テレビ台のデザイン

2008-10-26 01:14:38 | アート・デザイン・建築

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「自由が丘の家」のために、新しくテレビ台をデザインし、知り合いの家具屋さんに製作してもらいました。

この住まいの古色あるインテリアに合わせ、主材料は素朴なナラの木としました。せっかく作るのなら、いろいろな機能を含ませたい・・・という、いつもの欲張りゴコロに後押しされて、少し大きめのサイズにし、DVDなどのAV機器のみならず、CDや雑誌、古新聞などもキレイに収納できるように工夫しました。とは言っても、細工を施しすぎるとどんどんコストアップになってしまいます。そこで、両面をシンプルで安価な引き違い戸にして、両側から使えるようにしてあります。上記のモノがすっきり収まるよう、寸法を吟味してデザインするのは、設計家としては腕の見せ所になりますね(笑)

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本体上部に立っている黒いパネルは、テレビの背面を隠すためのもの。唐突に見えるかもしれませんが、玄関からリビングに入ったときに「ついたて」のように見え、逆に部屋の奥行き感を演出してくれます。本体側面には、機器の放熱用のスリットも開けてあります。

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さて、テレビを置くとこんな感じ。奮発してプラズマテレビを導入しました。プラズマテレビは、消しているときに保護ガラス面がカガミのような効果を生み、まわりの景色を映すのが美しいと思います。画面をよく見ると、歩くロビン王子の姿が!!!

テレビ台全体のプロポーション、色味、取手などは、既存の家具やインテリアに合わせて吟味しました。少しずつ年季を帯びてきた、背景の黒漆喰の階段ともよくマッチします。個々の住宅にあわせてオリジナルの家具をデザインすると、余計な味付けもなく空間によくマッチし、シンプルで機能的な家具が、比較的安価にできると思います。次回のブログでは、ダイニングテーブルのデザインのことをご紹介したいと思います。

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ホームカミングデイ

2008-10-19 17:16:02 | 日々

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僕の出身高校・早稲田大学本庄高等学院で、この週末にホームカミングデイなるものがありました。学校全体の同窓会のようなものでしょうか。創立25周年を迎え、同窓会活動も積極的に行っていこうという主旨でした。第1期生でもまだ42歳、社会で中堅を担うようになってきた、といったところでしょうか。僕は9期生なので、学校全体からみれば古い方ですが、それでもまだ歴史の浅い学校ですね。

京都で生まれ育った僕が、なぜ遠く離れたこの高校を志望したか、今では判然としませんが、この学校の特色は「ホームステイ制度」があることでした。ホームステイといっても小さな寮のようなものですが、日本国内のみならず、世界中から帰国生が集まることに特色がありました。中には欧米での土足文化に慣れていて、靴のまま家の中にあがってくる学生もいたそうです。いろいろな方言が飛び交い、不思議な学校でした。

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僕が入学した18年前は、駅前こそ民家や商店がそれなりにあったものの、少し駅から離れれば田畑が広がる田舎でした。そこからさらに進んでいくと、丘のような山があります。その山の上に、高校はありました。赤松の林を抜けてケモノ道を上っていくと、鉄筋コンクリート打放しの校舎がありました。給水塔を中心に、中庭を囲むように回廊型に連なるグレーの空間。そのなかを黒い学生服姿の高校生が行き交う光景は、さながら山の上の修道院のような雰囲気だったかもしれません。しかし男子校の高校生が修道士のように大人しいはずはなく、いわば「山の上のおサルさんたち」という方がふさわしかったでしょうか(笑)

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山には700余名のおサルさんたちに加え、野生のキジ、鷹、まむし、野良犬、猫が自由気ままに暮らしていました。冷房が整っていなかった当時、教室には開け放した窓やドアから自然からの「来訪者」がよく出入りし、いろいろなハプニングも起きたものでした。

京都から上京し、上野を経由して群馬方面に向かう道中、だんだん街の喧噪が消え田舎になっていく車窓の光景を見ながら、入学したばかりの慣れない頃には、寂しく感じたことを記憶しています。遠い昔のことのようでありながら、今でも鮮やかによみがえる記憶の数々。コンクリート打放しという初めての「建築」に触れた記憶。同期6人の寮生活の記憶。そしてそのなかで、父親から送られたル・コルビュジエの著作「建築をめざして」を読みながら(もちろん意味はよくわからなかったけど)建築への興味を確かにしていった記憶。たった3年間の短い期間だったけれど、第2の原風景とも呼ぶべきものになったように思います。

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女神まつり

2008-10-13 20:39:44 | 日々

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地元の自由が丘でこの週末、「女神まつり」が開催されました。今年で36回目となるこの祭りは、いわゆる「祭り」のイメージとは異なる雰囲気をもっています。街にはためくフランス国旗、フランス料理やモロッコ料理の屋台の数々、陶磁器の出店などなど・・・。確かにどこかパリの下町クリニャンクールの蚤の市の賑わいを彷彿させます。というより、そういう雰囲気を出すように企画しているんでしょうね。なので御輿やハッピはありません。シャンソン歌手が歌い、ワインを飲みながらジャズを聴く。

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僕の生まれ育った京都には、由緒ある有名な祭り~祇園祭、時代祭、葵祭~があるにしても、それらは決して庶民が参加するための祭りではありませんでした。盆踊りなども記憶にありません。祭りは、近くて、遠い存在。京都にはありがちな感覚ですが、そんなようなものでした。ですから、祭りというものに対し、どこか淡泊な感情が育ってしまいました(笑)。東京に来て、庶民が参加し楽しむエネルギー溢れる祭りを目の前にして、少しそんな気持ちも変わりました。

「女神まつり」の「女神」とは、駅前にたつ銅像の名前です。翼をつけた天使のような像。地元の人々にとっての「自由が丘らしさ」は何かというアンケート結果で、この女神像も多くの票があったようです。そしてこの祭りのスタイルも自由が丘らしさの大切な面だという意見が多いようです。街並みに「らしさ」が出ることは素適ですね。

いつもは、仕事帰りに駅前広場の会場で開かれるジャズコンサートを聴く程度だったのだけれど、今年は昼から繰り出し、クスクスだのワインだの、いろいろ食べたり飲んだり。祭りに参加したわけじゃないけど、ようやく少し地元の名物を知ったかな?

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三谷さんの器から

2008-10-05 16:31:41 | アート・デザイン・建築

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友人の結婚式の引出物で、三谷龍二さんの小さな器をいただきました。包みを開けて、一瞬でそれとわかりました。というのも、僕は三谷さんのファンで、小さな皿をひとつ買ったときのエピソードを以前このブログでも書きました。

図らずして、三谷さんの器がふたつ、僕の手元に揃いました。木の塊をくりかえしくりかえし、こりこり削ってできあがる器。手作りだから味がある、という風にしてこの良さを片付けてしまいたくはありません。三谷さんの器の特徴は、何といってもその表面を覆う無数のノミの跡。同じ手法を延々とくりかえし反復しながら、用途に合わせて大きさやカタチは変幻自在となります。でもそのカタチは作為にあふれたものではなく、実用に即した極めてシンプルなもの。

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くりかえす。反復する。そういった作業の果てにできあがる物の美しさについて、かつて柳宗悦は多くの言説を残しました。そして晩年、彼は「くりかえす」果てに立ち現れるものを、仏教思想に重ね合わせていきました。

三谷さんの木の器を見ながら、いきなり仏教思想について思いを馳せる必要はないでしょうけれど、ノミの跡にひとつひとつの手の動きを感じながら、さながらそれを「念仏」のようにイメージすることもできるでしょう。単にシンプルさを求めたものでもない。単に荒削りでとどめたものでもない。食器という「日常」のための道具をつくるため、素朴なノミの跡に、ものづくりの過程や気持ちが偲ばれるそれらの器は、「清貧」と呼ぶにふさわしいと、僕は思います。「清貧」といえば、遠くアッシジの聖フランチェスコの逸話が思い起こされますが、その宗教的な含意の根本をたどれば、それは「日常」に向けられた優しい眼差し、という風に言うこともできるのだと思います。

さて、この器をいただいたお二人は、僕と同じ事務所で働いた同僚でした。きっと彼らも「日常」に眼差しを向けながら、地に足の着いた住宅設計をしていくことでしょう。この小さな三谷さんの器の引出物に、そんなイメージを重ね合わせることができました。そして、三谷さんのくりかえし振るわれたノミと同様、自らの手法を頑なに守りながら生涯くりかえしコートハウスを設計し続けた僕たちの師匠も、「清貧」と呼ぶにふさわしかったのかなと、今になって思います。

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