ギャラリー

2012-04-30 14:44:32 | アート・デザイン・建築

施主であり画家のYさんからご案内をいただき、国立新美術館で開かれている春陽展にいきました。この展覧会を観るのは今年でもう数回目。Yさんの作品はもちろんのこと、他の方の作品も作風もどこかに記憶に残っていて、あ、今年はこんな雰囲気の作品になったんだ、とか、連続して見続けることによって、いろいろな楽しみ方があります。

この春陽展、とても多数の作品群で構成され、ほとんどの作品が身体よりも大きな号数の画面に描かれた、画家にとって力のはいった作品群です。でも、会場も広いとはいえ、ところせましと絵が並ぶというのは、画家にとってきっと不本意なのだろうと思います。

淡い色の木のフローリング。クロスの張られた大きな白い壁面。蛍光灯で間接的に照射された無窓の空間。そこは、展示空間としては何の味付けもなく、ニュートラルの空間です。画家の作品をジャマしない、という観点からは良いのでしょうが、作品にぐっと心が向かっていくというか、入り込んでいくための雰囲気がまったく無いのは、寂しい限りです。

そんな会場内を歩きながら、絵の背景について考えていました。抽象、具象、さまざまな作品の個々については、ぼくには優劣などわかろうはずがありません。でも、この絵には、こういう雰囲気の空間が合うんじゃないか、とか、ぜひあの空間に飾ってみたい、とか、絵の背景となるべき空間を思い描くのは、とても楽しいものです。

イタリア中世の画家、ピエロ・デッラ・フランチェスカのたった一枚の絵だけを飾っている美術館があるそうです。たしか元々教会だったところを転用していると記憶していますが、絵を観ることが、建物に入るところからの一連の体験として感じ取れたら、どんなに素晴らしいことか。

たった一枚の絵のために、というわけにはいかないけれど、家も、住居であると同時にギャラリーのような場所であっていいと思います。Yさんの家を設計しつくったときも、3階建ての細長い家のなかを、一日のなかで行ったり来たりするときに、常に絵が身近に感じられるような場所にしたいと思っていました。決して蛍光灯の無味乾燥とした光ではなく、天窓からぼんわりと降ってくる光のなかで、美しくそっと佇むように。

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ちいさなもののひろがり

2012-04-20 11:01:49 | アート・デザイン・建築

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先日、機会があって、待庵の写しとしてつくられた茶室に伺いました。待庵というのは、千利休がつくったとされる、現存する唯一の茶室で、京都・大山崎の妙喜庵というお寺のなかにあります。二畳台目という極めて小さな茶室である待庵は国宝ゆえ、にじり口から中をのぞくことはできても、入室は許されません。にじり口にかじりつくようにして(笑)見学したときのエピソードは、以前にこのブログでも書きました。(2010年3月22日)

今回は、待庵を忠実に再現した茶室に入室できるのですから、どんな印象の空間なのかとても楽しみでした。

以前に待庵を訪れた時は、雨。そして今回は、まだぐっと冷え込む曇りの日。このぐらいの天気の方が幽玄な趣がでて、素敵なのかもしれません。さていよいよ室内にはいると・・・。

室内の造作や姿かたちは、すでに頭のなかにはいっているものの、大きさの感覚に不思議な変化がおこります。あれれ、広いな・・・。二畳なのに、不思議な広がりがあります。正客の席に座り、亭主の席にも座ってみました。室内の人と人は、ちょうどよい間合いが保たれるように感じます。

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すぐ間近にある床の間は、「洞床 ほらどこ」とよばれる、隅柱がなく左官で塗りまわされた独特のもの。サイズはとても小さいのに、ぐーっと不思議な奥行きが感じられ、吸い込まれていくような気分になります。にじり口から眺めている分には、やはり小さな床の間という印象でしたが、自分の身を寄せることで、その魅力がつかめます。

ほとんどが壁で占められた室内に、点光源のように窓が光っていました。こちらも小さな窓ですが、人間の所作にあわせて位置が吟味された窓は、とても暗示的で、独特の情趣をもたらしてくれます。室内はもちろん暗いのですが、これでいいんだ、と思えるような落ち着きがありました。これも、部屋が小さいからこそ、それぞれの部位の存在感が増し、親密に感じられるのでしょう。

とても小さな待庵の空間は、心のなかでとても広がりを感じる、不思議な場所でした。

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初節句

2012-04-13 11:46:12 | 日々

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昨年末に生まれた甥っ子に贈られた、端午の節句の兜飾り。とても小さなものなのだけれど、隅々まで丁寧につくられています。ちょいとつまんでしまえるほど小さいのだけれど、丁寧に手をかけてつくられたものは、そうはさせないオーラというのか、迫力のようなものがあります。

木工、金工、ガラス、陶芸など・・・、いろいろな工芸がありますが、この兜飾りはいろいろな分野の工芸の技があわさってできたようなものです。織物、塗りなども加わり、いわば総合芸術!このような日本の伝統工芸は、世界に誇るべきものですね。

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ちょうどいい眺め

2012-04-05 18:09:31 | 旅行記

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京都市とイタリアのフィレンツェとは、姉妹都市として提携して、50年近くになるそうです。ともに歴史文化の深い街ですが、いろいろな面で似ているな、と思うところがあります。

まず、街の中をゆったりと流れる川、鴨川とアルノ川は、どちらも川辺が心地よい美しい川です。そしてふたつの街はどちらも盆地に位置します。その分、夏はものすごく、暑い。暑い盆地から逃げるようにして、周囲をとりかこむ山や丘陵にも、文化がひろがっていきます。京都市には東山といわれる丘陵が広がっていて、そこには多くの社寺仏閣とともに、別荘や御殿や離宮がつくられました。暑い夏にはそこに出かけていって、そこから京都市中を眺める。たとえば、江戸時代に後水尾上皇が指揮して造営した修学院離宮は、その最たるものだとも言えそうです。とても広い境内に、庭園とともにパヴィリオンを点在させ、その最も高い位置にある庵から、美しい人工池越しに京都市中の眺めが広がります。江戸時代と現在とではその眺めも当然異なりますが、高さの低く抑えられた、いぶし銀の家並みのなかに、ところどころ寺の塔が建ち山々を感じる眺めは、街の中にいながら感じるものとはまた別の魅力に溢れていたことと思います。

フィレンツェには、ちょうど東山にあたるような存在としてフィエーゾレという地域があります。歴史はむしろフィエーゾレの方が古いそうなのですが、中世の頃、貴族や裕福な人の間では、少し離れた場所からフィレンツェの街並みを見渡す、というのがステイタスだったそうです。フィエーゾレには、メディチ家をはじめ多くの有力者たちの別荘が建てられました。上の写真は、そんなメディチ家の別荘と同じ目線でフィレンツェの街並みを眺めたところ。上の方をよーく見ると、かの有名なドームをもつ大聖堂の姿も見えます、周囲にはトスカーナのゆったりとした丘陵や山々の風景。

街の中にいても楽しいし、街の外から眺めても美しい。そんな懐の広い楽しみ方のできる街は、やはり素晴らしいのだと思います。小さな視点と、大きな視点と。その両方を大切にした街づくりがひろがっていくといいですね。そうえいば昔に聞いたことがあるのですが、京都市のなかに、姉妹都市を記念してフィレンツェの有名な「ポンテベッキオ橋」を真似た橋をつくろう!との話がもちあがったことがあるそうです。しかもそれを鴨川に架けようというのです。いやあ、文化が違いますからね・・・。真似をすればいいというものではありません。その話は立ち消えになったそうですが、結果的によかった(笑)

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