窓辺の写真

2013-06-06 18:44:14 | 写真

先日、大学時代の研究室の後輩と、ひさしぶりに会って話をする機会がありました。そのH君は僕と同じように、卒業以来ずっと建築設計の道をすすんできたのだけれど、同時に写真の腕も相当なモノで、学生以来ずっと撮ってきた写真を見せてもらいました。

愛機はライカのカメラ。もちろんフィルム撮りで、独特の湿り気を帯びた質感の画風と、空気感をとらえる構図が魅力でした。あのときはああだったこうだったという話をしながら飲んでいるうちに僕は酔っぱらってしまったけれど、この写真の数々は酔っぱらった頭に鮮烈に残ったのでした。

建築、風景、人。被写体はいろいろですが、どの一断片をとってみても一期一会的な、その時、その場所ならではの空気感が映り込んでいたように思います。そのように表現しなければ、伝わらない何か、というのがあるのだと思います。そんな風に写真を撮れたらいいなあという憧れと、もっと写真を楽しんでいこうと思う気持ちでいっぱいになったのでした。

僕はいま38歳、気が付けば人生の半分を建築の道でやってきたことになります。時間をかけて同じ道を進むことで、自分にとってしっくりとくる土俵というのが見えてくるように思います。もともと建築の道に興味をもったのは、現代建築のカッコよさに惹かれたのではなく、高校時代に出会った一冊の写真集がキッカケでした。

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田沼武能「カタルニア・ロマネスク」というタイトルの、岩波書店から出されていたその写真集には、ピレネー山脈の懐に散在する小さくとても素朴な教会堂と、そのまわりに暮らす人々が映し出されていました。簡素、即物、必然、慎ましやかさ、穏やかさ・・・。日々の暮らしのなかの、さして特別ではないようなことの中に、美しさや豊かさがあるように感じさせてくれる写真集です。結局のところ、こうした価値観のうえに僕の仕事は成り立っているのだろうなあと思っています。

その一番最近の仕事である、僕の設計アトリエも、そんなような趣味でつくったものでした。昔からある小さな植え込みに面した、小さな窓。そこは僕の設計スペースになっていて、傍に座ると、とても大きく感じられる窓です。そこからはジューンベリーの木が間近に見え、昔からあったから見慣れた木だったはずだけど、こうして傍の窓辺から眺めると、とても身近に、大きく感じられるのです。今の時期には樹木名通り赤い実がなって、小鳥が食べにやってきます。柔らかい枝の上にちょんと乗って、葉っぱをかきわけかきわけ美味しそうに実をほお張るのを見るのは、ちょっと幸せな気分になりますね。写真を撮ろうとガサガサとカメラを取り出すと、パッと逃げちゃうのですが。

建築デザイン的には、何も凝ったところのないあたりまえの窓なのですが、僕にとっては特別な窓辺になりました。晴れの日、曇りの日、雨の日。それぞれ違う風情がありますし、一日のなかでも変化があります。「窓を着る」ような感覚でつくったちょうどいい大きさの窓ですから、とても身体によく馴染みます。そんな窓辺の情緒を、どうやったら写真で表現できるかな。そんなことを考えるのも楽しみです。

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