ベルリンの、ある教会の入口。大きな扉が半分開いていました。人を迎えようとするのでもなく、かといって謝絶するのでもない、微妙な開き具合。小さな子が、なんとなく興味を惹かれつつも入りにくい気持ちもわかります(笑)
子供からすると、異様に大きな扉。大人からしても、ずいぶんと大きな扉です。何か特別なものが中にあることを予感させる、扉の大きなスケールと質感。扉はその表情に暦年の時間を刻み、風化した石組みの外壁に負けない存在感です。こんな扉を見るのが、僕はとても好きです。それにしても、こういう扉のもつ魅力とはいったい、何なのでしょうか。
海外の街並みを歩いていると、このような魅力的な扉に数多く出会います。それは決して教会や大きな建物に限られたことではなくて、住宅街のなかの小さな家にも見ることができます。排他的に見える外壁面に、簡素な木や鉄の扉がひとつ。たったそれだけなのに、何とも言えない情感があるように思います。扉の向こうにある生活の風景をどこか連想させるような、不思議な扉の佇まい。
一方で日本の住宅街を占める扉は、ほとんどがアルミメーカーなどが発売する製品で、妙にデザイン性を凝ってみたり、木に見せかけたアルミ化粧版だったりして、質感も何もありません。使い込むほど味が出る、というものでもないでしょう。扉一枚に思いを馳せる余地はなさそうです。せめて僕が設計する住宅は、扉一枚に愛着がもてるようにしたい、という気持ちをつよくもっています。