富士へ

2012-05-30 11:54:59 | 富士の二つの家

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1年前にお引渡しした住宅の一年点検が続きます。先日は、富士へ。もう何十回も通っているにもかかわらず、なんといまだ2,3度しか富士山の全景を拝めていないのです。そして案の定、今回も薄曇りの日でしたが、5月の心地よい季節、「富士のふたつの家」を楽しんでくることができました。(・・・点検に行ったんじゃなかったのか!と言われそうですが)

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緑が育ち、程よい陰りと奥行き感のある雰囲気がでてきていて、家がこの場所に馴染みつつあるように感じることができて、思わず嬉しくなりました。家の外部、内部ともに点検をしてまわり、塗装部分の補修箇所などを中心に、少し手を入れることにしました。

この家では、既製品をあまり使わず、家具を設計し作り付けにし、大きな窓も図面をおこして木製でつくりました。そうして人の手によって作られたものは、なんともいえない温かさや質感があるように思います。相当の作業量に、大工さんは「気が狂いそうだった・・・」と漏らされていたそうですが・・・(苦笑)。ご苦労をおかけしました。でもおかげさまで、素敵に家になりました。

点検後、外のデッキで、工務店のみなさんを交えお茶をいただき、さらにその後、夕食までご馳走になり、とても楽しい時間を過ごさせていただきました。だんだんと住まい手の雰囲気と調和していく家を見るのは、とても楽しいものです。来年、再来年と、どんな風になってくのか、またお伺いするのが楽しみです。

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実現しなかった案へのレクイエム。

2012-05-23 18:30:11 | 住宅の仕事

最近、いくつかの住宅の設計を並行してすすめているのですが、そのうちのひとつが、「自由が丘の家」の増築です。僕の家族の住居と設計アトリエを併設する計画です。ぼんやりと頭で思い描き始めてから、はや数年。後回しにしながら時間がかかり、結果的にいくつものプランをつくってはボツになっていきました。写真は、かなり本腰を入れて模型までつくったにも関わらず、諸々の理由から実現に至らなかった案です。既に模型も解体され存在しませんので、写真の中だけの思い出です(笑)

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「自由が丘の家」は、もともと半世紀にわたり建っていた古い家屋を建て替えた家です。古い家にあったもの、庭木や家具などを多く残し、それらを引き立て、共存するような生活を思い描いて設計したものでした。「時間のリレー」とでも言うのでしょうか、ずっとこの土地に流れてきた時間を受け渡していくようなイメージです。そんなイメージから選んだ壁の仕上げ材料は「黒漆喰」でした。雨風に晒されて、年月とともに風化していくような独特の味わいがあります。昔からこの土地にあったものと同様、「時」を見方につけて魅力的な表情に変わっていくことを楽しみたいと思ったのでした。

写真の増築案では、アトリエと黒漆喰の壁の間にデッキを敷き、ちょっとした中庭のような雰囲気にする計画でした。アトリエからはすぐに中庭デッキに出られ、コーヒーで一休みするのも気分がよさそうだなあ、そうだ、シンボルツリーを一本植えよう・・・とか、仕事以外のことばかり考えてデザインしていたような・・・(笑)

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「時間をつなぐ」コンセプトを大切にしながら、いろいろな検討をして、最終的には模型とは別の案にまとまりました。その案の話は、また後日に。

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月見台の家.6 ~一年点検~

2012-05-15 16:46:05 | 月見台の家

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「月見台の家」ができあがってから1年が経ち、定期点検にお伺いしました。この住宅には、敷地の南北にふたつの庭が計画されていて、それらに包まれるようにしてリビングがあります。ですので、この一年の間に植えられた草木の雰囲気がどのようになっているかも、とても楽しみでした。

伺ってまず感じたのが、お施主さんがとてもこの家を大切にしてくださっているということ。ご自身で庭も手入れされています。手間がかかることではありますが、そんな風に暮らしていただいて、設計者としては頭の下がる思いです。

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点検では、お施主さんご夫妻と、施工担当の栄港建設の監督さんと一緒に家の内外を廻りながら、不具合等がないかをチェックしていきました。大工さんや建具屋さんをはじめ、各職人さんが丁寧な仕事をしてくださったおかげで、とても良い状態に保たれていました。時間が経って、その差がでてくるんですね。一通りチェックをし、庭の木戸の建て付けなど幾つかの部分について少し手を入れることにしました。

この家には、とりたてて目新しいデザインはありません。むしろ、極力そういう「個性」を削ぎ落しました。一方で、ものごとの間合いや、風景を切り取る窓のプロポーション、素材感や質感といったものを吟味しました。以前にこのブログで、「カタチ」ではなく「場所」をデザインしたかった、という話を書きました。丁寧につくられた木の窓枠や床は、少しずつ色味を深めています。窓からは庭の緑が鮮やかに見え、深い軒に守られた室内は、安らぎのある陰影に満たされています。椅子にすわって談笑しながら、今、この場所で時間を過ごしていることの居心地の良さを感じることができました。きっとそれが、この家の個性なのだろうと思います。

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南庭のパーゴラには、モッコウバラがだいぶ絡んできて、白いかわいい花がいくつか咲いていました。来年には、もっと多くの花が一斉に咲くことでしょう。華やかなんだろうなあ。楽しみです。

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手ざわりのある家

2012-05-06 12:11:06 | 日々

画家ジョージア・オキーフの晩年の生活を記録し、エッセイとして綴った写真集があります。そのなかで、晩年のオキーフは徐々に視力が弱くなり、だんだんと、ものを「見る」よりも、ものの「手ざわり」を慈しむようになった、ということが書かれていました。アメリカ・ゴーストランチの荒涼とした風土のなかにあった晩年の家のなかには、いくつかの家具や壺など、そして彼女の絵と、大好きな音楽のレコードで満たされていました。家は外も中も見た目はとても簡素でさっぱりとし、飾り気がありません。かといって無理にシンプルを気取ることもありません。でも得も言われぬ趣があります。

目で見るのではなく、手ざわりでものを感じ取るというのは、もしかしたら、ものの本質を最もつかみやすいのかもしれません。重さ、温度、凹凸、素材感・・・目で見る以上に、ものの存在を楽しめるような気もします。家のなかの床や階段も、ゆっくりと踏みしめるように歩くと、足の裏から、その家の年季が伝わってくるようにも思います。手で触れ足で踏まれることで、角ばったところは摩耗し、丸みを帯びていきます。そうしてだんだんと人に馴染むものになっていくのでしょう。極端に言うと、目を閉じて心地よく感じられる場所というのは、素敵だなあと思います。だから、見た目は本物に似せてある、ニセモノの材料というのは、どんなに手間がかからず便利であっても、豊かではないのだと思います。

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イタリア中部の街、コルトーナの一風景。山の上の小さな街で、ご年配の方も多く住まわれています。家は、それこそ何世紀も昔からずっと建っている古い古いもので、この街には、「新しい」モノという概念がないのかな、と思うほどです。

ある小さな家。ペンキの塗り重ねられた大きなドアと、手にいっぱいの大きなドアノブ。瓦の載った大きな庇。小さな窓。素焼きの鉢。床に映り込む樹影。落ち葉。何も目新しいものはないし、洗練されたデザインというわけではないのでしょうけど、ここに住まうことが楽しそうに思えるようなシーンでした。何か「手ざわり」のようなものが感じ取れるような気がする、からでしょうか。

コメント (2)
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