僕が講師をつとめさせていただいている早稲田大学芸術学校で、後期の授業が始まりました。ちょっと長めの夏休みの宿題は、洋の東西を問わず、ひとつ住宅作品を選び、1/100スケールで模型を造る、というもの。今年も、製図室の机の上にたくさんの模型が並びました。
近代の巨匠とよばれる建築家の住宅作品を選んでくる学生も多いのですが、あらためて驚くのは、これって1/100スケールだっけ?と思うような大きな模型が多いこと。その中に埋もれるようにして、日本の建築家の手による住宅作品の模型もあるのですが、その小さく感じられること!日本で住宅をつくるということは、「小さくあること」に立ち向かうことでもあるのだろうと思います。あるいは、「小さくあること」にこそ美徳がある、と考えるべきなのかもしれません。そう、茶室の空間が、世界にも類を見ないほどに得も言われぬ美しい場所であることを思い起こせば、それは大袈裟な話だとは思いません。
住宅の設計をするとき、僕もよく1/100スケールの模型をつくります。特に初期段階でイメージ模型としてつくることが多いのですが、比較的大きな家、こぢんまりした家、背の低い家、高い家などいろいろなのですが、そのなかに込めようとしている場所のイメージは、どれもそれほど違わないように思います。おのずと、イメージするときに模型に塗る外壁の色も、最初はどれもいっしょ(笑)
メキシコの建築家ルイス・バラガンの住宅作品の写真や図面を、学生時代からよく眺めてきました。何か僕自身の根っこの部分に、深く関わるものを感じていたのだと思います。時を隔てて茶室の空間を見るようになって、いつの頃からか、両者はどこか深い部分でつながっているように感じるようになってきました。一方はとても大きな家で、一方はとても小さな小屋。でも、建物の大きさに関わらず、そのなかに宿されるものは同じである、という感覚。そんな感覚を、大事にしていきたいと思います。