モンブラン

2006-12-31 20:59:05 | 日々

061231 東京・自由が丘に「モンブラン」という老舗のお菓子屋さんがあります。東郷青児がデザインした包装紙や、モンブランというケーキの名前の発祥の店としても有名だそうですが、そのなかで僕がとても好きなケーキがあります。その名前はレーリュッケン。色とりどりのケーキが店先で並ぶなかで、もっとも素朴で地味なのが特徴(?)です。もう何十年と変わらぬ味でつくり続けられてきたもの。ほどよく甘い生地を石のローラーで挽いた跡が表面に刻まれています。僕がまだ小さかった頃、京都から年末年始に東京の祖父母の家に遊びに来たときに食べさせてもらうのが、とても楽しみでした。見かけも味も素朴そのもの。幼ごころに「奥深い味わい」などとたいそうなことは思っていなかったでしょうが、何かこう優しい味わいが大好きでした。大人になったいま、とりたてて甘いモノが好きというわけではないのですが、このケーキだけは何かのときには買って帰ります。なぜだか、考え事をするときにもぴったりのようにも思えるのです。

今年ももうおわります。飾り気のない素朴なケーキ。こいつを食べながら、いろいろなことを思い起こそう。みなさまも、どうぞよいお年を。

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クリスマス・プレゼント

2006-12-25 17:56:49 | 日々

この数年、クリスマスになると僕にはちょっとした楽しみがあります。それは、東京・外苑前にあるAlessiのショップで、クリスマス・プレゼントを選ぶこと。Alessiはテーブルウェアを中心に取り扱うブランドで、いろいろなデザイナーと協同して製品をつくっています。食事にまつわる基本的な生活道具として、用と美について深く考えられたデザインの数々は見ているだけで楽しいもの。そしてそれを、僕と同じく建築家である妻にプレゼントとして贈る、というのを表向きの理由(?)にして楽しく選んでいるのです。

061225mendini 師匠の設計事務所が店の近くにあるので、スタッフだった頃は、夜こっそり事務所を抜け出て買いに行ったものでした。最初に行ったときに選んだのは、Alessandro Mendiniのデザインによるスプーン。次の年に選んだのはJasper Morrisonデザインのナイフとフォーク。本来こういうものは、デザインを統一するためセットとして入手すべきものかもしれませんが、一年に一回、一通り作品を見ながら、どのデザインが自分にしっくりくるのかを見直す機会にもなります。年を追うごとにバラバラのデザインがテーブルの上に並ぶことにもなりますが、僕自身のそれぞれの年のデザイン嗜好を見る思いがするのです。去年は良いと思っていたものが、今年はあまり良く思えなかったり、ということもあります。いわば「用と美」についての考え方を毎年、自問自答しているようで、それはどこか建築デザインにもつながっていくようにも思います。061225morrison

ただ、今年は上記のようなカトラリーではなく、前から目をつけていたものがありました。それは、僕が敬愛する建築家Peter Zumthorのデザインによるペッパーミルです。クルミの木でできた大ぶりなデザインは、独特のデザインを主張する他のデザイナーの製品のなかに一緒に並べられていると、どこか素朴で穏やかな雰囲気をもっています。他の製品の多くがステンレスや磁器あるいはプラスチックなど、製品ごとに色味の差もなく、永年つかっていても劣化が少ないのに対し、このペッパーミルは製品ごとに木目も違うし、永年の間に湯気や油などにより表面の様子も変わってくることでしょう。そんな素朴なペッパーミルですが、用に即したプロポーションの美しさ、道具としてのメカニズムの簡潔さなど、シンプルかつ優美なシルエットのなかに力強さと気品が宿っています。その表面を静かに覆う光と影。まるで味わいのある人物像のよう。

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京都さんぽ 1 ~洛北の地から~

2006-12-17 18:52:03 | 京都さんぽ

061217 僕は京都に生まれ育ちました。京都市は東北西の三方を山で囲まれ、南側に開けていく地形をしています。僕が生まれたのはその北側にある山の近く。北山といわれる地域のなかにありました。そこから南にむかって市街がひらけていき、洛北とよばれる地区になっています。小学校、中学校をふくむ洛北地区一帯が、僕の幼き頃の原風景をかたちづくりました。時をへだててその記憶は、今の僕の価値観・美徳に大きな影響をおよぼしているし、むしろそこに還っていっているような気さえします。

現在では実家も京都からなくなり、地縁はなくなりました。失ってはじめて、かけがえのなさもわかるというものです。僕はけっして京都全般について詳しいわけではありませんが、僕の断片的な記憶と、その舞台のいまむかしをエッセイにまとめることで、あるひとつの京都像を描いてみたいと思いました。なので、紀行文でも解説文でもなく、「京都さんぽ」と題したゆるゆる談をこのカテゴリに綴っていこうかと思います。

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自由が丘の家.5~中庭 Ⅰ~

2006-12-13 18:09:45 | 自由が丘の家

061213_1 旧家の時代から残された芝生の前庭から、中庭へのアプローチが延びています。コンクリート平板を並べただけの簡素なもの。セメントを固めただけの多孔質なものなので、隙間に苔が生え、5年の歳月の間に随分と味わいを増してきました。廉価な材料も、「時間」を見方につけて実に生き生きとしています。

061213_3屈曲するアプローチを曲がると、突然風景は変わります。白い空間から黒い空間へ。芝生の前庭とはうってかわって、奥の中庭は一面に砂利がしきつめられた場所 。奥には黒い壁が控えています。この黒の正体は、黒漆喰。風雨にさらされて、独特の風合いを醸し出しています。手前には植栽が植えられました。そして真ん中には灯籠がひとつ。実はこれは錆びた鉄でつくられています。

黒い漆喰。錆びた鉄。こうした「古びていく」素材を通して、この敷地、この場所にずっと流れ続けてきた時間の厚みが、少しでも意識されるようになれば、という思いを込めたものでした。毎日目にする光景が、ゆっくりゆっくり時を重ねていく。そんな「時間」のデザインをしたいと思ったのです。すべてのものが、時を宿していく・・・。西の果てリスボンで感じたような雰囲気を、思わずこの東の果ての場所に重ね合わせてみました。

この中庭をとおって、玄関へ歩み寄061213_2っていきます。

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キューポラのある街

2006-12-03 19:11:21 | 日々

061203 吉永小百合の主演映画「キューポラのある街」が公開されたのは1962年。年配の方に埼玉県・川口の名前をだすと、この映画の名前を挙げる方も多いようです。産業と生活がひとつの歴史を光と闇を織り交ぜながらつくりあげている街は、魅力的なものです。川口駅東口の「キュポ・ラ広場」は、再開発の一環として今年できた新しい場所です。鋳物産業の象徴でもある「キューポラ」から名前をとったその広場に建つ時計モニュメントをデザインするにあたっては、街のアイデンティティを表明するものでありたいと考えていました。そうして時計モニュメントが完成してから約半年、久しぶりに行ってみました。するとそこではフリーマーケットが行われ、盛況な雰囲気でした。

061203_1 日本ではもともと広場という概念はなく、西欧からはいってきたものでした。先日のパリ、リスボンの旅では、それこそ数多くの名だたる広場を目の当たりにしてきたわけですが、そういう姿と比べると、日本の広場というのはまだまだ生き生きとした形で生活には根付いていないような印象を持ちました。キュポ・ラ広場の歴史はまだスタートしたばかりです。いかに生き生きとした場所になり得ていくかは、週末のフリーマーケットやイベントを中心にして積極的な活動をつづけていくことにかかっていくようです。この時計モニュメントも、ささやかながら広場のイメージを形づくるものとして、市民の心に残ってくれれば、と思っています。

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