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新人のころ。

2025-04-07 22:09:00 | 日々


4月ですね。ぼくが大学を卒業して企業に就職したのは1999年。建築デザインの潮流にもなんとなく世紀末感が表れていた頃だったと思います。
ぼくが就職したのは組織設計事務所とよばれる大手の設計事務所で、大規模なビルや公共建築などの設計を手掛ける会社でした。

就職してしばらくは新人研修があって、十数名の新入社員のメンバーと過ごすのはなかなか楽しい時間でした。
昼間に会社の重役のレクチャーがあり、社訓についての話もありました。
SPEED, SENSE,・・・あともうひとつ何か の頭文字をとって「3S スリーエス」を意識するように、という話がありました。
研修後、夜に新人メンバーで語らっているときに、誰かが「そうなんですか!すみません!!すぐやります!!!」のスリーエスなんじゃないのーなんて茶化して、みんな大笑い。
そんなことも楽しい思い出です。

それから20年以上経ち、今では会社の中核として奮闘しているメンバーもいるし、会社を去りそれぞれの道に進んだメンバーもいます。
ぼくは、会社の雰囲気はとても好きだったけれども、小さな建築がもつ魅力に惹かれ続け、ここでは成し遂げることができないと覚悟を決めて会社を出たのでした。
その後、小さな建築、すなわち住宅を造り続けてきたことには、ひとつ筋を通したいという思いもありました。

写真は、そんな会社員時代に描いていたスケッチや本です。
「沈黙の世界」だなんて、ずいぶんと内向的な本を読んでいたなあと思いますが、20代に繰り返し読んで影響を受けました。
スケッチはある住宅に花壇を造るとしたら、というイメージで描いたもの。ビルの設計に携わりながら、花壇だなんて(笑)
書いてある文字は、この本に書いてあった文章からの引用でした。

LINGUA FUNDAMENTUM SANCTI SILENTII
言葉は聖なる沈黙にもとづく

そんな言葉に啓発されるような建築や空間への憧れを胸いっぱいに抱えて、過ごしていた時期だったなあと思い返します。


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1 コメント

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グローバルイノベーション (日本らしさ)
2025-05-12 09:37:17
たしか、日本鉄鋼協会第九回研究部会(1933名古屋高等学校講堂、名古屋市中区御器所町)の資料によると安来製鋼所(伊部喜作ら)が明治44年(1911)に砂鉄精錬による高速度鋼(高級特殊鋼の一種)よりスタートしたエルー式弧光炉が日本初の本格的な近代電気製鋼の量産化に成功した発祥といわれていますね。たたら製鉄からの移行に関して東京帝国大学の俵国一博士の偉業もかかわっておりその地には和鋼博物館(旧和鋼記念館)が設立されています。
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