ドア

2012-02-25 12:42:51 | 旅行記

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ベルリンの、ある教会の入口。大きな扉が半分開いていました。人を迎えようとするのでもなく、かといって謝絶するのでもない、微妙な開き具合。小さな子が、なんとなく興味を惹かれつつも入りにくい気持ちもわかります(笑)

子供からすると、異様に大きな扉。大人からしても、ずいぶんと大きな扉です。何か特別なものが中にあることを予感させる、扉の大きなスケールと質感。扉はその表情に暦年の時間を刻み、風化した石組みの外壁に負けない存在感です。こんな扉を見るのが、僕はとても好きです。それにしても、こういう扉のもつ魅力とはいったい、何なのでしょうか。

海外の街並みを歩いていると、このような魅力的な扉に数多く出会います。それは決して教会や大きな建物に限られたことではなくて、住宅街のなかの小さな家にも見ることができます。排他的に見える外壁面に、簡素な木や鉄の扉がひとつ。たったそれだけなのに、何とも言えない情感があるように思います。扉の向こうにある生活の風景をどこか連想させるような、不思議な扉の佇まい。

一方で日本の住宅街を占める扉は、ほとんどがアルミメーカーなどが発売する製品で、妙にデザイン性を凝ってみたり、木に見せかけたアルミ化粧版だったりして、質感も何もありません。使い込むほど味が出る、というものでもないでしょう。扉一枚に思いを馳せる余地はなさそうです。せめて僕が設計する住宅は、扉一枚に愛着がもてるようにしたい、という気持ちをつよくもっています。

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ルドンのこと

2012-02-13 13:24:54 | アート・デザイン・建築

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丸の内の三菱一号館美術館で開催中の、「ルドンとその周辺」展に行きました。数年前に観たルドン展では、リトグラフでの制作にスポットをあてた、いわば白黒だけの作品を集めたものでした。

笑う蜘蛛。宙を漂う眼球。奇妙な生物。安定を欠いた空間。19世紀末の世紀末感を一身に背負い、メランコリックで退廃的な雰囲気が支配する、数々の画面。それが、息子の誕生を契機に、画面は色彩を帯びていきます。黒の世界から、色彩の溢れる世界へ。そのような作家の作風の変化を追体験することは、感動的ですらあります。

この世のものではない、イメージのなかのメランコリックな世界を、細密で繊細な線で描き切った初期のルドンの絵を観ていると、不思議な気持ちになります。なんと言うべきなのでしょうか、内側からじわっと美しさがにじみでてくるような感じなのです。それも決して「美しい絵」を描いているはずではないのですが。あるのは仄かな光と、限りなく黒く深い、沈黙。

ルドンはそれまで使い慣れた木炭に質が近いということもあり、色彩表現にパステルを多用しました。油彩と異なりパステルの表現は、素朴さと華やかさが渾然一体となって明滅するような印象で、いつまでも観ていたくなります。明るい色は限りなく鮮やかに。色の生まれた瞬間に立ち会っているかのよう。

モノクロームの時代であっても、カラーの時代であっても、ルドンの絵に共通しているのは、その静謐さ。特に女性の横顔を描いた作品は、素描であってもリトグラフであってもパステルでも油彩でも、静けさに誘う独特の雰囲気をもっています。そのタッチのあり方に、ルドンそのものが表れているのでしょう。そしてそれはあくまでも、内側から滲み出る美しさである、ということが、僕の印象です。美しく演出するのではなく、自ずと表れる美しさや静けさ。

ルドンは若い頃、建築家を志望してエコール・デ・ボザールを受験するも不合格となり、建築家への道を諦めたのだそうです。ルドンが建築家になっていたら、どんな建物をデザインしていたのか、見てみたかった気がします。絵画と同様、内側に光を秘めたような、そんな建築になっていたのでしょうか。

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京都さんぽ.14 ~俵屋 その一~

2012-02-07 19:01:15 | 京都さんぽ

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京都に「俵屋旅館」という老舗旅館があって、宿泊する機会がありました。今日の東京のように、そそと雨の降る夏の日。

良い建築というのは、晴れた日よりもむしろ、雨の日にその魅力が増してくるように思います。雨の俵屋は、そのことをあらためて感じさせてくれるような場所でした。京都市中の、市街地に建つ立地。建築家・吉村順三の手による増築デザインを重ねながら、俵屋旅館は静かな佇まいをもっています。老舗の旅館としてはさして広くない敷地の廻りをぐるりと、高い塀が囲んでいて、その上から木々が顔をのぞかせています。塀で囲いこんでしまうのは、排他的な雰囲気を出す一方で、独特の秘めやかさを感じさせてくれます。もちろん、相応の質感や間合いなどが備わってはじめて、無味乾燥としたものではなく、秘めやかさという魅力が表れるのでしょう。

そんな佇まいを見ながら、僕はメキシコの建築家ルイス・バラガンの自邸のイメージを重ね合わせていました。バラガンの住宅も、道に面して素っ気ないほどの外観を見せながら、中には室内と庭とが独特の情感をもってつながる、静けさに満たされた場所がひろがっています。遠く離れて、文化も異なる場所でありながら、そのふたつの場所にはきっと、相通ずる魅力があるのだろうと思います。

道に面して開けられた小さな入口をくぐると、折れ曲がりながら路地が奥に続きます。その細く小さな空間に現れるひとつひとつのしつらえが、簡素な美しさをもっていました。ところどころに庭を織り交ぜながら、空間が奥へ奥へと続き、街からどんどんと遠ざかっていくような、そんな感覚になります。秘めやかで、奥行きのある場所の雰囲気は、京都に多くみられる特徴のように思いますが、俵屋の空間は、その極致のように思います。

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図書室の前の庭の風景。大きな左官の壁。地面に近く低く開けられた窓。雨に濡れ鮮やかな緑。広くないにもかかわらず、他のお客さんと目が合うことがないように工夫された空間のプロポーションに、思わず見入ってしまいました。

ほの暗く、包まれた感じ。

それがいかに居心地が良いものであるかを、しみじみと感じさせてくれる場所でした。敷地内に散りばめられたそんな場所の数々を、折に触れてご紹介したいと思います。

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