ルドンの色

2024-11-12 21:55:53 | アート・デザイン・建築


このブログにたびたび登場するオディロン・ルドンの絵画。
19世紀後半から20世紀初旬にかけて生きた画家ルドンには、以前からずっと憧れをもっていました。
ぼく自身が、20世紀末に多感な時期を過ごし、「世紀末芸術」に深い関心があったことも、関係があるのだと思います。

絶望的で退廃的な、モノクロームの画風。
これだけ聞くと見るのもイヤになりそうですが、その画風に漂う静けさや孤独、そして時に表れる愛嬌は、深く心に沁み込んできます。

ルドンは50歳になってから、大きく画風が変わりました。
弾けるような鮮やかな色彩のパステル画。
なぜそのように画風が変わったのか、いろいろな説があります。
晩年になってからの長男の誕生、過去との決別・・・
いずれにしても前向きなことだったようです。

ぼくも今年ついに50歳になりました。
建築家人生としてはまだ折り返し地点です。(建築家は40代にしてまだ若手と言われる、スロースタートの職業なのです!)
ぼくもルドンのように、新たな作風の展開を楽しみたいと思います。

胸の内に思い描くテーマは、ロマネスク性、ということ。
このテーマをより自覚的に、設計のなかに沁み込ませ、それがやがて、その建物で過ごす人々にとって「寄る辺」となることを願いたいのです。


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ベイウィンドウのある部屋

2024-10-25 23:16:29 | 梅ヶ丘の家


家のなかに、寄る辺となるような居場所があるといいなあと思っています。
「梅ヶ丘の家」のリビングには、そんなイメージの場所があります。

ベイウィンドウのある窓辺がほしい。クライアントからそんな話があったのは、設計も終盤に差し掛かっていた頃のことでした。
このリビングは中庭に面していて、もともとの設計ではメインの窓は中庭に大きく開かれたようなデザインで考えていました。
でもある時、クライアントから伝えられたのは、かつて海外で暮らしていたときに過ごした家や、地域の家に備わっていた、弓なりに窓が連なり、ベンチが設えられたベイウィンドウのある窓辺のイメージでした。
そこからデザインを練り直してできあがったのが、この窓辺の空間です。

クラシックな雰囲気のインテリアデザインのなかに、ベイウィンドウの窓辺が立ち現れ、どこか象徴的な趣きをまとった佇まいになりました。そしてその窓からは静かに光が降り注いでいます。
この後、中庭にはシンボルツリーが植えられ、ベイウィンドウの大きな窓から緑が見えることになります。

このインテリアは、クライアントの思い出をきっかけにしてできあがったものです。

記憶を拠りどころにして居場所をつくる。

不思議な存在感と、離れがたい引力をもった場所になりました。
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リッキー・リー・ジョーンズを聴きながら。

2024-10-16 23:11:07 | 旅行記


10月中旬の今の時期になると、学生時代に初めて海外旅行に行ったときのことを思い出します。
スペインとフランスへの旅。
バルセロナから入ってガウディの作品に出会い、カタルーニャ地方でロマネスク美術を浴びつつピレネー山脈越え。
くるくると回りながら走るかわいい登山電車に揺られながら国境を越え、南フランスからパリへ向かう旅。
ヘッドホンでRickie Lee Jonesの曲を聴きながら、写真以上にスケッチを描き続ける旅でした。

フランスでは建築家ル・コルビュジェが設計した作品「ロンシャンの教会」を訪れました。

光、闇、色、量感。
そんな目に見えるものを必死に目で追い、
そのなかに巨匠が込めた「時間」や「記憶」といった目に見えないものの象徴や暗喩を、必死に嗅ぎつける。
若い時だからこそ夢中でできた、純粋無垢な建築の味わい方でした。

この旅で買い求めた、ロンシャンの教会の作品集と、パリの文房具店で見つけたペンケース。
こうしたカタチあるものを通して、かつて自分が夢中になったことに想いを馳せる時間も、楽しいものです。
作品集は今でもページをめくり、ペンケースは建築現場に連れていく。
そう、過去のものではなく、僕にとってはまさに今、共にあるものなのです。
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階段の光景

2024-10-04 22:29:40 | 梅ヶ丘の家


今年の初夏にできあがった「梅ヶ丘の家」。大きな2世帯住宅で、クラシカルなイメージの住宅を、というご要望を受けて設計をした家です。
見どころも盛りだくさんなので、ぜひいろいろご紹介したいのですが、その最初の写真がこれ。

階段の光景。特に変わったところのない階段で、使っている材料も手に入りやすいものばかり。
にもかかわらず、なんともいえない趣きがあるように思います。
ちょうど家の裏側に、緑が見えるはず。そんなイメージを頼りにそっと開けた小窓。

大きな壁のなかに穿たれた、小さな窓。

うんうん、ロマネスクだ、これは! そんなことを胸に秘めながら、設計しているときから楽しみにしていた場所でした。
そして本当にロマネスクの建築のように、仄暗い空間のなかに印象的に光が差し込み、外の緑が垣間見えて。
ある意味で、建築のいちばん初源的な光景なのだと思います。

そんな光景が、ぼくはとても好きです。
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ガウディからはじまる。

2024-09-29 21:53:03 | アート・デザイン・建築


 大学で建築を勉強したいと希望する高校生が、ぼくのアトリエに遊びに来てくれました。
都内でいくつかの話題の建築を見学し、その後ぼくのアトリエへ。見学してきた建築、すごくカッコよかったです!そんな素朴な感想を聞いているだけで、とても嬉しくなります。
住宅の設計を中心に仕事をしているぼくの小さなアトリエ。小さな空間で、少人数のメンバーで設計を進めていくのは、独特の充実感があります。
模型やスケッチや図面など、少しばかり実際の仕事の風景を見てもらいました。彼にとってちょっとしたいい思い出になってくれるといいのですが・・・。

 話の流れで、ひょんなことからスペインの建築家ガウディのことに話が及びました。実はぼくの卒業論文のテーマはガウディでした。当時は、友人や先輩からは「今時ガウディとかやって、なんか役に立つの?」とよく言われました。
ぼくにしたってよくわかりませんから、言葉を濁すことしかできませんでした。でも今では、ガウディの建築にはこれからますます大きな可能性があるとはっきりと思います。
そんな話をしながら、ぼくが学生だったときにガウディの建築に取り組み、見学したときのことを思い出していました。

 写真は、バルセロナにあるガウディ設計の集合住宅「カサ・ミラ」の屋上。不思議なカタチの煙突がニョキニョキ生えています。
この造形、あらためて見るとホントにすごいですね。煙が上りやすくするための実験をしながら見つけたカタチだそう。それが不思議な宇宙人のようにも見えるのも愛嬌ですね。

 よく見ると、下から覗きこむ大学生の頃のぼくの姿が(笑)訪問してくれた高校生の彼も、やがて旅行に出て夢中で建築を見て回るのでしょうか。そんな時期が、絶対に必要です。
ガウディの建築は、名作といわれるものはだいたい未完成なのです。未完成なのに名作と言われるのも不思議ですが、建築は時代とともに変化していくべきものだから、完成なんて永遠にあり得ないのだよ、と言われているようです。
実際に、ガウディのいくつかの建築は、全体像が描かれないまま造られました。そう、あのサグラダファミリア、でさえも。
 技術革新により、あと数年後には完成するという話ですが、だからこそ、完成しないことの意義についても考えてみたくもなります。



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