京都と滋賀にまたがって、比叡山という山があります。京都市中からもいろいろな場所で、比叡山を望むことができます。僕の生まれ育った家からも、比叡山を眺めることができました。最初の写真は、かつて暮らした家の前からのシーンです。手間にすこし隠れた山が五山の送り火で有名な「妙法」の山、そしてその奥に見えるのが比叡山です。市中から距離の離れた比叡山は、青みがかったシルエットとして見えるのです。江戸時代、後水尾天皇は20年もの長きにわたって、比叡山の最も美しく見える場所を探し歩いたといいます。そして見つけたのが、北山のふもと、岩倉幡枝の地でした。そこに造営したのが円通寺。借景庭園で有名な小寺です。いくら美しいとはいえ、高校生ぐらいまでの時分にはまったく興味がなかったのも事実。すぐ脇を自転車で通りながらも、その塀と生け垣のなかに秘められた光景を、知る由もありませんでした。
大人になり、その価値がわかるようになって時折たずねるようになったときには、もう近隣のマンション開発が決定され、比叡山を望む借景はもう間もなく失われる、そういう時期でした。住職は低い声で滔々と語ります。「事が事であり続けようとするならば、共生という考え方が必要なのだろうけれども、なかなかそうもいかなくなってしまったのが、今のご時世というものです。物事を点として捉えるのではなく、線として、面として、捉えていきたいものです・・・」なるほど。類い希な個性、類い希な点が尊重されるのは、近代以降の考え方ですが、これからの時代には共生という概念を、もう一度よくかみしめる必要があるようにも思います。
円通寺庭園の写真を撮ったときには薄雲が山周辺にかかり、比叡山は姿を隠してしまいました。この庭からの眺めは、住職いわく「一期一会」。いずれにしても、京都の街から、もうこの美しい光景が永遠に失われようとしています。大切にすべきことはなんだったのか。市の中心部からすこし距離を置いた北山の小寺に、大きな疑問符が横たわっているのです。