TOTOのトイレット・ライター

2009-02-26 17:52:34 | アート・デザイン・建築

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これを初めて見たときは、眉毛がポン!!って上がりそうになったのを今でも覚えています。TOTO製の便器型ライター。TOTOとは、洗面器や便器などで有名な、あのTOTOです。TOTO製とはいっても、商品ではありません。粗品あるいはオミヤゲとでもいうのでしょうか。僕が学校を出て勤めた山下設計という会社で、入社間もない頃、向かいに座っていた先輩が僕にこれをくれたのでした。何かの打合せでTOTOの社員の方が来訪した際、記念にこういう品をオミヤゲにくれることがあったようです。

見れば見るほどよくできてます。手のひらにすっぽり収まるちょうどいい大きさ。便座カバーをパカンと上げて、ボタンを押すと便器の中から火がボッと出ます。足元にはスリッパまで!もちろんすべて陶器でできています。ガス充填式で、末永く使える一品です。

勤めていた会社は大規模建築を中心に手がける大手の設計事務所でしたので、メーカーの方がよく打合せに出入りしていて、何かのときにはこういうオミヤゲをいただきました。企業のネーム入りボールペンやカレンダーなどが多いのですが、なかには、ところどころにセクシーなお姉さんの写真がはいっている手帳などもありました(笑)。しかもそれは確か、ある防水メーカーのもの。そんなところに「ザ・建設業界」の雰囲気を感じてしまったものでした。

それもこれも、もう10年ほど前の話。今はだいぶ勝手も変わってきたように思います。きっと、オミヤゲにあまり経費はかけるな!という会社指令もあることでしょう。確かにその通り。それで、今では便器ライターも手に入らないという話も聞きました。自分が建設業のなかに足を踏み入れ始めた頃の懐かしい思い出とともに、この便器ライターも大切に手元に置いておこうと思います。もう、煙草も吸わなくなっちゃったけど。

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桜の樹の下の屋台

2009-02-19 18:54:56 | 日々

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自宅近くに、焼き鳥の屋台があります。小さな疎水べりに桜並木が続いていて、一本の桜に寄り添うように、その小さな屋台は建っています。もう動かすつもりはないのか、車輪などはついていません。格納してある板戸をぱたんぱたんと折りたたみ、カウンターをおこすと、ちいさな店に早変わり。それにしても日本の大工さんの知恵と技術はすごいもんですね。これだけの可動部分を綺麗におさめ、収納時にはミニマムな美しさすらたたえています。

とにかく小さくコンパクトにできているその屋台は、夕方にオープンします。おやじさんがひとり入るのがやっとの大きさ。屋台のカウンターの真ん中にひとつ、小振りの瓶が置いてあって、焼き始める前にその中に一回、ちゃぽんと串をつけます。それを炭火で焼きます。

赤い提灯の光。裸電球に照らされた、すすけたお品書きと、串の数々。もくもくとあがる煙。じじじ・・・という静かな焼き音。さらさらと疎水の流れる音。そのゆっくりと流れる時間に、なにか心落ち着く気持ちになります。時代がどのように変わろうと、ここだけは変わらない時間が流れているような。いえ、ここだけは変わらないでほしいと願いたくなるような。

仕上げにもう一回、瓶に串をちゃぽんとつけます。秘伝の、たれ。少しずつ足しながら使い続けているのでしょう、この複雑な味は一体なんだ・・・?

仕事が終わるのは、日付が変わる頃。しゃっしゃっしゃっと、後片付けの洗う音が、しんと静まりかえった辺りに響きます。辺り一帯の落ち葉もきれいに掃除され、翌朝にはいつも通り小さく、口を真一文字に結んだようにきゅっと引き締まって、屋台は桜の木に寄り添っています。こんな光景が変わらぬことを心のどこかで願いつつ、その脇をすりぬけて事務所に向かいます。でも、桜のある疎水べりという場所が、どこか儚げなんだよなあ。そういえば、日本の美しい風景も、どこか儚げなところに美徳があった。

今年の正月、屋台にはきちんと正月飾りがしつらえられていました。古びた屋台に、凛とした尊厳がやどっているような、そんな雰囲気でした。簡素なもののもつ美というのは、本来こういうことを指すのかもしれません。

桜の樹の下にある屋台。梶井基次郎の「桜の樹の下には」ではありませんが、桜というのは、いろんなことに思いを馳せさせる力をもっていますね。桜の季節まで、あともうすこし。

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気になる本

2009-02-13 21:02:12 | 

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最近、ずっと読み続けている本があります。

須賀敦子さんの全集。僕は須賀敦子さんのことは最近まで知りませんでした。昨秋たまたま本屋さんで手に取った雑誌「芸術新潮」(これもケッコウ愛読してます)で、須賀敦子さんの没後10年の特集をしていたのでした。中味をぱらぱらめくっていくと、しっとりとした質感のある写真の数々~それは彼女が暮らしたイタリアの街並みや、彼女が幼少期を過ごした芦屋界隈の風景を写したもの~がとても印象的だったのです。書物は「一期一会」と信じる僕は(笑)、迷わず購入し眺めました。

僕も昔、少しだけイタリアを旅したことがありました。でも須賀さんがはじめてイタリアに渡ったのは戦後まもなく、今とは日本人を見る目もまったく異なる時代でした。そのままイタリアにいれこみ、十数年後に帰国した彼女は、翻訳や、国内外の大学教師の仕事などをこなしながら、やがて自身の追憶をたどるようにイタリアでの思い出をエッセイに綴り始めたのです。そしてその文章の品格!

こうして僕は須賀さんの著作にはまってしまったのでした。彼女のエッセイの多くは、追憶からできています。イタリアでのこと、日本でのこと。それらが、ヴェネチアの運河に寄せる波の音に誘われるように重なり合っていきます。そう、文字通り、時空を超えること。現在という時間が過去につながり、今いるこの場所が、遠くの場所とつながる。そのように感じることは本当に可能なのだと思います。そして本当にそれを感じられたとき、目の前にある物事の価値は見たままのものではなく、独自の価値をもつようになるのだと思います。文学も、芸術も、そして建築も、そんな懐の深さをしっかりともっているべきなのだと思います。僕は、たんなる日々の暮らしに、そんな深さをもたらしたいと願っています。日々の暮らしが、須賀敦子さんの文章のように気品に満ち、追憶をうながすような深さをもつことを。

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ガウディのこと

2009-02-05 11:58:01 | アート・デザイン・建築

僕は大学生のとき、スペインの建築家アントニ・ガウディについて卒業論文を書きました。学生当時から、そして今でも現役学生から同じような質問を受けます。ガウディの研究をするとどういう点で役にたつんですか。

ガウディは世界でもっとも知られた建築家かもしれません。でもその建築思想が広く知られているというよりは、奇異な形のイメージ、いまだに未完成で建設途中である教会のエピソードなど、そういった面が彼を有名にしているのだろうと思います。でもそのあまりの特異さゆえ、それを勉強したところで、その後の設計のアイデアの参考にならないのではないかという思いも、きっとあるでしょう。

僕がガウディについて興味をもつようになったのは割合に早くでした。以前のブログでスペイン・カタルニア地方の素朴な教会の写真集に興味をもった話をしましたが、それと同じ頃ちょうどガウディの建築写真集が家の本棚に眠っていたのでした。見たことのない怪奇なイメージ。最初はそんな感じでした。陶器の破片に覆われた生き物のような建物。京都の碁盤の目の街並みに直角に建つ建物群を見慣れていた僕にとっては、不気味でありながらどこか惹きつけられる感覚でした。

大学の研究室では、ガウディそしてカタルニア建築研究の権威・入江正之先生に師事し、そこで卒業論文を書きました。ちょうど大学に赴任されて間もなくで、僕にとって幸運な出会いでした。装飾に覆われたぐにゃぐにゃな建物。それをくつがえすかのように与えられたテーマは、それらの形がすべて数学的な幾何学で構成されていることの研究でした。

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バルセロナにあるサグラダ・ファミリア聖堂の柱に着目し、ぐにゃぐにゃにみえるその柱が、実は幾何学的な形を変形することでできあがっていて、それゆえ工事のしやすさが考慮されていること、その変形の仕方そのものに「三位一体」の宗教的含意が込められていること、そしてそれらが次第に組み合わされながら成長するかのように立体空間がつくられているプロセスに、自然の摂理がイメージされていること、そんなことを学びました。

研究とはいっても、新しい発見ではありません。先生にしてみればもうとっくにわかっていることなのです。まず課せられたのは、日本では発行されていないスペイン語で書かれた学術論文の翻訳でした。そのうえで、油土や石膏で模型をつくり、柱の変形を追実験しました。一般的にいわれるガウディのイメージを裏切るような、地味で即物的な研究になりました。

論文発表会では他の先生方から、サグラダ・ファミリア聖堂で仕事をしている職人達はみんな知っていることなんだよ!重箱の隅をつつくような研究をしたって誰も驚きはしないんだよ!と一刀両断の厳しいコメントをいただいてしまったのでした・・・。

そう、重箱の隅をつつくような地味な研究。革新をもたらすわけではない研究。今になって思えば、それは僕自身のための研究でした。はじめて目にするスペイン語との格闘。石膏で手を汚しながら即物的に向かっていく態度。そういったことを通して、奇異で不可解なものがすこしずつ自分の中で溶け始めてきます。こうした具体的に踏み込んだ研究を通して、ガウディをほんの少しだけ内面から知ったような気持ちになりました。そして、書かれた文章から何かを学び得るというよりも、体と心で「直感」するようにして、様々なものごとのあり方について思いを馳せられるようになったと、自分では思っています。

設計のアイデアとしてはすぐには役に立たないガウディの卒業論文。でも建築家という一生をかけて成熟させていく職業にあっては、すぐには消費できない研究の方が、汲めども尽きぬ源泉になるのかなあと思うのです。そして今でも、ガウディからはいろいろなことを考えるヒントをもらい、そして相変わらず謎に満ちた存在として僕の奥深くに居座り続けています。

コメント (2)
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