新年最初のブログは、京都にある詩仙堂というお寺の話から。
江戸時代につくられた、もともと住宅であった慎ましやかなこの庵は、東山に散在するいくつもの美しい寺院のなかのひとつです。ゆっくりと坂をのぼりながら境内に向かう道すじは、僕にとって深く心に残る光景でもあります。境内の門から建物へは、両側を竹林にすっぽり覆われた石段をのぼっていきます。石段をのぼりきると、さっと鮮やかな白砂の前庭が現れ、白い障子の引き残された玄関からは、奥にひろがる庭がすーっと見通せます。
奥に奥にはいっていくという感覚でありながら、同時に、明るく開かれた場所にはいっていくという感覚。詩仙堂には、そんな一見相反する感覚が満ちているように思います。現在、現場が進行している「月見台の家」の敷地に向かう道は、以前に書いたロマネスクの感覚と同時に、詩仙堂のことを思い出させてくれました。
「月見台の家」は、その敷地形状ゆえ、道からはほとんどその姿を隠しています。そこで、玄関までに長いアプローチをつくり、奥にはいっていく感覚が十分に感じられるようにしたいと思ったのです。小さなこの住宅には、南側と北側の両方に庭があって、ふたつの庭に包まれるようにしてリビングがあります。ちょうど詩仙堂が、雁行しながら趣向の異なるふたつの庭に面しているように。
そういえば、詩仙堂の間取りがジグザグと雁行しているのは、室内から月の風情を楽しめるようにしたから、と聞いたことがあります。桂離宮にしてもそう。日本の雅な住宅は、月や自然を繊細に楽しめる工夫に満ち溢れていますね。「月見台の家」が、そんな日本的な美しさをもってくれたら・・・と願わずにはいられません。
桜の木立が見える、静かな北庭。
明るく、つる性の植物が絡まるパーゴラやベンチがしつらえられた南庭。
その間につくられた家は、詩仙堂のように天井が低く、庭と密接につながり、奥行きをもって空間がつづきます。庭に出入りする窓は、アルミではなく木でつくり質感を大事にしました。
日々の暮らしの場所が奥行きのあるものになるように。それはロマネスクの「奥行き」にもイメージが重なって。現場で、詳細な寸法や材料の確認をしながら、そんな住宅のもつ「奥行き」について考えることがあります。