の一部を載せちゃいます。見た目は具体的に見えながらも、内容は歯が浮くような観念の渦でした(笑)

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